第十二章④ 忘れているだけ

 アーケモスで一番の大都市ジル・デュールは、その肩書きにたがわず、規模も、そして人口も、途方もなく大きな街だった。


 ベブルとフィナは街に入ってもなお、ディリムに乗って駆けていた。大きな通りの中央は、馬車や魔術師の乗騎魔獣のために空けられていた。通りを歩いている人々の数は、ベブルがこれまでのどこでも見たことのないほど多かったものの、その通りは尋常でないほどに広かったので、魔獣で高速で駆けても何ら問題はなかった。



 ベブルはフィナの後ろについて、大犬を駆っていた。ふたりは、前を走っていた駅馬車を追い越す。


 ふたりは、この都市にある、フィナの実家へ向かっている。そこには、彼女の兄であるルットー・ディスウィニルクがいるだろう。


 通りの脇に、ずらりと建物が立ち並んでいる。大通りに面した商店街は、人で賑わっており、人の流れが絶えることはなかった。


 ベブルは、この人間の多さを見て、やはり祭りがあるのだと思った。だが、それにしては街に飾り気がなさ過ぎる。どういう祭りなのだろうか。



 昼過ぎに街に着いたというのに、ふたりがフィナの実家に到着したころには、すでに太陽は彼方に沈みかかっているところだった。


 ベブルとフィナは大犬から降り、大通りを離れ、居住区画のほうへと歩いた。大通り以外の比較的細い道では、魔獣の乗用が禁止されているのだ。ふたりが歩いて一軒の家の前へやって来ると、家の入口の前の階段に、男がひとりいるのを発見した。


 ルットー・ディスウィニルクその人だった。


「ああ、フィナ……に、ベブル・リーリクメルド君」


 ルットーはそう言うと、微笑んだ。


 フィナは無言で階段を上ると、ルットーに青い『ブート・プログラム』を突き出す。


「時空塔の鍵」


「……本物なのか? これを一体、どこで? 俺たちは、いまこれを探していて、見つからないなら作ってみようかという話になっていたんだけど……」


 ベブルがもっともらしく説明する。


「俺のダチが、どこかの遺跡で拾ったと言っていた」


 ルットーは手を顎に当てる。


「ふむ……。取り敢えず、ぜひこれを使ってみよう。もしかしたら、最近見つかった時空塔が動かせるかもしれない。動けば歴史的なことだ。ボロネのほうの時空塔は、いまだかつて動いたためしがないんだからな」


 ベブルは心の中で感心した。どうやらザンは、ボロネ村近くの時空塔から『ブート・プログラム』を外しておいたようだ。ザンは、アーケモスの人間にヨルドミスを荒らされたくないと言っていたが、有言実行したようだ。


 ルットーは明るい声で話す。


「まあ、とにかく家に入れよ。ふたりとも、長旅で疲れただろう」


 ルットーが踵を返して階段を上り始めるので、フィナも、そしてベブルもそれに付いて上った。その途中で、彼はまた笑いながら妹に言う。


「それにしても、いい時期に帰ってくるから、てっきり、君の『寿星じゅせいの日』に合わせたのかと思ったんだけど……。やっぱり、そうじゃなかったか。はは」


 『寿星の日』だと? ベブルは思った。この女、俺と『寿星の日』——生まれた日たんじょうびが近かったのか?


++++++++++


 フィナが家に入ると、彼女の両親が彼女を迎え出た。両手を差し出して、満面の笑みを湛えていた。


「ああ、お帰り、フィナ!」


 フィナの父も母も黒髪の人物だった。母親の髪は肩までの長さがあり、父親は細い体つきの口髭の男だった。


「今年はもう帰って来ないのかと思ったぞ」


 そんな風に両親に喜ばれていても、フィナの表情は依然無表情なままだった。だが、しばらくその状態が続くと、じわじわと口元に微笑みを見せるようになった。微笑っている彼女を見るのは、ベブルにとって、もちろん初めてのことだった。


 そして、フィナの両親の目が、次に、ベブルを捉えた。


「彼は?」


「ああ、フィナの師、ソナドーン師の息子さんだ。ベブル・リーリクメルド君」


 ルットーがそう紹介すると、彼の母親はベブルに言う。


「そうだったの。ソナドーンさんの」


「ああ、一応な」


 ベブルは素っ気なく返した。彼は、自分が『懸崖の哲人』ヨクト・ソナドーンの息子と呼ばれることを快くは思っていなかった。


「娘がいつもお世話になっています。さあさ、どうぞ奥へ」


 フィナの父はそう言って、ベブルを家の奥へと促した。フィナとルットーはすでに奥のほうへと歩いている。その場にいてもどうしようもないので、ベブルは取り敢えず、家に上がり込むことにした。


++++++++++


 食卓を五人で囲んで、一同は夕食をとった。四人掛けの円卓では少し狭いが、料理はまずくないと、ベブルは思った。


「こんな賑やかな食事は本当に久しぶりだ」


 フィナの父は笑った。酒が入っているらしく、顔は少し赤い。


 ところが、肝心のフィナはごく静かに、黙々と料理を食べているだけだ。誰も騒ぎはしない。それでも、彼女の父にとっては、これが『賑やかな』食事なのだろう。


「普段は、この円卓が満席になることさえありませんからね」


 そう言ったのはフィナの母で、微笑みながら各人のコップにミルクを注いでいた。フィナの父は何度も頷くと、また口を開く。


「これで、今年もフィナの『寿星の日』を祝ってやれる。そうだ、ベブル・リーリクメルドさん。貴方もこの子の『寿星の日』を一緒に祝ってやってくれませんか。この子は、明後日に十九歳になるんですよ」


 フィナの父の満面の笑みがベブルに向けられた。それは一種の強力な魔法の類のように思われた。


 ルットーが笑顔で説明する。


「うちじゃあ、家族の『寿星の日』には、全員集まって祝うことにしてるんだ」


 明後日だと? ベブルは思った。じゃあ、こいつ、俺と『寿星の日』が同じだってことか。……知らなかったな。まあ、ひとまずは承諾して、ご馳走に預かるとするか。どうせ、しばらくはここにいることになるんだろうしな。


「ああ、いいぜ」


「そうか、それはありがたい!」


 そう大声で言うと、またもフィナの父は笑い始めた。


++++++++++


 ベブルは空きの部屋をあてがわれ、しばらくの間そこに住むことになった。


 所在ないので、ベブルは部屋のベッドの上に寝転がっていた。だが、まだ今後の予定すら聞いていなかったということを思い出すと、部屋から出て、廊下を挟んで向かいの部屋に向かった。


 フィナの居室だ。


「おい、入るぞ」


 ベブルはその言葉とほぼ同時に部屋に入った。フィナは部屋の扉に背を向け、椅子に座って机に伏していた。どうやら眠っているようだ。


 だが、ベブルが部屋に入ってくると、その声と足音に目を覚まし、頭を持ち上げる。


「なに?」


「予定を聞いてなかった。時空塔にはいつ行けるんだ」


「明々後日」


 フィナは即答した。


「明々後日に出発するのか?」


 ベブルは不服そうに言うと、フィナはすぐに黙ってうなずいた。


「何でそんな遅くに。行って帰って来てから、お前の『寿星の日』を祝えばいいだろうに」


「兄が。準備期間、と」


 フィナはベブルを直視していた。見開いているわけでもないのに、彼女の目は大きい。彼は長い溜息をついた。そして、彼は近くにあった椅子に座る。


「そうかい、そうかい。『真正派』のご都合だな。仕方ねえ。時空塔の場所まで案内してもらわにゃならんからな。俺は、祭りとやらで暇を潰させて貰う」


 ところが、フィナは少し頭を傾ける。


「ない」


「なにがだ」


「祭り」


「はあ? なに言ってるんだ? ヒエルドが言ってただろうが」

 


 ふたりがそんな話をしているところで、部屋にルットーが入って来る。


「おや、いたんだ」


「何の用だ?」


 客であるというのに、ベブルの態度は大きかった。もっとも、これはいまに始まったことではないのだが。


「時空塔の鍵を返しに来たんだ」


 ルットーは部屋の中へ入って来た。彼の手には、青色の『ブート・プログラム』が握られている。


「少し調べたけど、これはかなり有力な候補だ。不思議としか言いようがない、謎の魔力が検知された」


 フィナはルットーから青色の玉を受け取ると、魔法でそれを消した。必要なときに取り出すことができるようにしたのだ。


 それから、ルットーは視線をベブルのほうへ向ける。


「ところで、君たちは何をしているのかな? いま、興味深い言葉が聞こえたと思ったんだが」


「祭りだろ」


 ベブルが言うと、ルットーは大声を上げて反応する。


「それだ! リーリクメルド君、よく知ってるな。そう、このジル・デュールには、かつて、大きな祭りがあったんだ。都市全体で行われる、非常に大きな祭りがね」


 ベブルは眉を顰める。


「昔はあった……。つまり、今はないのか?」


「その通り。神界レイエルスの神を称える祭りでね。この日に行われる善行には全て、祝福が与えられるという話だ。まあ、そのうちに迷信を誰も信じなくなって、祭りは影を潜め、……そうだな。物を贈ったりする風習は残っている。いまとなってはそれくらいかな?」


「なんだよ、祭りはやってないのか」


「まあ、僕らは毎年、その日にはフィナに物を贈っているがね。ちょうど、フィナの『寿星の日』にその祭りがあったんだ」


 ルットーはすらすらと話を進めていった。


 ベブルは心の奥で考える。この女の『寿星の日』にその祭りがあったってことは、つまり、俺の『寿星の日』にその祭りがあったってことか……。


 ルットーは明るい声で言う。


「ま、そう残念がる事もないさ。街をあげての祭りはなくなったけど、この日は特別に、街じゅうの人が優しいんだ。物も安く買えるしね。祭りを楽しみたいなら、半年後の祭礼行進の日にまた来るといい」


 ルットーは取っておきの笑顔をベブルに投げかけたが、ベブルはそれを見てはいなかった。


 ベブルは心の中で、別のことを考えていたのだ。


 いまはもうない祭り……ということは、過去の世界に行けば、祭りをやってるのか? 行ってみるのも面白いかもしれない。


++++++++++

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