第十二章⑤ 忘れているだけ
次の日の朝食が終わると、ベブルはフィナを家から連れ出した。
時空塔へ出発するまで退屈だから、過去の祭りに参加させろと、ベブルは半ば脅迫するかのごとく迫ったのだ。だが、フィナはあっけなく了承した。
「わたしも、暇だし」
フィナは手を差し出した。その手の指には、『時空の指輪』が嵌っている。ベブルはその手を握った。
++++++++++
時間移動をしたと同時に、ふたりは人にぶつかった。
「うわっ」
「ああ、ごめんなさい」
ぶつかった男はそう言って会釈すると、そのまま歩き去った。
百二十年前のジル・デュールの街は、ベブルとフィナのいた時代よりも、人間が多いようだ。それもそのはず、祭りのために、この街のすべての人々が外へ出てきているのだ。誰もかも浮き足立って見える。そして誰もが顔に笑みを浮かべ、優しそうに人と話をしている。
街じゅうに飾りがつけられている。すべての建物の一階、二階、そして三階を繋ぐ、長い飾りの付いたロープが、街の建物じゅうに張り巡らされている。
通りの中央にまで人が陽気に往来していた。だが、しばらくすると、人が大通りを空け始めた。ベブルが何だろうと思っていると、通りの向こうから行列が楽器を鳴らしながらやって来た。行列の魔術師たちは、空に向かって虹の魔法を投げる。街じゅうが、撒き散らされる小さな虹で満たされていた。
街の人々は行進の音楽に合わせて歌い始めた。
称えよう、よろこびを!
我らは謳おう!
思いやるこころを!
我らに与えられた、すべての善を!
そして、我らに与えたもうた、善のあるじを!
ほしぼしの向こうに居られる、喜びの与え手を!
ああ、称えよう!
清らかなるこころを!
パレードはどこまでも続いている。虹が、火が、水が、そして光が巻きあがる。管楽器、弦楽器、打楽器が、それぞれに大きな音で、そして調和の取れた和音を奏でる。
ふたりの前には人だかりの壁があり、一番前でその行列を見るなどということはできなかった。だが、その行列が大規模であり、人々がそれに狂喜しているということは容易に理解できた。
あまりに幻惑的な行進だ。
そんな折に、ベブルは、隣に立っていたフィナが後ろから押されて、前方に飛んだのを見た。彼女は前につんのめり、人だかりの壁に頭から突っ込んで行った。
「す、すみません!」
若い女の声が聞こえた。
ベブルはその声の方を見た。
驚いた。
そこにいたのは、桃色の髪の若い女だった。
ベブルは一瞬、そこにムーガがいるのかと思った。
艶のある、桃色の長い髪。すべらかな頬。年齢的にはフィナと同じくらいか、それより少し若いくらいに見える。
人だかりに突っ込んで行ったフィナはというと、幸いにも、強固な人間の壁のおかげで止まり、跳ね回る壁を支えに体勢を立て直した。
「あの、大丈夫ですか?」
桃色の髪の女は、そうフィナに言った。
「へいき」
フィナはなにごともなかったかのようにそう答え、自分の着ている黒のワンピースと白のローブをはたいて整えた。
「いたぞ! こっちだ!」
遠くから、そう叫ぶ声が聞こえてきた。
ベブルが見ると、人だかりと歌声の向こうに、鎧に身を包んだ男が三人、こちらを——桃色の髪の女を指差している。
「あの、それでは、すみません!」
そう、咳き込むようにベブルとフィナに言うと、女性は両腕に掛けてあるストールをはためかせて、追って来た男たちの方とは逆方向に駆けて行った。それから、彼女が駆けて行った方向に、鎧を着た三人の男たちも走り去って行く。
街の誰も、パレードに注目していて、そんな騒動にはまるで気づいていない。
ベブルは桃色の髪の彼女が駆けて行った方を見つめながら、傍らのフィナに言う。
「——おい。俺はちょっと野暮用ができたみてえだ」
ベブルは頭の中にはっきりと思い出していた。いま走り去った女性が頭に巻いていた砂避け帽子に描かれていた刺繍を。
それは、ルメルトス派の魔術師の印だった。
ベブルが傍らを見やると、フィナが右手にルビーの杖を持ってこちらを見ていた。どうやら彼女も行く気らしい。いま、桃色の髪の女を追っていた男たちを追いに。フィナも例の印には気が付いていたようだ。
ふたりは群集の中を駆け出した。
++++++++++
息を切らせて、砂避け帽子の女性は人通りのない細い道を走っていた。この道を走り抜けるつもりだった。
しかしこの道は、角を曲がった先で行き止まりになっていた。
昼間だというのに、この路地裏は暗い。
遠くの方から行列の音楽が聞こえてくる。だが、先程はあれだけ大きな音であったというのに、ここではほんの小さな音にしか聞こえない。つまり、ここで助けを求めても誰も来ないということだ。
そのうちに、どかどかと足音が聞こえてくる。その音はすぐに大きくなり、こちらへと近づいてくる。
表情に不安を露わにして、女性は行き止まりの壁に手を触れ、上ろうとした。無謀だということはわかっていた。突っ掛かりがなにもないのだから。
「追い詰めたぞ!」
男の声が聞こえ、女性は慌てて振り返った。短く息を吸い込む。そして、後じさりする。壁が背に触れ、冷たい。
「さ、我々と共に来て貰おうか」
男たちはじりじりと、彼女に詰め寄る。
その女性はその場から更に後じさりを試みたが、できるはずもない。もう背は壁にぴったりとくっ付いているのだから。
「待て」
そう言う声が、男たちに掛かった。彼らの後から、フィナが追ってきていたのだ。杖を構え、戦う準備はできている。
「何だ君は」
鎧の男のひとりがそう言った。三人の男たち全員の意識が、砂避け帽子の女性からフィナのほうへ移る。
瞬間、空からベブルが降ってきた。屋根の上から跳んだのだ。
まず、ひとりの男の頭の上に落下し、ひとり目を気絶させた。そして、もうひとりを振り向く前に殴り倒し、最後の男は振り向いている途中に蹴り倒した。
総戦闘時間はたったの二秒だった。
「危ないところだったな」
ベブルは、地面に倒れて気を失っている男たちを見やりながら、壁を背にしている砂避け帽子の、桃色の髪の女にそう言った。
フィナは杖を消し、歩いて来た。
だが、桃色の髪の女性は不安げだ。
「あ、ありがとうございます。でも、その人たち、死んではいませんよね?」
ベブルは横柄に言う。
「一応は。だが、殺さないのなら、ここをすぐに離れた方がいいぞ」
「そうですね。ありがとうございました。それでは」
桃色の髪の女は慌てて、小走りに駆け出した。
だが、路地裏から大通りに出ようとする彼女を、フィナが肩を掴んで止めた。女は驚いたようだ。
「あの、何でしょう」
フィナは彼女を睨むようにじっと見ると、それに答える。
「送って行く」
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砂避け帽子の女性の名は、ユーウィといった。
ここから少し離れたところにある、魔法武具をつくっている家の娘だという。そこまでは聞き出せたが、彼女を追っていた男たちが一体何者なのか、そして何故追われていたのかということは、一切説明しようとはしなかった。
ベブルとフィナは、道すがら周囲を警戒していた。祭りを楽しむ人で街はごった返していたが、幸い、ユーウィを狙う者は現れなかった。
「ただいま帰りました」
ユーウィは家の入り口の戸を開けた。家の中には、屈強な体付きの中年の男が、円卓の椅子に座っていた。卓の上に何も置かれていないことから、彼は何か考えごとをしていたのだろうと推察できる。あるいは、彼女の帰りを心配していたのか。
男はすぐさま顔を上げ、ユーウィを見た。そしてすぐに、彼女の後ろにいるふたりの人間の存在に気づいた。
「ユーウィ、そいつらは何だ?」
「『そいつら』だなんて言わないで、とうさん。帰り道、追われていたところを助けて頂いたの」
ユーウィは穏やかな表情で、若干、顔を顰めてみせた。
だが、突如、ユーウィの父親は怒り狂い、椅子を蹴倒して立ち上がる。
「助けて頂いただと! お前を追っていたのは、都市警固団員だ。大人しく保護されていればよかったものを! それにおおかた、お前を『助けた』そいつらも、ブァルデンのチンピラだろう! てめえら、怪我をする前にとっとと帰りやがれ」
「はあ?」
ベブルは顔を顰めた。そうする仕草はチンピラそのもの——いや、それ以上の、何か気迫のある、悪人のように見える。
「話が読めねえな。説明しろ」
「なにい?」
ユーウィの父親はそう言った。だが、その間に、ユーウィが走り出し、部屋の奥にある扉の取っ手に手を掛ける。
「おい、ユーウィ!」
ユーウィの父親が、振り返って彼女に言った。すると、彼女は途中で立ち止まって、言葉を返す。
「とうさん、わたしは絶対に、あの人と結婚しますから!」
「ユーウィ!」
父親の言葉も空しく、ユーウィは向こうの部屋へ飛び込み、扉を硬く閉ざしてしまう。父親は溜息を吐きつつ、がっくりと肩を落とした。
よくある風景だと、ベブルは思った。若い恋人たちはすでに結婚を決めているのに、その親がそれを許さない。……だが、それにしては、ユーウィが警固団員に追われていた理由が見当たらない。
眉を顰めて、ベブルがユーウィの父に言う。
「どういうことなんだ? 結婚どうこうというのは?」
ユーウィの父親は振り返る。
「あんた、『明き雷光』の奴じゃないのか?」
「知らんな、そんなもん。俺は、この街に来たばかりなんだ」
フィナもうなずく。
「説明を」
ユーウィの父親は唸る。
「ああ……。解った。とりあえず、入ってくれ。それと、扉は閉めてな」
ふたりは言われた通りにした。
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