第八章⑦ 彼を変えるものは

 『真正派』の黒いローブを纏ったベブルは、時空研究科に行かずに、中部構内の広場にやって来た。彼の時代の『アカデミー』では広場は南部構内にあったが、この時代では広場は中部構内にある。


「あった」


 ベブルはにやりと笑った。


 屋外の喫茶店が見つかったのだ。


 ベブルが最初にディリア・レフィニアに逢った時、彼女は『アカデミー』の屋外喫茶店で飲み物を飲んでいた。もしかすると、ここで彼女を見つけることができるかもしれない。


 飲み物を買うと、ベブルは座る場所を探した。だが、人だらけで、開いているテーブルがない。こんな混雑状態だというのに、飲み物を買ったとき、彼の後ろにはなおも大勢の学生たちが並んでいた。


 ベブルは何とか、空いている席を発見した。その小さなテーブルは二人用で、既にひとり座っていたが、構わずそこに座った。向かいに座っているのは、ブロンドの青年だった。黒のベッドバンドを巻き、上下、黒い服を着ている。そして、右肩、腰、左足などに、皮製と思われる防具をつけている。両手には、肘まである手袋。


 こいつは絶対に魔術師じゃねえ。外部の奴だな。


 青年は一瞬、ちらと、向かいに座った彼を見た。


 淡い青目。


 ベブルはどこかで、それを見たような気がした。


 青年は自分の飲み物を一口飲むと、周囲の人込みの中を、何かを目で探している。


「あの、貴方は『真正派』の方ですか?」


 青年はそうベブルに訊いた。黒ローブを羽織っているからだ。


「ああ……、一応な」


 ベブルはそう言って、彼の飲み物を飲んだ。冷たく、少し酸っぱい。


「では、ご存知ないですか? ……ええと、『紅涙』や『星隕』などという人は? 『真正派』所属だと思うのですが」


 その発言は、当然ながら、ベブルを驚愕させた。


 この状況で考えられることは三つ。


 一 この青年も『未来人』たちの仲間である。ベブルの潜入に気付いた。

 二 『未来人』たちは、この時代では本名を明かさない生活をしている。

 三 彼も『未来人』たちを潜入捜査している。


 最後の選択肢はありえねえな。と、ベブルは思った。じゃあ、一か二だ。もっともらしいのは、一。


 ベブルは暫く、黙ってみることにした。青年が口を開く。


「いや、僕は、その人たちに用があってここに来たんですが、本名がわからないんですよね。彼女たちに会うように言った人も、本名を知らせられてない、とかいうことで」


 二番か。ありえねえ。奴ら、本気で、自分たちの時代で、あんなイカレた名前で生活してるってことなのか。だが、一番平和なコースだな。


 黒尽くめの金髪の青年はここで名乗る。


「ああ、僕はウィードといいます。お察しのとおり、『アカデミー』に在籍していませんし、魔術師でもありません。だから、魔法名もありません。貴方は?」


 ベブル・リーリクメルド。一瞬、正直にそう言いそうになった。まずい。まだ、この青年が『未来人』の仲間ではないとは、はっきり判っていない。


「ベ……、ベルド。ベルド・リーリクメル。そう、リーリクメルだ」


 その名を訊いて、ウィードは一瞬、きょとんとしていた。そして、「ああ!」と言った。


「すごい名前ですね、『リーリクメル』なんて。あの、ベブル・リーリクメルド師の魔法名にそっくりですね」


 やはり、こいつは俺のことに気付いていたんだな!


 ベブルはすぐさまウィードに襲い掛かろうかと思った。だが、どうも様子が変だ。ウィードはああ言ってから、またコップを口に付けている。戦う意思が感じられない。それに、表情も明るく、戦う者の顔ではない。


「ああ、悪い。ベブル・リーリクメルドっていうのは何なんだ?」


 ベブルは鎌を掛けてみることにした。ウィードは驚く。


「知らないんですか? ベブル・リーリクメルド師ですよ?」


「ああ、知らない」


 ベブルは首を横に振った。


「『アカデミー』に属さない、霊峰ルメルトス派出身の魔術師であり、自然を愛し、ボロネの風と光の森に庵を結んだ、あの偉大な、隠遁の魔術師ですよ?」


 ウィードはそう説明した。


 俺が、偉大な魔術師? そういえば、『紅涙』が、最初に会ったときに言っていたような気がする。俺が『偉大な魔術師』とやらになる、と。


「そうなのか。知らなかった。歴史は俺の範囲外でね」


 ベブルは興味なさげに言った。学生の真似もだんだんと板についてきた。


 困惑したようにウィードが言う。


「歴史は歴史ですが……。僕たちの祖父、祖母の年代の話ですよ。そんなに大昔のことじゃないんですから」


 これでひとつ判った。この時代は、俺たちの世界から、大体二世代あと……。つまり、ざっと六十年後の世界だと言える。


「今度調べとく。それより、『紅涙』とか、『星隕』とかってのは?」


「ああ、それなんですけど」


 ウィードは声のトーンを落とした。そして、黙る。


 仕方がないので、ベブルは一言加えてみる。


「本名が判らない、って言ってもな。俺だって、本名を言ってもらわないと探しようがねえんだ。いくらそいつらが俺と同じ『真正派』だからってな」


「そうですよね……」


「そもそも、お前は何でそいつらを探してるんだ?」


 ウィードが重々しく口を開く。


「実は……。僕の友人が、彼女ら――謎の暗号名コードネームで互いを呼び合う集団――に襲われたらしいんですよ。それも、三度も。僕がいないときばかりだったらしくて、僕には犯人が誰かはわからないんです」


 つまり、選択肢三が正解だ。


「誰が襲われたんだ?」


「友人です」


「……そうじゃねえって。名前だよ、名前」


 そういえばベブルはウィードとは当然初対面なのだが、非常に馴れ馴れしい。


 ウィードが呟くように言う。


「名前……。あの……ルーウィングさんです……」


 ルーウィング? 未来人たちが度々口にした名前だ。ルーウィングについても、殺そうとしているのだとか何とかということを言ってきた気がする。だが、それが誰だか判らない。


「誰だ、それは。名前じゃ判らんな。何やってる奴だ? そいつ?」


 ベブルは眉を顰めた。両肘はテーブルに突いている。


 ウィードはまた、驚いたような表情をした。この名前も、この時代では、知っていて当然だったのだろうか?


「本当に知らないんですか?」


「知らんな。それより第一、お前は『紅涙』たちの顔を知らんのだろ? だが、そのルーウィングって奴はそいつらの顔を知っている。じゃあお前より、そいつがここに来るべきなんじゃねえのか?」


「そうなんですが……。あの、彼女は有名人で、身体的、言動的特徴もよく知られているので、ここは来れなかったんですよ。こっそり『紅涙』たちのことを探す気でいましたから……」


 思わず、ベブルが声をあげる。


「“彼女”!? 待て、そいつ、ルーウィングって女だったのか!? あの連中を、女が返り討ちにしたってのか!?」


「そうですよ。本当に、ルーウィングさんの事を知らないんですか? と、それより――」


 ウィードの表情が険しくなる。


「貴方、『紅涙』たちを知っているんですね?」


「ああ……まあな」


 ベブルは内心、しまった、と思った。ここまで知らない振りをしていたからだ。だが、こうなっては仕方がない。嘘を吐き通す。


「実は、俺も奴らに襲撃されたことがあるんだ。お前が奴らの仲間なんじゃないかって、警戒して知らん振りをしたんだ」


 随分、嘘をつくのにも慣れてきた。意外にも、相手はすぐに信じる。


「なんだ、そうだったんですか。彼女ら、貴方にも攻撃していたんですね。しかし、どうして……」


「それは、俺が聞きたいところだな」


 ベブルは頷いた。この意見は本心だ。



 そのとき、ベブルの背後、少し離れたところで、彼の知っている声がした。ここは人が非常に多く、声などはどこでもしている。だが、彼の耳は的確に、遠くの音を拾っていた。


「ディリア、お前は無断で頻繁に過去に行っているようだな」


 『紅涙の魔女』、ウェルディシナ・エルミダートの声だ。


「だから何だと言うの? それは私の自由じゃないの?」


 今度は『蒼潤の魔女』、ディリア・レフィニアの声だ。


 『未来人』の他のメンバーの声はしない。どうやら彼女らふたりで屋外喫茶店に来ているようだ。


「ウィード」


 ベブルは呟くように言った。


「何です?」


 ウィードも彼に合わせて、声を小さくした。


「俺の後ろ……遠くに、『真正派』の女で、青髪と黒髪のふたり組はいないか?」


「……います。六つ向こうのテーブルに……座っています」


「黒髪の方が『紅涙』、エルミダート。青の方が『蒼潤』、レフィニアだ」


 ベブルは囁いた。


「どうします? 僕は彼女らをつけたいのですが、ここでは声が聞こえないので、向こうに移動しますね」


 ウィードが言って、席を立とうとするが、ベブルがそれを止める。


「俺の耳にはちゃんと聞こえてるんだ」


「そんな……こんなに騒音がしているのに?」


「その方が都合いいだろ? 俺たちの声は向こうには聞こえない」


 それを聞いて、ウィードは席に戻る。


「それならば……、お願いします」


「わかってる。あと、俺は振り向かない。面が割れてるからな。奴らが行動を起こしたのが見えたら教えてくれ」


「わかりました」


 ウィードは頷いた。



「向こうにいるの……、『漆黒の魔剣士』ウィードじゃない?」


 ディリアが言った。


「気付かれたみたいですよ。指を差しています」


 ウィードがベブルに言った。


「気付かれたのはお前だけだ。あまり目を合わせるなよ」


 ベブルはそう言って、テーブルの上に、頭を抱えて俯いた。


「大丈夫だ、声が聞こえはしない。それに奴は、顔は知らないはずだからな」


 遠くでウェルディシナが言った。


「……問題ない。奴ら、お前が気付いてないと思ってる」


 ベブルが言った。ウィードはほっと胸を撫で下ろす。


「それはよかったです」


 それからウィードは、できるだけ、魔女たちとは関係のない物を見ているような素振りに努めた。

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