第五章③ 共に生きるもの
ベブルたち三人は魔獣ディリムに乗って、ボロネ村の北にある森へと向かって行った。ベブルが乗っているディリムはウォーロウがつくったものだった。彼ら三人が合流して初めのうちは、フィナが無言でつくってベブルに貸していたのだが、最近では、フィナがベブルに世話を焼くのを嫌ったウォーロウがふたり分つくっていて貸している。
見る間に村は遠ざかり、そして森が近づいてくる。陽に照らされて輝く森が。風に、幻覚のようにささめいている。
三人は大犬から降り、フィナとウォーロウはそれぞれ、乗り物を消した。
「さて、森まで来たけれど、渡すべき人はどこにいるのだろう。森の奥だろうか」
ウォーロウが、木の生い茂った森の奥を見回した。
「さあな」
ベブルは両手を頭の上で組む。人探しにはまったく興味なかった。だが、この森はひそかに気に入っていた。欠伸をかくと、彼はまた言った。
「行こうぜ」
三人は森の奥へと入っていった。
すぐに、昨日出てきた洞窟の入り口に差し掛かったが、今日はそこには入らなかった。まだ何もないからだ。ここまで来て、妙な名前の人物は見つからなかった。彼らはもっと奥へ入ってみることにした。
鳥の鳴き声がする。木の上を、尾の長い小動物が駆けて行った。そばの茂みが、がさごそ音を立てたが、何も現れなかった。頭上の木の葉が鳴った。鳥が飛んでいる。
木の根が大きく張り出していた。ベブルはそれを乗り越える。
森の中独特の、湿った匂いがする。
随分と奥まで来たところで、ベブルは大きな樹の上に何かを発見した。黒いもの。始めは何かが乗っているとだけしかわからなかったが、やがてその黒いものが布であることがわかった。樹の上にいるのは、黒い服を来た人間だ。
その人は大樹の上でじっと動かなかった。太い枝の上に横になって、眠っているようだ。
「なんだこいつは」
ベブルはその妙な人間を見て、思わず呟いてしまった。
「この人かもしれませんね。声をかけてみましょうか」
ウォーロウはフィナに言った。彼女は頷いた。頷いたので、彼はその人物に声をかける。
「すみませーーーん」
その声に、樹の上で眠っている人物は少し反応した。それから、体をもぞもぞと動かし、そして下を見やった。
「何?」
金髪の男だった。年齢は青年と言えるほどだろうが、その雰囲気、顔つきは明らかに少年だった。彼は眠そうに目をこする。髪はぼさぼさだった。もう長い間、梳いていないのだろう。
「ドートさんをご存知ですか?」
ウォーロウはそう訊いた。この質問に対する反応によって、この人物が例の人物なのかどうかを判定するつもりである。
「知ってるよ。村の人やろ? どうしたん?」
樹の上の人はそう答えた。今度はベブルが言う。
「俺たちは、そいつからの届け物を預かってるんだ。ヒエなんとかいう奴を知らないか?」
それを聞くと、大樹の上の人物は身を乗り出し、そのまま頭から飛び降りた。そして、空中で一回転し、両足で地面に降りた。
「それ僕やん」
「失礼ですが、お名前は?」
ウォーロウがそう訊いた。あくまで、笑顔は絶やさずに。
樹から飛び降りてきた人物は答える。
「僕はヒエルド。アールガロイとかいう名前もあるけど、ヒエリンっていう名前が一番気に入ってる」
「ヒエ……」
ウォーロウが小さな声で呟いた。どうやらフィナもその名前には気がついたようだ。彼女の目はいつもよりは大きく開いていた。反応しなかったのはベブルだけだ。
ウォーロウが驚嘆の声をあげる。
「ま、まさかあなたは、ヒエルド・アールガロイ師ですか!?」
「なんだそれは」
ベブルがひとり、何事かを理解してなかった。ヒエルドはともかく、アールガロイはよく聞いた名前のはずであったのに。
「お前、もう忘れたのか? 『アールガロイ魔術アカデミー』の創始者の偉大な魔術師じゃないか!」
ウォーロウは情けながった。
「師って? 僕はそんな
ヒエルドはウォーロウの方をじっと見た。
「あ、ああ、はい。これです」
ウォーロウは慌てて、召喚待機魔法空間から例の麻袋を取り出し、それを両手に抱えた。そして、それをヒエルドに手渡す。
ヒエルドは麻袋を受け取って喜ぶ。
「わぁすごい、いまの魔法。あっ、畑野菜やぁ。この前、森の果物をあげたから、そのお返しか。森の果物は森のものやのに、気ぃつかってくれたんやなぁ。わざわざ持ってきてくれてありがとう」
「い、いえ。なんでもないです、これくらい」
ウォーロウはまごついていた。
「しっかしよぉ、こいつ、本当にアールガロイなのか? 全然偉い魔術師っぽくねえじゃねえか。人違いかもよ」
ベブルはウォーロウにそう言った。ウォーロウは頭にきたが、確かに、そう思えなくもない。伝説の大魔術師にしては、あまりにも能天気で、立派でなさ過ぎる。
ヒエルド・アールガロイは、現代の『アールガロイ真正派』に受け継がれているような黒ローブを着ている。一般の普通の魔術師が白ローブを着ている中、ただひとり黒いローブを身に付けていたという伝説どおりだ。しかし、現代の『真正派』ではローブはきちんと着なければならないのだが、ヒエルドは長すぎる袖を捲り上げているし、ローブは全体に泥で汚れに汚れている。さらに、よれていて左右非対称だった。
「……あなたは魔術師ですか?」
ウォーロウは思わずそう訊いた。
ヒエルドは男性にしては高い声で答える。
「うん、そやで。一番得意なのは
何がえっへんだ……。フィナもウォーロウもそう思った。そんな魔法は魔術師の基本中の基本。魔術師なら誰もが知っていて当然のものだった。
「『未来人』じゃあねえんだよな」
ベブルはヒエルドに訊いた。『未来人』たちは皆、黒いローブを着ていたからだ。
「なにそれ?」
ヒエルドはきょとんとして訊き返した。違う、絶対こいつは『未来人』じゃねえ。ベブルは心の中で確信した。いままで戦ってきた奴らとはまったく違って、何もできなさそうだ。
ヒエルドは受け取った麻袋を、自分が今まで上に乗って眠っていた大樹の根元に置いた。そうしながら、彼はベブルたちに訊く。
「で、君らはなに?」
「俺たちか? 俺たちはただのおつかいだ。ここにはたいした用はない。魔王の城に行く途中なだけだ」
ウォーロウが睨む。偉大な魔術師をもっと敬え、ということだが、そんなことがベブルに通用するはずがない。
ヒエルドは頓狂な声をあげる。
「わお! 魔王! 僕も、魔王と話をしようと思とったとこやねん。なんか、村の人たちは、ここ最近森がおびえてるのは魔王のせいやって言ってたし」
「森がおびえてる?」
ベブルは訊き返した。まったく意味不明な文章だ。
ヒエルドは顔を上に向ける。
「うん。ほら、樹が話してる。僕にも。恐ろしい魔獣が来て、鳥とか、動物たちを殺してるんやって……。木たちも怖がってる。このままやと、森からは動物たちがいなくなるから。人も入れなくなる。ここが、魔物の住む恐ろしい森になってしまう。森は、動物たちがかわいそうやって。小さい子らが殺されるのは、かわいそうや、って」
木がざわめく。ヒエルドの言葉に賛同しているかのように。
「ここの木たちは、みんなやさしいねん。だから僕も、ずっとここに住んでんねん」
森を愛し、森に住むゆえに、森も彼を愛し、彼をこの森で生かしているのだった。
小鳥が飛んできた。ヒエルドが手を出すと、小鳥はその手にとまった。
「どうしたん?」
小鳥に向かっての満面の笑み。
ウォーロウはそんなヒエルドを見ながら、隣に立っているフィナに耳打ちする。
「アールガロイ師は、動物や非生物との会話能力をもっているようですね。さすがに、偉大な魔術師は違いますね」
「教義」
「ええ、そうです。自然とのつながりを深く認識するのは、『アールガロイ真正派』の基本理念そのものですね」
「わぁっ!」
ヒエルドが声をあげたので、ベブルたち三人は彼の方を向いた。ヒエルドはフィナを見て驚いたようだった。彼はフィナに言った。
「君、喋れるんやん! ずっと何も言わへんかったから、喋られへんのかと思った! ああびっくりしたなぁ!」
なんだこいつは。ベブルは思った。生き物でないものとまで話ができるくせに、人間が喋ったら驚くってのは、一体何なんだ。
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