第八章⑥ 彼を変えるものは

 ベブルたち三人は構内の案内板を見ながら、中部構内総合棟『エグァ』にやって来た。そして、そこの一階にある、『事務端末室』に入る。


 そこには、見慣れない装置が置いてあった。ガラス板と金属板のセット。ガラス板は机の上に立ててあり、金属板は机に寝かせてあった。それらのセットが、部屋に幾つも設置してある。


 ベブルたちはこの部屋に入って来た。隣室の事務局の人間に直接情報を求めてもよかったのだが、変に疑われはしないかと思って、ここの機械を利用することにしたのだ。


 他にも、『アカデミー』の学生たちがこの部屋には大勢いた。誰もがこの部屋の装置を利用するために来ているようで、銘々がそれぞれのガラス板と向き合っていた。なので、周りを見回しながら部屋に入って来た挙動不審な三人に特に注意を払う者はいなかった。


 ベブルたちは、ひとりがひとつの装置を使っている中で、三人で、奥に設置されたひとつの装置に歩み寄った。


「……どうやって使うんだ?」


 ベブルがフィナに訊いた。


 だが、フィナの代わりにウォーロウが答える。


「判るわけないだろ。こんな道具、僕らの時代にはないんだ。いろいろいじってやってみるしかない。そうすれば、これで調べられるかもしれないみたいだしな」


 フィナが金属板に手を触れた。すると、システムが立ち上がり、ガラス板に映像を映し出した。その映像は、さながら料理店の献立表のようだ。


「おお!」


「動きましたよ!」


 ベブルとウォーロウが驚いて声をあげた。


「これだこれ、『在籍者目録』って奴だ」


 ベブルがガラス板上の文字を指差した。


 フィナは何も言わずに、金属板を二、三、叩いてみる。


 すると、『在籍者目録』ではなく、『講座受講申請』という項目が開く。


 ベブルが声をあげる。


「だあっ、それじゃねえって!」


「うるさい」


 フィナが不機嫌そうに一言言った。


 ウォーロウがガラス板を指差す。


「フィナさん、落ち着いて。ここに、『前の画面に』っていう項目がありますよ。これです」


「うるさい」

 

 フィナは顰めっ面で金属板を指で叩いて、先程のメニューを表示させた。


 静かなこの部屋で、声を立てて喋っているのはこの三人だけだ。周囲の視線が彼らに集まる。だが、彼らはお構いなしだった。


 不意に、ウォーロウが叫ぶ。


「ちょっと戻って! いま、『魔法通信技術概論』という表題が見えました。さっきの、『講座受講申請』画面に―――」


「おい、この『創立者の訓え』っていうの見てみろよ。ヒエルドの言葉だぜ」


 ベブルが言って、『創立者の訓え』を指差した。ウォーロウはウォーロウで、『講座受講申請』を指差している。


「だまれ」


 フィナは、二本の指を無視して、『在籍者目録』を選択した。


「あ」「ああ」


 ふたりの落胆の声を更に無視して、フィナは『魔法名で検索』を選択する。それから黙ったまま、『レフィニア』、『エルミダート』、『ディグリナート』、『ゼンベルウァウル』と、金属板を使って入力した。そして、『検索開始』した。


「便利なもんだな」


 ベブルは口笛を吹いた。また、周囲の学生たちの抗議の視線が彼らに集まった。だが、彼らは無視した。むしろ、気付いてすらいない。


 そして、該当者が表になって、ガラス板上に示された。


 ディリア・レフィニア――― 時空理論研究科在籍。先進魔法開発科卒。真正派。

 ウェルディシナ・エルミダート――― 生魔法学科在籍。真正派。

 [ディグリナート―――該当資料なし]

 ナデュク・ゼンベルウァウル―――古代魔法研究科在籍。魔法史学科卒。真正派。


「時空理論研究科?」


 ベブルが訝しんだ。ディリアの在籍研究科は、彼女の自己申告のものと異なっているのだ。


 ウォーロウも頷く。


「環境学じゃないぞ。ディスウィニルクさんの専門とも違う。むしろ、カルドレイさんの分野だ」


 それともうひとつ、気になることがある。


「ディグリナート――『星隕の魔術師』、あの魔導銃剣使いが、目録に……?」


 ベブルがそう、呟いた。


 ウォーロウが訊ねる。


「フィナさん。これには、師となった人は載っていないのですか? 『星隕』は、彼らの中では随分年上のようでしたし……」


「載っている」


 フィナはそう言って、ガラス板上の文字列を指で示した。


 在籍者目録――現在および過去五年間に『アカデミー』に在籍する学生、研究生、学者、マスターおよびその他の関係者の名前と所属部局の記録。


「じゃあ、『星隕』は、過去五年間の間には、この『アカデミー』に所属していなかったってことか」


 ベブルがそう言うと、フィナは頷いた。


 どういうことだ? ベブルはじっと考える。『アールガロイ真正派』が三人、『真正派』に共通した黒ローブを纏った部外者がひとり。妥当な線としては、五年以上前に『アカデミー』を、そして『真正派』を去った魔術師が舞い戻って来たといったところだろうか。



「手分けして当たるしかねえな。俺がレフィニアを、それからお前がエルミダートを。それからお前がゼンベルウァウルについて調べてくる。……日暮れまでに、さっきの樹のところへ戻る。これでいいだろう?」


 ベブルはそう言った。ウォーロウにはウェルディシナ・エルミダートの調査を、フィナにはナデュク・ゼンベルウァウルの調査を割り当てた。


「別に……悪くはないな」


 ウォーロウがしぶしぶ言った。彼にとって、ベブルの意見を認めることは、すべてが「しぶしぶ」だ。


 ベブルが忠告する。


「だが、お前らは本人に会っても、戦うなよ。ろくなことにならんからな」


「それはお前だ」


 ウォーロウが言った。


「遠ざけようと」


 フィナが言って、彼女はじっとベブルの瞳の奥を見つめた。ベブルは視線を逸らす。


「最近は特にな。『声』からは遠ざかろうとしてる。あいつ、嫌な感じがするしな」


「戦うな」


 フィナが忠告を返した。

 

「実力で、余裕で勝てる」


 ベブルはフン、と鼻を鳴らした。だが、フィナと目を合わせなかった。


++++++++++


 それから三人は別れて、それぞれに『未来人』について調査を開始した。


 案内板を見て、フィナは古代魔法研究科に、ウォーロウは生魔法学科に向かった。しかし、ベブルだけは素直に時空研究科に行かなかった。


 ベブルはとある学生棟の廊下の曲り角に座り込んでいた。そして、耳を澄ます。


 足音が聞こえる。


 コツン、コツン。


 ひとりか。


 彼は不意に立ち上がり、廊下に飛び出した。


 そこには、本を読みながら何かぶつぶつと独り言を繰り返す、黒ローブの学生がいた。廊下にはベブルと、この学生しかいない。黒ローブの学生は目の前に急に現れたベブルを避けて進もうとしたが、それはできなかった。


 殴り倒されたからだ。


「ああ、黒かよ。まあいいか」


 そう言いながらベブルは、白目を剥いて気を失っている黒ローブの学生を、無人の部屋に引きずり込んだ。


 そして、部屋から出てきたベブルは、例の学生から剥いだ黒ローブを羽織っていた。ローブはもともとゆったりとしているので、大きさに問題はない。


「白か黒のローブを着てねえと、部外者だってばれちまうからな。これを着てれば、『アカデミー』内、どこに行っても問題ねえってことだ」


 そう呟いて、ベブルは満足げに学生棟を後にした。フィナやウォーロウは一般の魔術師が身につける白ローブを着ているが、ベブルだけは、魔術師ではないので、ローブを着ていなかったのだった。



 そして、暫くして、殴り倒された学生が目を覚ます。


「痛、痛……。そうだ、僕は廊下の陰から出てきた暴漢に襲われて……。い、痛っ! 骨が折れてるんじゃないのか? だ、誰かぁ! 助けてくれ!」


 その声を聞きつけて、他の学生たちや教員が駆けつける。


「ど、どうした!」


「いきなり殴られて……、そうだ、ローブを盗まれました」


 その学生はようやくそのことに気付いたようだ。


「何だって? 名前は?」


「モイディリ・ダントーニス。『真正派』所属です」


「ダントーニス君、とりあえず医務室に行ったほうがいい。暴漢についての連絡は、私が事務局にしておく」


 教員の男が、床の上にへたっているモイディリを支え起こした。その間も頬が痛むのか、モイディリは始終うめいていた。


「ウォルティマナ師! これを見てください!」


 教員の男——ウォルティマナに、他の学生から声が掛かった。学生の指差す先には、無残にも破壊された実験器具があった。


「何てことだ……」


 ウォルティマナは呆然とその光景を眺めていた。これでは学生実験ができない。彼の肩に支えられているモイディリはひいひい泣きそうな声で痛がっていた。別に骨が折れているわけではない。ベブルは勿論、手加減したのだ。


 学生たちのうちのひとりが、広範囲に破壊された実験器具群の中に落ちている四角い塊を発見した。そして、それを拾い上げる。


「ウォルティマナ師、本です。本で実験器具を壊したようです」


「本だって?」


 ウォルティマナが言う。学生が持ってきて、手渡される。確かに本だ。革のハードカバーの、分厚く重い本だった。その本を見ると、彼は、肩を貸しているモイディリをじろりと見た。


「この本にはダントーニス蔵書と書いてあるが、君の本ではないかね?」


「そ、そうです。僕の本です。暴漢に襲われたときに、なくなってしまったのだと思ったのですが」


「どうやら、実験器具はこの本で壊されたようだね。しかも、故意に、広範囲に」


「そのようですね。ひどい暴漢だ」


「それは君だろう!」


「ええっ?」


 ウォルティマナはモイディリを疑っているのだ。


「君が実験器具を壊した。その言い逃れをするために、暴漢に襲われたなどと嘘をついた。違うかね?」


「違います!」


 モイディリは否定した。彼は無実だ。だが、ウォルティマナは取り合わない。


「詳しい話は事務局で聞こう。医務室に行く必要はない」


「そんな、骨が折れてるかも」


「下手な芝居はもういい!」


 モイディリは集まった学生たちによって、事務局へと連行された。

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