第四章④ 手と手取り合い
三人はもと来た道を引き返し始めた。魔法の光を杖の先につけて、あたりを照らしながら進んだ。
だが、行きには現れなかった魔獣たちが、たびたび現れては彼らに襲い掛かってきた。
再び、毒の霧が噴き出した。それから、魔獣ヌゥが三頭、群れになって彼らに襲い掛かった。ひとり一匹を相手にすることになった。
一番先にノルマを達成したのはウォーロウだった。続いてフィナ。そしてベブルは最も遅かった。
「クソ……。毒のせいで思うように動けねえ……」
ベブルは悔しがった。結局、魔獣を倒したのは、殴って痛めつけたあとだったものの、彼が唯一使える魔法“エグルファイナ”でのことだった。
魔法の解毒剤を使い、ウォーロウの治癒魔法を使い、おかげで持ち直したものの、この調子が出口まで続くとかなり辛い。
―― 妾の声を聞けばよいのだ。
いまは聞きたくない。何者かもわからない、奇妙な声を相手にしたくはなかった。
―― お前が小さい頃、泣いていたときには妾があれほど慰めてやったというのに。
「……行くぞ」
毒に当てられて座り込んでいたベブルは、体の調子が治ったので、立ち上がった。
ベブルは気づいた。フィナの瞳がじっと自分を見下ろしていたことに。
……そういえば、こいつもあの声が聞こえるんだったな。俺に語りかけてくる声が。
フィナはきびすを返して、出口へと歩いていった。ウォーロウもそのあとに続き、そして追い越して彼女の前を歩いた。ベブルは彼女のあとに続いた。
三人の前に、浮遊している球形の魔獣が出現した。
「次から次へと……」
ベブルは構え、先手を取ろうとした。この魔獣はたいしたことはないと彼は知っていた。大きな一つ目と、裂けた大きな口が特徴的な魔獣、『大目玉』。これはノール・ノルザニの闘技場で彼がよく出した魔獣だ。
だが、その魔獣がベブルを睨むと、彼は途端に動きにくくなった。
「石化効果のある魔法です! 気をつけてください!」
ウォーロウがフィナに言った。
おいちょっと待てよ。ベブルは心の中で思った。じゃあ俺はこれから石になっていくのかよ。
魔獣はただの大目玉ではなかった。ウェルディシナ・エルミダートが捕獲して改造したものだったのだ。また、石化の魔法効果はナデュクの協力によるものだ。
浮遊する魔獣は、次に
大地震が起こり、四方から岩の塊が飛んで来た。フィナとウォーロウは魔法障壁で身を守った。ベブルにはそれはできなかったが、なんとか無事だった。
地震のせいで壁が崩れ、そこから新たな道が現れた。三人はそちらに逃げ込んだ。そちらのほうが広かったからだ。
改造大目玉は彼らを追い、炎の魔法を使った。ウォーロウが魔法で身を守りながら立ち向かい、鉄の杖で殴りかかった。魔獣がひるむと、すかさず光の魔法を唱え、閃光の一撃で魔獣を倒した。
そのころ、ベブルはじわじわと石化しつつあった。徐々に、体の動きが遅くなり、関節の可動範囲が狭くなる。思うように四肢が動かせなくなる。
「おい、これも治してくれ」
ベブルは動きにくくなった腕を見せながら、フィナに言った。だが、彼女の答えは非情なものだった。
「無理」
「は?」
「石化を治す魔法は、僕もフィナさんも習得していない。それに、石化治療の魔法薬は買ってこなかった。だいたい、めったにあるもんじゃないからな」
ウォーロウが、フィナの代わりに説明した。
「おいこら、石になるのを黙って見てろってのか」
「石になったらラトルまで運んでやるから安心しろ。ソナドーン師なら治せる」
なんてこった……。
―― 妾の声を聞くがいい。
―― 妾に触れれば、すべてがお前の思うままだ。
―― お前は完全な存在になれる。
ベブルの心は揺れた。このまま石になって恥をさらすよりは、謎の声の言うとおり、『彼女』に触れて、あの『力』を得るほうが良いように思えた。よくよく考えたら、『声』の言うとおりにして損することなんてないんじゃないのか?
「好きにしろ」
フィナがベブルにそう言った。『声』に従うか否かは自分で決めろ、ということだった。
瞬間、ウォーロウが杖を構えた。またも敵の新手が現れたようだ。
「ヘブだ」
ウォーロウが言ったとおり、今度現れたのはヘブ竜だった。だが、先ほどの大目玉同様、どう改造されているかわかったものではない。
ヘブは何かの魔法を発動させた。とっさに、ウォーロウとフィナは杖を構えたが、こんどは魔力障壁が使えなかった。
「これは……魔法封じ! 『蒼潤』の魔法の力が付与されています!」
次に、あの毒の霧が急に立ち込めてきた。毒を吸い込んでしまい、フィナもウォーロウも思うように動けない。ベブルはどんどん体が石になっていくので、もともとその場を動けなかった。
「お前ら、ちゃんと戦え!」
ベブルは残りのふたりに向かって叫んだが、彼女らは彼の期待に応えられなかった。
フィナは毒のためにその場に膝をつき、そして倒れた。ウォーロウはよろよろと鉄の杖で殴りかかったが、それが当たる前にヘブは
あたりは闇に閉ざされた。フィナやウォーロウの魔法の光がなくなったからだ。
ベブルは動きたかったが動けなかった。もう半分以上石になりつつあったし、毒のために呼吸もままならなかった。
勝利を確信したかのように吼えると、魔獣はベブルに向かって突進してきた。石になりつつあるベブルを叩いて砕くつもりだった。
妾の許へ――
「俺に力を貸せえええっ!」
急に体が自由に動くようになった。彼の体はもはや石ではなかった。体中に自分のものではない力があふれ返る。いや、――これが自分の力となるのだ。
ヘブ竜は怯んだ。目の前にいる化け物――ベブルに恐怖したのだ。だが、原初の存在の力を得た生き物は、止まりはしなかった。
奇妙な風切音。拳が魔獣の腹に命中する。威力はそのまま腹から背に抜け、その衝撃波がヘブの躯を震わせ、そして、魔獣は砕け散り、消滅した。
ベブルは構えていた。巨大なヘブ竜は、彼の前から消え去っていた。
―― 妾はずっとお前のそばにいたのだ。
―― 母と死に別れて泣いておったお前を慰めつづけたのは妾だ。
―― 力のないお前に力を与えつづけたのは妾だ。
―― それもこれも、お前が大切だからこそ。妾の言うとおりにすればよい。
「だったら……」
―― どうしたのだ? 言うてみよ。
「だったらなんでこんなに、お前といたらむかつくんだ?」
―― 何を言う。妾はお前を大切に―――
声は聞こえなくなった。
「奴に『触れる』のも、このくらいに加減すれば、声は聞こえないみたいだな」
そう言ってベブルは傍らにあった岩の塊を殴った。彼の力が岩を貫通し、細い穴を開け、そこから煙がたった。
ベブルは闇の中に倒れているフィナのほうに駆け寄った。彼女を揺さぶってみたが、反応はない。次に、同様に倒れているウォーロウの方へ行き、少々強めに揺すった。すると、彼は目を覚ました。
「とっとと起きやがれ」
「魔獣はどうした? それにお前は石になったはずだが……」
かぶりを振りながら、ウォーロウは起き上がった。彼は魔法の光を灯した。これで周囲がかなり明るくなった。
「俺が片付けた」
ウォーロウは倒れているフィナを見つけ、ベブルの発言は無視して、鉄の杖に寄りかかって立ち上がり、よたよたと彼女の許に駆けつけた。彼は治癒魔法を彼女と自分自身にかけた。
ようやくフィナは気がつき、起き上がると魔法の解毒剤を召喚して、それを飲んだ。そしてサファイアの杖を手にとり、その先に光を灯した。ウォーロウも彼女に解毒剤を貰って、飲んだ。これでやっと一段落ついた。
ここまでの戦いで、三人とも、少なからず服に泥と血をつけていた。
「帰るぞ」
ベブルがそう言ったが、フィナはまったく動かず、座り込んだままだった。そういうとき、彼女は何かを注視していることがある。彼は、彼女の視線の先を追った。
ベブルが見やると、床に穴が開いていた。ヘブドラゴンが使った雷の魔法が開けたものだった。だが、それはただの穴ではないようだ。
フィナは立ち上がると、そちらに歩いていった。そして、魔法を使って床の穴を大きくした。そこには、更に地下へと潜っていく階段があった。だがその階段は、この洞窟に入ったときに下った岩の階段とは違って、なんらかの金属を用いて作られた、光沢のあるものだった。
「明らかに、誰かが作ったものですね。それも、高度な技術を持った」
ウォーロウがそうコメントした。
「おい、女」
ベブルが訊いた。
「フィナ・デューメルク」
フィナが、階段から目をそらさずに言った。
「デューメルク、どうするんだ」
「行く」
フィナはそう言い、その階段を下っていった。
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