第十二章⑧ 忘れているだけ
ベブルは目を覚ました。薄暗がりの部屋の中で、硬いベッドの上に、彼は仰向けに横たえられていた。
しばらく意識がはっきりとしなかったが、だんだんと、自分がブァルデンの屋敷に突入したことを思い出した。そしてまた、自分が本来、ベッドなどに寝かされているはずがないということも思い出した。
ベブルは呻きながら起き上がろうとしたが、身体が痺れていて、また仰向けに倒れた。そして咳き込み、盛大に血を吹いた。
「大丈夫ですか!?」
ベブルが咳き込んでいると、声が掛かった。そばにいたらしい、ユーウィが駆け寄った。彼女は布で、彼の口の周りと胸に掛かっている血を拭いた。
「無事……だったのか」
「喋らないで、休んでいてください」
ベブルはユーウィの忠告を無視する。
「何で俺が無事だったんだ。そうだ、それにあの女……、デューメルクは?」
「フィナさんは、わたしの家に行きました。『災禍の弾』というのを持って来るそうです。わたし、そんな恐ろしいものが家にあったなんて、知りもしなかったのに……」
デューメルクは遠くに行っちまったのか……。
ベブルは心の中で悔しがった。フィナがいなければ、彼は自分のいた時代に帰ることができないからだ。
「だが、それならやっぱり変だ。あの女がいなくなれば、奴らは俺を殺したはずだ。それなのに、何で俺は死んでない?」
ユーウィは手を止めた。血は大体拭き終わったようだ。
「それは……。ベブルさんを殺したら、わたしも舌を噛んで死ぬと言ったのです。彼は『ジル・デュールの王』として、『王妃』との結婚を公言していましたから。婚礼の儀までは、花嫁を無傷で生かしておこうと考えているのです」
「だが、この結婚の本当の目的は、ホミクの家にある『災禍の弾』だ。それが手に入らないと判れば、奴は何の躊躇いもなくお前を殺すだろうな」
ユーウィは諦めの表情で微笑む。
「ええ。ただ殺してくれるなら、まだありがたいのですが……」
ベブルはなんとか頭を持ち上げる。
「お前……、ブァルデンがどんな奴か、ちゃんとわかってるんじゃないか。……ホミクはお前のこと、世間知らずだって言ってたが、こういう連中がどんなに危険かって、知ってるんじゃないか」
ユーウィの瞳は、まっすぐにベブルを捉えている。
「それは勿論です。でも、それでも、街全体の命に比べれば安いものです。そのために、この使命、わたしは喜んで受けたのです」
「使命って……」
ベブルは言いかけたが、その言葉にユーウィの言葉が重なる。
「わたしは無力です。争いが起これば、誰も助けることはできないのです。事実、第六地区が『明き雷光』に敗れたときも、わたしはずっと護られているだけでした。でも、今度は、わたしが皆さんの役に立てるのです」
「だからってな!」
ベブルはいまの彼にできる限りの大声で叫んだ。だが、それはさほど大きい声にはならなかった。
「自分をもっと大切にしろよな。そうすることで、人の役に立つことだってあるんだ」
ユーウィはきょとんとして、首を小さく傾げた。
「どういうことですか?」
ベブルは眉を顰める。
「……言おうかどうか迷ったんだが……。お前は多分、俺のご先祖様なんだよ」
「はあ」
「俺とデューメルクは、百二十年後の世界から来た」
「そんな冗談」
「冗談じゃねえって」
ベブルはもはや、この話をするのには慣れ切っていた。もう何度目だろう。
「もう未来で、子孫には会って来た。そいつとお前は瓜二つだ。俺とお前も似てるし、その
ユーウィは砂避け帽子を脱ぎ、それを見る。
「これは、うちの家紋のようなものです。父が、自分の作った魔法武具に、仕上げに入れる印なんです」
それを聞いて、ベブルは深呼吸する。
「やっぱり、お前は俺の先祖だったんだな」
「あの、それ、本当に……?」
ユーウィは手を唇の近くへ持ち上げた。そして、訝しげにベブルを見る。彼は頷く。
「ああ。だから、お前とブァルデンとの『結婚』は止めなきゃならん。わかるだろ? 俺が生まれなくなるかもしれんからな」
「はい……。わたしが自分を粗末にしたら、貴方に迷惑が掛かる……、ということですね。でも……。それなら、もう遅いかもしれません」
あまりの驚きに、ベブルはベッドから起き上がる。
「おい! まさか……、ブァルデンの野郎、もう……」
慌てて、ユーウィは両手を挙げてベブルを制止する。
「ち、違います違います! そうじゃありません。そうじゃなくて、わたしの恋人が……、彼はルディという名前で、都市警固団員だったのですが、結婚の約束をしたのに、『明き雷光』に殺されてしまって……」
ベブルは額を押さえて、またもベッドに倒れ込む。
「なんてこった。もうお前の腹の中にそいつの子がいるとか、そういうわけじゃないのか?」
ユーウィは首を横に振る。
「それはありません」
それを聞いて、ベブルは溜息をつく。
「遅かった……のか? いや、俺はまだ消えてない。ということは……、ルディは俺の先祖じゃなかったってことか」
「わたしがブァルデンの子を生んでいるはずだった、というわけではありませんよね? ブァルデンが貴方の先祖だったということは……」
ユーウィはベブルにそう訊いたが、彼はかぶりを振る。
「絶対違う。俺自身が、あの野郎の子孫にはなりたくねえんだ。だから、お前はその辺は気にしねえで、絶対に自分を守ってくれ。頼む」
そしてベブルは、傍らに立つユーウィを見上げる。彼女は微笑む。
「わかりました。わたしが貴方を守ります」
その宣言は必要のないものだと、ベブルは思った。そもそも彼がいま、ここで生きているのは、ユーウィが守ってくれたお陰なのだから。
++++++++++
ホミクは『災禍の弾』を暖炉の火の中に投げ込んだ。するとそれは、すぐに弾け、形を失った。もはやこれは、使いものにならない。
「これがそんな危険なものだったとはな」
ホミクは呟くように言った。そして、振り返る。彼の後ろに立ってその様子を見ていたフィナは、声に出さずにうなずいた。
ホミクもうなずく。
「知らせてくれてありがとうな。死んだ第六地区の警固団長に預かるように言われていた物だった。ブァルデンの野郎、俺がこれを持っているということまで、嗅ぎ付けてやがったんとは」
フィナが静かに言う。
「だが、娘は」
「……殺されるだろうな。もちろん、俺は明日、ブァルデンを殺しに行く。娘が殺されるのに、黙ってるわけはない。婚礼の儀の最中に乗り込んで……。だが、あの男のところへ着く前に、撃たれて死んでいるだろうな」
「力を貸す」
フィナの眼光は鋭かった。しかし、ホミクはかぶりを振る。
「そういうわけにはいかない。あんたはよくやってくれた。だが、死んではいけない」
「リーリクメルド」
「あんたの相棒は……、残念だが、もう助からん。奴らはあの子を殺す。そうすれば、もはや彼を生かす理由はなくなる」
ベブルに死なれては困るのだと、フィナは心の中で思った。彼が死ねば、自分が元の時代に帰る手立てがなくなってしまうのだから。
フィナは首を二、三横に振る。
「『災禍の弾』でなければ、わたしに通用しない」
「勝算はあるということか?」
ホミクが言うと、フィナは、今度は首を縦に振る。
「人質をとられなければ」
++++++++++
部屋は完全に外から遮断され、窓もないので、いまが昼なのか夜なのか、太陽はまだあるかもう沈んだのかを知る方法はなかった。
だが、ベブルは、いまはもう真夜中だろうと考えていた。腹時計と疲労の具合から推察したのだ。
『明日』になるまで、もうわずかの時間しかない。それまでに、ここを逃げ出せるだろうか? 身体は完全に弱りきっている。これまでなら誰かが魔法で治癒してくれたが、今回はそれがない。
ベブルは、ベッドの上から一歩も動いていなかった。ユーウィは、そのベッドの横の床に静かに座り込んでいる。彼はちらとそちらを見たが、彼女は眠ってはいなかった。目を開けて、なにを見るでもなく、部屋の壁のほうをぼんやりと見ていた。
「聞きたいことがあるんだが」
ベブルはそう言った。ユーウィは彼のほうを向く。そして、優しく微笑む。
「なんですか?」
「お前さ、俺らと最初に会ったとき、外にいただろ。どこに行ってたんだ? 外に出たら都市警固団に捕まるって、それくらいわかってただろ?」
ユーウィはふっと笑うと、肩を竦めた。
「ブァルデンの命令で怪しげな行動をとった……ことにしてあります。父には。でも、本当は、探していたんです。『善きこころの日』のための贈り物を」
「贈り物?」
「ご存知ないですか?」
「ああ」
「『善きこころの祭り』の最後の日には、大切な人に贈り物をすることになっているのです。と言っても、皆が毎年そうするわけではないですし、わたしもいままで誰にも贈り物をしたことはなかったのですが……。最後に、育ててくれた父に、お礼をしたいと思いまして」
なるほどと、ベブルは思う。とはいえユーウィは、よいと思ったら絶対に突き進む、案外大胆な性格の持ち主なのかもしれない。そもそもいま現在、人質が人質を取ってしまったのだ。普通ではない。
「で、贈り物ってのは、具体的にはどういうものなんだ?」
ユーウィは宙を見上げる。
「そうですね……。なにか、身に付けられるものがよいということになっています。でも、うちの父に似合うものなんてなくて、結局、選べず仕舞いなんです。その間に都市警固団の方に見付かってしまって、なにも買って来れませんでした」
「そうか……、それは残念だったな。明日、俺がお前を親父さんのところへ帰してやる。それから探せばまだ間に合う」
ベブルが微笑み、ユーウィも微笑み返す。
「そうですね。お願いします」
++++++++++
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