第三章

第三章① 波打つ時空

 あかい。


 すべてが赫い。


 空も、大地も、風も。


 目に映るもの全てが、赫い。


 赫は、俺。俺自身の色。


 炎のような、怒りの色。


 いかれ、いかれ、いかれ!


 燃えろ、燃えろ、燃えろ、燃えてしまえ!


 俺は、最初から、こんな世界、嫌いだったんだ!



 ベブルは振り返った。


 自分の歩いてきた道を。


 何もかもが赫い、炎に飲み込まれた世界がそこにあった。


 土も、石も、赫く燃えている。風も燃えている。空も。星々も燃え盛っている。


「なんで――」


「なんで燃えてるんだよ!」


 答える声はそこにはない。


 その世界を支配しているのは、ただただ赫く燃えさかる、炎だけなのだから。


 生命などは、存在するはずもない。


 燃え上がる炎と、怒りの色。


 世界は怒りに支配されていた。


 天と地を同時に焦がす炎の轟音。


 炎同士が激しくぶつかり合い、渦巻いている。



「俺じゃない……俺じゃないぞ。この怒りは……俺じゃないんだ! 俺がやったんじゃない、違う、違うぞ、俺は……」


 彼は目に見える世界に当惑し、後ずさりをしていた。逃げるように。だが、彼は逃げようとしているその世界の只中にいた。逃げられるわけがない。


 彼は叫んだ。


++++++++++


 そのせいで、目が覚めた。


 部屋の天井が見える。勿論、燃えてはいない。部屋の外からは、誰かが歩いている音が聞こえる。木の床を踏む音が。ベブルは寝台に身を横たえていた。


 ベブルは体を起こした。布が擦れる音がする。



 時が流れている。



 ベブルは何も言わなかった。ただ、息が微かに荒かった。目は開いているが、まだ特定のものを見ているわけではない。


 学術都市フグティ・ウグフには、昨夜到着したのだった。ベブル、フィナ、ウォーロウの三人はそれぞれ別に宿の部屋を取り、就寝した。


 彼は当初、強力な魔法――彼が言う『強力』とは『威力のある、派手な』とほぼ同義だが――を覚えるためにここに来たのだった。だが今では、目的はもうひとつある。


 未来から来たという者たちのことだ。


 『紅涙の魔女』ウェルディシナ・エルミダート、そして『星隕の魔術師』オレディアル・ディグリナート。このふたりは、自分たちのことを「未来から来た」のだと言っていた。そして、なぜかベブルとフィナを殺そうとしている。だが実際、敵の力がベブルに及ばなかったおかげで、ふたりは生きながらえている。


 実際のところ、気にすべきなのは『未来人』たちのほうではなく、ベブルの身体に秘められた力のほうなのかもしれない。


 ベブルの力は強大だが、フィナはそれを「魔法ではない」と言っていた。それならば、何なのか。年齢が二桁に達してまもなく闘技場での頂点に輝いた力を与えてくれたのは、才能ではなく、本当は、この不思議な力だったのかもしれない。


「むかつく夢だ」


 ベブルはぼそりと呟いた。この頃には、もう瞳の焦点は合っていて、何か特定のものを見ることができていた。


「なんで俺が謝らなきゃいけない? 勝手に燃えるほうが悪いんだろうが」


 彼は完全に目が覚めたようだ。


++++++++++


「――なるほど」


 男の若々しい声だった。


 部屋を歩く音。そして、木製家具がきしむ音。彼は椅子に座った。


「妙な奴らがいたもんだ。なるほど、時空移動ねえ……。俺の専攻は極微の世界でね。時空は専門からほど遠くて、あまり詳しいとはいえないんだが……」


「可能か、不可能か」


 これはフィナの声だった。


「どちらかを言い切ってしまうには、あまりにも未知すぎるのが現在の魔法技術と基礎理論だ。可能かもしれないし、不可能かもしれない。俺たちには、まだ時空の構成や運動原理すらもまったくわかってないんだからな」


 彼とフィナは、両方が椅子に座って対面し、議論をしていた。彼はフィナの兄だった。フィナと同じ黒髪を持ち、しかし妹とは違って人当たりの良さそうな笑顔の似合う顔をしていた。また、彼女とは違い、魔術アカデミー内では人気があった。


 彼の名は、ルットー・ディスウィニルク。この『アールガロイ魔術アカデミー』の学者であり、アカデミーの成績優秀者のみで構成している研究者団体『アールガロイ真正派』の構成員のひとりだ。


 普通、魔術師は白いローブを着るのがアーケモスじゅうでの慣行となっていた。だが、彼ら『真正派』の人々だけは、黒いローブ――灰色地の上に黒で文様が描かれたローブ――を着ているのだった。


 さらに彼は、『真正派』の中でも特異な存在でもあった。きちんと着るべきローブを、「袖が邪魔」とか「暑い」とか言う理由で、袖を肘のあたりで切ってしまうような、いい加減な人物だ。長くなってきた髪を、切りもせずにただ後ろで束ねているだけというのも、その性格の現れているところのひとつだろう。


「誰か」


「詳しい人を、って言うんだろ?」


 ルットーは、フィナがごく短い文節でしか喋っていないにも関わらず、彼女の言いたいことを理解していた。さすがに、彼女の兄なだけはある。


「誰が詳しかったかな? 時空研究ってのはあまり進んでないからなぁ……。師の皆様がたでもあてになるかどうか……」


 ルットーは暫く考え込んでいた。対するフィナは、じっと黙っている。彼女の場合、もともと静かに黙っているので、それを継続しただけだが。


 ルットーは何かに思い至り、述べる。


「そうだ。フォルールブレク師が一番そこに近いかもしれないな。あまり進んでいない時空研究部門で、彼の研究が比較的進んでると思う。そういえば、その研究室には友人がいたっけか」


 そのとき、部屋のドアがノックされた。フィナはすぐに振り返ってその戸を見る。ルットーは「どうぞ」と大きな声でノックに返した。



 ドアが開くと、入ってきたのはウォーロウだった。もちろん、フィナを追ってここまで来たのだ。


「失礼します。フィナさんがここにいると聞きまして」


 ルットーはウォーロウに会釈する。


「君、フィナのお友達かな?」


「そうです。あなたがフィナさんのお兄さんですね?」


 ウォーロウの問いかけに、ルットーは「そうだよ」答えた。それを聞いて、ウォーロウは少し安心したようだ。彼は、フィナの、自分以外の親しい間柄の男の存在を懸念していたのだ。


「じゃあ、ふたりでフォルールブレク師の研究室へ行けるように、友人への紹介状を書くから。ちょっと待っててくれるか」


 ルットーはそう言って、机に向かい、紙を広げ、インクの蓋を開けた。フィナは何も言わずに僅かに頷いただけだったが、ウォーロウは声を出して応えた。


「はい、わかりました」


 わざとつくられたかのような、愛想の良い声だった。


++++++++++

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