第十二章⑨ 忘れているだけ
いつの間にか、ベブルは眠りについていた。彼が目を覚ましたのは、太陽が昇ってからだった。
ドアを乱暴に開ける音に、ベブルは起こされた。この薄暗い部屋には外から鍵が掛けられ、ふたりが逃げられないようにされていた。
ベブルの隣でユーウィが呻く。どうやら彼女も彼と同じく、いままで眠っていた。彼女の場合、眠りについたのはつい先ほどのことだったが。
鍵が外され、勢いよく扉が開いた。光が飛び込んでくる。
部屋に入ってきたのは、ブァルデンの手下の男だった。
その男がさっと右腕を上げると、ベブルは撃たれた。そしてそのまま、彼は叫びを上げてベッドの上に仰向けに倒れる。昨日受けたものと同じ、毒と痺れと睡魔の魔法の付加効果のある弾だった。
「ベブルさん!」
驚いて、ユーウィは立ち上がった。彼女はベブルのところへ駆け寄ろうとしたが、部屋に入ってきた男に強引に引っ張られる。
「やめて! やめてください! なにをするんです! ベブルさんを撃つなんて! わたし、もう死にます!」
ユーウィは叫んだ。そして、自分の舌を噛もうとするが、その口に男の手が差し込まれる。舌を噛み切ることはできない。
「よく見ろ、殺してねえだろ。ブァルデン閣下は約束は守ったぜ。だからお前も大人しくしろっていうんだ!」
確かにそのようだった。ベブルは毒に身を蝕まれ、のたうっている。つまり、まだ死んではいない。
それから、ユーウィは強引に引っ張られて行った。ベブルはその様子を見ていることしかできなかった。最後まで、彼女は心配そうに彼の方を見ていた。彼女は後ろ向きに連れて行かれ、彼の視界から消えた。遠くから彼を呼ぶ声が聞こえる。だがそれも、小さくなって聞こえなくなった。
ベブルは痛みに呻き、ベッドの上に血を吐いた。
扉が強引に閉められ、鍵が掛けられる。
「く……そ……」
ベブルは自分の身体を引き摺り、持ち上げる。
「ユー……ウィ……」
ベブルはまた血を吹き、咳き込んだ。倒れそうになる身体を無理やりに支えると、閉ざされた扉を睨み付けた。
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太陽は街の真上にあった。青い空の海に、白い雲の大陸が流れていく。長閑な空の世界と同じように、地上でもまた穏かな時が流れていた。
それが、あくまでも表面上だけのものだとしても。
『善きこころの祭り』の最終日。これまでで一番、派手で長い
ユーウィは、薄い化粧をし、光に当たって艶やかに輝く上等の服を着ていた。長いストールが風に靡いているが、非常に軽いため、それそのものが穏やかな風のように見える。
ブァルデンも正装し、礼装用の、長い
祭礼行進の魔術師たちが、蒼天に大小様々の虹を打ち上げる。ユーウィの肌は、それによって赤や青や黄色と幾つもの色の光によって照らされたが、どの色を受けても滑らかに輝いていた。
行進を囲んで見ている人の数は、昨日よりも遥かに多かった。みな、諸手を挙げて喜び、ブァルデンとユーウィの結婚を祝福した。ジル・デュール第四、五、六地区の支配者であり、じきに残りの地区もその支配下にしようという勢いをもつブァルデンの結婚に、賛成しない者はなかった。誰も反逆者にはなりたくなかったし、大人しく彼の言うことを聞いていれば、平和に生きていけるのだ。この結婚が花嫁にとって強制的なものであると知っていたとしても、誰もがそれに目を瞑った。
子供たちはそんな裏の事情を知らず、ただ偉い人間の盛大な結婚式だとしか知らされていない。なので、熱心に祝福の歌を歌っては、馬車の中の人物に自分が見えるようにと、自分の砂避け帽子を脱いでそれを振り回していた。
「約束してください」
ユーウィは前を向いたまま、ブァルデンとは目を合わせずに、言った。
「ああ?」
「わたしはこの結婚式を、うまくやります。幸せな結婚に見せます。ですから、ベブルさんは生かして、逃がしてあげてください。そうでなければ、結婚式をだめにします」
ユーウィは毅然とそう言った。だが、ブァルデンは嘲笑う。
「俺の要求が先だ。あの男を殺されたくなかったら、うまくやれ。偉大な支配者の『妻』となる女に相応しい行動をな」
ユーウィは驚いて、ブァルデンの方を向く。
「そんな……、彼は逃がして——」
「だめだ。とりあえず、これをうまくやれば、あの男は生かしておいてやる。だが、逃がさん。気に入らなくなれば殺す。お前がここで俺の言うとおりにしなければ、あの男はこの夕方にでも死ぬことになるぞ」
「そんな……」
ブァルデンは気づいていた。ベブルはユーウィを言いなりにするための格好の餌なのだ。ベブルの命を話題に出せば、彼女は否が応にも命令を聞かざるをえない。
そして、ユーウィのほうも、ようやくそれに気が付いた。つまり、これから先、ことあるごとに、ベブルの命を盾に自分に対して不利な要求を突き付けられ続けるのだということに。
「どうした、俺の話が解らなかったか?」
ブァルデンの顔は笑っていた。それは、決して清々しいものではなく、下劣で、邪悪に歪んだものだった。
「……わかりました」
ユーウィは、唇を噛みしめ、そう答えた。
空は青く、太陽の光は強く、美しい情景が天上の世界にはあった。
いま、これほど醜いことが地上で行われているのに、どうして空はそれを知ってはくれないのだろうと、ユーウィは思い、うつむいて、人知れず涙を零した。
称えよう、よろこびを!
我らは謳おう!
思いやるこころを!
我らに与えられた、すべての善を!
ああ、称えよう!
清らかなるこころを!
大行列は街の中心の広場に到着し、ブァルデンとユーウィは馬車を降りた。そして、彼らはふたり、広場の中央へと歩いていく。人々は、それを遠くから囲んで見ていた。
広場の中央に立つと、ブァルデンは振り返り、ジル・デュールの人々に、声高に宣言する。
「今日この日、私はこの空、澄み渡り、アーケモスを見下ろす空にかけて宣言しよう。私は——」
「待て」
フィナだった。彼女はその声を空に響かせると、ルビーの杖を手に、群集を分けて広場へとやって来た。彼女と共に、ホミクも付いて来ている。
ユーウィが叫ぶ。
「とうさん! どうして!」
ふたりの登場を見て、魔導銃を持った『明き雷光』の男たちが群集の中から出て来て警戒を始めた。これで婚礼の儀の雰囲気は丸つぶれだ。
ブァルデンは顔を顰める。
「何だ?」
「約束のものだ」
フィナは光る玉を投げた。それをブァルデンは受け取る。
「本物だろうな?」
「試してみるか?」
そうすることはできなくもなかった。だが、ブァルデンはそうしなかった。『災禍の弾』を込めた魔導銃を撃てば、下手をすれば街が火の海になると聞いていたからだ。
それよりもブァルデンは、この場はなにごともなく済ませようと思った。フィナとホミクはあとで殺せばいい。『災禍の弾』が本物であろうと偽物であろうと、やることは同じだ。本物ならば、もうこのふたりに用はない。偽物ならば、このふたりを使って本物を持って来させるのは不可能だと考えていい。
ブァルデンは不敵に笑い、首を横に振る。
「いや。ご苦労だった」
ところが、フィナはよく通る声で、次のように言う。
「約束どおり、娘を返せ」
この発言は、ブァルデンにとって全く予想外だった。
「なに?」
ホミクもフィナの嘘に乗る。
「そういう約束だったよな。その宝と引き換えに、ユーウィを返すって言ったよな。借金のかたに連れてかれた娘だ。返したんだからそっちにも返して貰う」
「何の話だ」
「てめえ、シラ切るつもりか。くだらねえこと言ってねえで、とっととうちの娘を返せって言うんだ。婚礼の儀式なんざ、俺の承諾なく勝手にやらかしやがって」
ホミクはあくまでも法螺話を続けた。長々と法螺を続けると、周囲の人々がざわついてくる。
ブァルデンは、大衆の前が自分を悪人だと見なし始めたことに気がついた。もちろん彼は、自分が悪人なのは理解していた。だが、事実悪人であることと、人前で悪人になることとはまるで違う。あくまでも表向きは、善良な支配者であらねばならない。そのほうが『統治』が楽だからだ。
「なにを下らん嘘を」
ブァルデンはユーウィの肩を強引に掴み、無理やり引き寄せた。そして、彼女に小声で命令する。
「嘘だと言え。さもないと、あの男の命はないものと思え。あの女も、お前の父親もだ」
ユーウィは自分の父親を見た。彼はじっと、自分のほうを見返している。次に、フィナを見た。フィナは、彼女に対して、強く頷いて見せる。もう嘘はつかなくていいと、その瞳が語っている。
この『結婚』を反故にすれば、第六地区の人々が皆殺しにされてしまう。それにいま、目の前にいる自分の父親とフィナの命もない。更には、今頃ブァルデンの屋敷で倒れているはずのベブルの命も奪われてしまうだろう。
自分の父親とフィナは、もう覚悟を決めているようなので、構わないかもしれない。だが、一番問題なのはベブルだ。暗い部屋に閉じ込められて衰弱している彼にとっては、何の前置きもなく突然殺されることになってしまうのだ。
ユーウィは躊躇った。
「どうした、はやく言え!」
ブァルデンはユーウィの肩を揺すり、急かした。だが、そんな彼女の視界に、意外なものが映った。
群衆の中に、『彼』がいたのだ。
ユーウィはそれを見ると、決心した。彼女は叫ぶ。
「助けてください! みなさん! わたしは、無理やり結婚させられそうなのです!」
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