第十二章② 忘れているだけ

 ベブルたちふたりはディリムから降りた。過去世界の学問の街、フグティ・ウグフに到着したのだ。


 ベブルは、この街は、この時代でも大いに栄えた町だと思っていた。だが実際には、それほど賑わいのある街ではないことがわかった。同時代のボロネ村よりはずっと繁栄しているものの、ベブルたちの時代(百二十年後)の『学術都市』フグティ・ウグフからは、想像もつかないほどに寂れている。


 どうやら、このあたりには獰猛な魔獣も出没するらしい。この街の近くの林で、大量の血溜まりを見たという噂が流れていた。だが、ベブルたちにとっては脅威ではなかったので、この話には大して興味をもたなかった。


 ベブルはまず、この街で、どうやってヒエルドを捜そうかと思案した。


 フィナがふたり分のディリムを魔法で消し去ると、ふたりは歩き始める。


 そこですぐに、ベブルはいま考えた問題が、まったくの問題外であったことを思い知らされた。


「うわぁ、やめてやぁ!」


 ヒエルドの声だった。


 ベブルたちは走り、建物の角をいくつか曲がって路地裏に入ると、数人の白ローブの魔術師に囲まれて蹴られているヒエルドを発見した。ヒエルドは地面に座り込み、うつむいて叫んでいる。


「この、汚らしい黒ローブのえせ魔術師め!」


「そうだ、そうだ!」


「ここはお前のような暗黒呪術師の来るところじゃないんだよ!」


「田舎へ帰れ!」


 暴行の現場に、ベブルが歩み寄った。何人かの魔術師が彼に気付く。


「なんだ、お前は」


「痛い目に遭いたいのか?」


「その辺にしとけよ」


 ベブルはそう言って、立ち止まった。彼の声で、四人の白ローブの魔術師が全員、こちらを向く。


 蹴りの嵐が収まり、ヒエルドが顔を上げた。そして彼は、誰が自分を救いに来たのかに気付いて声をあげる。


「ベブルンルン!」


「お前、このえせ魔法使いのお友達か?」


 白ローブの魔術師たちが、口々に言い始める。


「だろうな。この汚い魔法使いの仲間らしく、魔術師になり損ねたような格好をしてるからな!」


 ベブルは口を開く。


「今のうちにとっとと消えろ。俺は気が短いんだ」


「何だと?」


 白ローブの魔術師四人はそこを動こうとしない。痺れを切らせて、ベブルは再び歩き始めた。


「おい、お前……」


 ベブルは、自分に触れようとした魔術師たちを無言で軽く払い除ける。そうして、白い魔術師全員を押しのけながらヒエルドを掴むと、踵を返し、歩いて路地の方へ出た。フィナはそこで待っていた。



 ベブルはヒエルドを降ろした。


「ありがとう! ベブルンルン!」


 ベブルは溜息をつく。


「ったく。お前、なんであんな奴らに虐められてんだよ。俺ら、一緒にデルンを倒しに行っただろうが」


 ヒエルドはうつむく。


「うん、でも、やっぱり、魔法は、人を傷つけるのに使うもんとちゃうし……」


 フィナが静かな声で言う。


「シュディエレ?」


「はあ?」


 ベブルは顔を顰めた。フィナがなにを言っているのか理解できなかったのだ。シュディエレといえば、ヒエルドのペットである大犬の魔獣ディリムの名前だ。


 ヒエルドは懐から、石の塊を取り出す。


「あ、うん。シュディエレ、あの人らに、この中に封印されてん」


 ベブルはまたも顔を顰める。


「はあ? お前のシュディエレだったら、あいつらくらい、簡単に食っちまえただろうが」


「うん、でも、僕が言うてん。シュディエレに、街の人に噛み付いたらあかん、って」



 そこへ、先程ヒエルドを袋蹴りにしていた白ローブの魔術師たちが、路地裏から、堂々と歩いて出てくる。ベブルとフィナは、ヒエルドを背後に守りながら、その魔術師たちを睨んでいた。通りを行く人々が、彼らを見ては、見て見ぬ振りをして歩き去る。


 白ローブの魔術師たちのうちひとりが、ベブルたちに言う。


「今日のところは、見逃しておいてやる」


 それから、魔術師たちのうち別のひとりが、白いローブを羽織ったフィナに気付いて言う。


「君も、こんな奴を相手にしないほうがいいぞ。君は見たところ、我々と同じく、ちゃんとした魔術師のようだからな」


 フィナはなにも答えずに、溜息だけをついた。この魔術師たちが格好でしか人間を判断していない愚かさに、呆れてものも言えないのだった。


 白ローブの魔術師たちは、ぞろぞろとその場を去ろうとした。ベブルたち三人は、それを黙って見送る。だが、突然、ヒエルドが彼らに向かって声をあげる。


「シュディエレ出したってや!」


 魔術師たちは歩みを止め、振り返った。閉じられた四つの唇が、どれも無気味に歪み、笑っている。どうやら、ヒエルドの呼びかけは、彼らの予想通りだったらしい。そのうちのひとりが言う。


「我々は、危険な魔法生物を閉じ込めてやったのだ。解放する理由はない」


 不機嫌そうに、ベブルが言い返す。


「あるだろ。シュディエレはこいつの愛玩動物ペットだ。お前らは、こいつの持ち物を勝手に封印したんだろ」


 だが、白ローブの魔術師たちは、ニヤニヤと笑ったまま、その言葉に返事をしない。


 ベブルはここで、もう、我慢するのは止めにしようと思った。殴って言うことを聞かせたほうが手っ取り早い。……だが、フィナがヒエルドからその石を取り上げたのに気付いて、ベブルは殴りかかるのをやめた。彼女の行動のすべてに、なにか意味があることを、すでによく理解している。


 その様子を見て、四人の魔術師たちは声をあげて笑い出す。


「ははは、無理無理。それには、暗号が掛かってるんだ。暗号がわからなければ、解くことはできないぞ」


「そうだ、そうだ。それに、その封印石は特別上等な奴だ。どんな魔術師だって、暗号を突き止めるのは不可能だ」


 そう言われても構わず、フィナはその石に向かって、なにかブツブツと言葉を呟きつづけた。その瞳は真剣で、一瞬たりとも揺らぐことはなかった。


 それから、一瞬、石の上で光が爆ぜると、フィナの前に大犬シュディエレが出現した。四人の白ローブの魔術師たちは目を丸くした。


「なに?」


「なぜ封印を解けた?」


 フィナは問いに答えることなく、無言のまま封印石を地面に投げ捨てると、右手にルビーの杖を召喚し、雷の魔法ガーニヴァモスを石に落として叩き割った。


 シュディエレは喜んでヒエルドの周りで駆け回り、それから彼の頬を舐めまわした。彼は笑いながら、その大犬の首に抱き付いた。


 白ローブの魔術師たちは、騒ぎ立て、無反応のフィナに怒鳴る。


「こ、答えろ!」「どうして封印を解けたかと訊いてるんだ!」


 フィナは首を横に振り、視線を彼らから逸らせた。『相手をしたくない』の意思表示だ。


 代わりに、ベブルが不機嫌そうに、魔術師たちに言い放つ。


「お前ら、うるさいから帰れ。さもねえと、今度はただじゃおかねえぞ」


 魔術師のひとりがベブルに言い返す。


「ふん、なにが。お前は魔術師ではないのだろう。魔法を使えない者が、使える者に指図するつもりか?」


「お前、魔法至上主義のくせに、魔法をよく知りもしねえ。俺が教えてやる。この女はな、いま、力押しで封印を解いたんだよ。暗号なんか無視だ」


「そんな馬鹿な。それは高価たかかったんだぞ!」


 魔術師のひとりが狼狽してそう叫んだ。そんな折、魔術師たちの中の中心人物らしい男が、ついに宣戦布告する。


「よそ者に好き放題されてたまるか! 封印じゃあ生ぬるい! あの犬を始末しろ!」


 その呼びかけに呼応し、魔術師たち全員が持っていた杖を構え、呪文を唱え始めた。無数の炎がベブルたちのほうへ飛んできた。


 だが、ベブルとフィナはなにもせず、それを見ているだけだった。ヒエルドが大結界魔法を使ったのだ。魔法の炎は見えない巨大な壁によって、全てかき消されることとなった。ヒエルドは白ローブの四人に言う。


「魔法を危ないことに使うのはやめてや!」


「馬鹿な……!」


 白い魔術師たちはそう呟き、そのうちの何人かはたじろいで、後じさりをした。


「だからもうそろそろ帰れ。死にたいのか?」


 ベブルはイライラしながら、強い語調でそう言った。


 だが、白い魔術師のひとりが、ベブルの言葉を無視して言う。


「えせ魔術師のくせに……」


 その瞬間、激しい破裂音がして、ベブルの前の地面に大きな穴が開いた。彼が地面を殴ったのだ。その光景には、白い魔術師たちも、驚きを隠せなかった。


「よう、魔法至上主義者ども。次はこれを、貴様らの脳天にくれてやろうか」


 返事はなかった。返事をする前に、白い魔術師たちは悲鳴を上げ、逃げ去ったのだった。



「助けてくれてありがとう」

 

 ヒエルドは、ベブルとフィナに向かって丁寧に頭を下げた。その仕草につられて、シュディエレも、心なしか頭をやや下げたように見えた。


 ベブルは両手を腰に当て、溜息をつく。


「馬鹿だろ、お前。犬をけしかけりゃよかったのによ……」


 しかし、ヒエルドは、その言葉を無視してベブルに言う。


「ベブルンルン、ようやったやん。あの地面の穴、凄い力やから、ベブルンを支配しようとしてる人の力かと思ったけど、あれ、自力でやったんやんか」


 ベブルは思い出した。彼は、そのことを相談するために、ヒエルドに会いに来たのだ。


「そうだな。例の『力』を使ったら、あんなもんじゃない。……いや、それに、あれはもう、使わないことにしたんだ」


「よかったやん」


 ヒエルドは微笑んだ。


 その笑顔を見て、ベブルは返答に困り、なにも言えなくなった。本当は、最近では自ら望まなくても『声』に支配されそうになるのだと言うはずだったのだ。しかし、この笑顔を前にしては、そんな悩みごとが消え去ってしまう。


「あ、そやそや。これ、お礼にあげるわ」


 そう言いながら、ヒエルドは、黒ローブの内側で腰から下げている袋の中をあさり始めた。そして、透き通った青色の玉を取り出す。


「これは……」


 ベブルは驚いていた。色は異なるものの、それは時空塔を起動させた『ブート・プログラム』によく似ている。


「この街の近くの林に行ったときに、仲良くなった木が教えてくれてん。これが埋まってるって。そんで、それ貰ったから持っててんけど、僕持っててもしゃあないし、綺麗やから、お礼にあげるわ」


「ああ……。確かに、お前が持ってるより、俺たちのほうが役に立てられそうだ」


 ベブルはそれを受け取り、それから、フィナに言う。


「おい、これ持って、ザンのところへ行くぞ」


 しかし、フィナは首を横に振る。


「現代に行く。兄に」


 ベブルは唸る。


「なるほど。ディスウィニルクに見せるのか。確かに、これはどうも、他の時空塔のものみてえだ。ザンは他の時空塔の場所を知らないらしいしな。それに、黒魔城より、俺たちの時代のフグティ・ウグフのほうが近い」


「ベブルン」


 ベブルは肩を叩かれる。振り返ってみると、そこには、やはり、ヒエルドの清々しい笑顔があった。


「支配されへんように。それから、支配されへんようにしようとする自分自身にも支配されへんように。それから、僕のこの言葉に支配されへんように。怖がったらあかんで。怒ったらあかんで。でも、何もせえへんのは、もっとあかんもんな」


 ベブルは優しく微笑み返す。


「ありがとな。まったく、お前の言う通りだ」

 

 ベブルは深呼吸をした。ヒエルドの言葉が、彼の心を落ち着かせた。いや、より正確には、ヒエルドが彼を思いやって声を掛けたという事実そのもののもつ効果だった。


 いわば、声と『声』の静かな戦いが、そこで繰り広げられていたのだ。ヒエルドはベブルのもつ不安に、そして、ベブルがここへ来た理由に気づいていたのだ。そして、そのことに触れずに、彼なりの声援を送った。


 ベブルは、呆れたようで、逆に、安心した。そして、こういうたぐいの戦いでは、ヒエルドに勝てる者はいないと確信した。


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