第四章② 手と手取り合い
朝起きてからずっと、ベブルはむすっとしていた。その理由は、彼自身もよくは知らなかった。ただ、何か気持ちの悪いものに取り憑かれているような気分で、晴れ晴れとしないのだった。
夢の中で、あの『声』を聞いた気がする。
ベブル、フィナ、ウォーロウの三人は、七日の行程ののち、ボロネ村に着こうとしていた。
突然のボロネ村行きは、ウォーロウが提案したのだった。当然、フィナは最初その提案を却下した。だが、ウォーロウに『未来人に直接会って、時間移動の魔法書があると言われた』、『その洞窟はデルンの研究施設だった』と言われると、彼女は押し黙った。
フィナは考えていたのだった。現在残っているデルン宮殿跡は、あくまでも宮殿の跡だ。ほかに研究施設を持っていたと考えるのは妥当だ。それに、ボロネ村といえば、デルン自身の故郷として知られる場所だ。そこに研究施設があってもおかしくはない。信憑性はある。
だが、残る疑問は、なぜ『未来人』がウォーロウに接触したかということだ。フィナはウォーロウをじっと見た。彼は彼女に微笑んだ。信用できない。だけど。
フィナは結論として、ボロネ行きを承諾した。
フィナの考えはこうだ。ウォーロウがいう『未来人』が本物であったかどうかは、もはやわからない。本物だとすれば、ボロネには何かあるだろう。そうでなければ、無駄足になるだろう。真贋を見極めるには、動いてみるほかはない。ベブルも自分について来るだろう。彼も少しでも可能性があれば動くはずだ。彼のあの力、あの声は気になるところだ。あれらは何か。なぜ『未来人』たちは彼を脅威とみなしたのか。進むことで見極めよう。
一方のベブルはというと、ふたりの話し合いにはまったく口を挟まなかった。もとい、挟むことができなかった。彼自身にはたいした情報がない。だいいち、話題にのぼっている大魔術師デルンの名前さえ、彼は聞いたことがなかったのだから。
なにがなんだか知らねえが。ベブルはあくびをかいた。この女が決めたんなら別にいいだろう。どうにしろ、俺とこの女は『未来人』どもに狙われてんだからな。それにもし、その洞窟が大魔術師の工房だってんなら、この女には何かできるんだろう。本物にせよ偽物にせよ、この女に任せることになるんだろうが、利用できるだけさせてもらうか。
それにしても、俺を呼ぶあの声は何なのだろうか。自分だけを呼ぶ声。すべての生き物の母……。万物の根源……。
彼ら三人はボロネ村に入り、またがっていたディリムから降りた。フィナとウォーロウはディリムを魔法で消した。
ボロネはのどかな村で、土の地面、背の低い草の表面すべてを太陽が照らしていた。家が少ない。畑が多い。人が少ない。いままで見たどの街よりも犬が多い。
「おいおい、本当にここは村なのか? あまりにも原野そのまますぎだろう?」
ベブルは手を額に当てた。彼の言うとおりだが、村人が聞こえるように言うのはやはり問題だ。
フィナは歩き出した。ひとり、村の中へと進んでいく。
「おい、どこに行くんだよ」
ベブルは声をかけた。フィナは振り向く。
「情報収集」
「犬ころにでもに訊く気か?」
ベブルはそう嘲笑ったが、フィナは無視して向こうのほうへと歩いていった。彼は両手を肩の高さまで上げた。
「やれやれ」
そんなベブルを放って、ウォーロウはフィナの後についていった。このままここにいてもしょうがないので、ため息をついて、ベブルもその後に続くことにした。
村の北にあるという洞窟のことについては、知っている人もあり、知らない人もあり、村人たちにはあまり関心がないようだった。『聞いたことはある』程度の人が最も多く、行ったことのない人ばかりだったが、一部では子供の遊び場にもなっているようだった。
洞窟の中はどうなっているかと問えば、曲がりくねった道があって、延々と続いているらしいということだった。ただ、その洞窟には誰でも入ることができるため、入ってもたいしたものはない――鉱石にしても、薬草のたぐいにしても――ということだった。
「ガセネタだな」
ベブルは集めた情報を元にそう結論付けた。
そう言われては立場がない。ウォーロウは反論する。
「確かに奴は『未来人』だった。そうじゃなければ、どうして僕を攻撃するんだ? この状況では、奴を『未来人』と見なすのが妥当じゃないか。それに、奴自身もそう名乗ったんだ」
「お前馬鹿だろ。黒い服着た奴は何でも『未来人』だと思ってんじゃねえのか?」
「行こう」
口論を始めようとするふたりをよそに、フィナは歩き始めた。
どこに、とはベブルもウォーロウも訊かなかった。ふたりともわかっていた。次にフィナが行こうとしているのは、村の北にある洞窟だ。自分の目で見て確かめようというのだ。
ふたりは黙ってしばらく互いに見合って、それからフィナのあとに続いた。
フィナは村を北から出る前に、何かの店らしい建物に入って、ここまで来る途中に得た『戦利品』を売って、代わりに食べ物や魔法の薬品類を買った。『未来人』に遭遇してからというもの、彼女はこういう準備にこれまでよりも念を入れるようになっていた。
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三人は村の北にある森に入った。洞窟はこの森の中にあるという話だ。涼しい森だった。ベブルは歩きながら、上を見やった。湿った匂い。木の葉が揺れた。しゃらしゃら音をたてる。重なり、離れ、また重なり。陽の光がぱらぱらと撒き散らされていた。
気がつくと、フィナとウォーロウはずいぶん先にいた。ベブルは慌ててふたりに追いついた。慌てているのがわからないように、落ち着き払って。
すぐに例の洞窟に到着した。どうやらこの洞窟は地下へと潜っていくものらしい。洞窟の外壁面にはコケやシダが繁茂していた。それは、見た目上、完全に森と同化している。
「おいおい、俺を無視すんなよ」
誰かがそう言ったので、ベブルはそちらのほうを向いた。もちろん、フィナもウォーロウも立ち止まり、同じようにした。少し離れたところの大きな木の枝の上に『未来人』のひとり、ナデュクが座っていた。
「お前はなんだ。『真正派』か?」
ベブルは彼に訊いた。ディリアの髪を引っ張ったときのことがあるので、彼は慎重だった。
「俺は六十年後の未来から来た魔術師、ゼンベルウァウル。ナデュク・ゼンベルウァウル。通称『飛沙の魔術師』だ」
それを聞いて、ベブルは構えた。フィナもウォーロウも、それぞれ杖を手に構えていた。
「あいつですよ、フィナさん。僕に、この洞窟のことを言ったのは」
ウォーロウはフィナに言った。だが、彼女はさして反応しない。じっと、ナデュクのほうを見ていた。戦闘態勢だ。
「構えなくてもいい。俺はただ情報を訂正しに来ただけだ」
ナデュクは笑って手を振った。彼は続けた。
「ここに例の魔法書があるって言っただろ? それが、俺が君らにばらしたこと、『星隕』が気づいちまってな。奴が先に回収しちまったのよ。だからここにはもうない。悪いね。無駄足で」
ベブルはぽきぽきと指を鳴らす。
「無駄足じゃねえさ。俺の目的は、お前たち『未来人』を殺すことだからな!」
ベブルはものすごい勢いで樹に接近し、そして駆け上り、ナデュクに殴りかかった。
「やめてくれよ」
そう、ナデュクは言って飛び上がった。武器は持っていない。両手を前に出して『降参』してみせ、隣の樹に飛び移った。
「俺は君には敵わない。わかってるさ。だからここで戦おうとはしない。ただ、これを伝えに来ただけだ。悪いことは言わない。引き返したほうがいいぜ」
そう言い、ナデュクは姿を消した。
また指輪の宝石が光ったな。ウォーロウは心の中でそう思った。やはりそうか。
「逃げやがった。なんなんだ、あいつは。いままでの『未来人』とは違う感じだな。ヘラヘラしやがって、何を考えているのか全然わからねえ」
ベブルは樹から飛び降り、着地した。
「どうします、フィナさん? 奴の話を信じますか?」
ウォーロウは訊いた。
「行く」
そう言うだろうとウォーロウは思っていた。
百聞は一見に如かず。それに、本当にここに『未来人』が現れたことで、怪しさが増すばかりだった。フィナはすぐに洞窟のほうへ行き、その中に入っていった。もちろん、ベブルもウォーロウもそのあとに続く。
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