第二章⑦ 未来人

 焚き火を囲んで、三人は座っていた。日は既に沈みきり、彼ら三人が座っている場所のほかは、完璧なまでに黒一色に染まっている。いや、焚き火の明かりが闇を作りだしていた。


 三人は何も話さなかった。ディリムに乗ってここまで来る途中に、先程の騒ぎのときに街道を逃げていた人に追いついたので、ウォーロウが話し掛けて治癒の魔法イルヴシュをかけてやった。ここまでで、彼らが話したのはそのときだけだった。ウォーロウ以外のふたりは、まったく何も話さなかった。


「どうしてお前がついて来るんだ」


 ウォーロウは声を低くして、ベブルに言った。


「お前について行っているわけじゃない」


 睨みながら、更に低い声で、ベブルが言った。


「実質的にはついて来ているだろう。いまここで、僕らと一緒に火を囲んで座っているじゃないか!」


 ウォーロウは感情的になって、声を荒らげた。


「うるさい」


 すかさず、フィナは言った。ウォーロウは彼女のほうを見て、それから黙った。そして神経質そうに頭を掻いた。


「静かに」


 フィナはそう言って、頭を三角座りの膝の上に載せて項垂れた。何か考えごとをしている。


 ベブルは静かな声で、フィナに向かって語る。


「俺が、用があるのは……その女だ」


「フィナ・デューメルク」


 フィナは言った。また訂正させようとしている。


「デューメルク、教えてくれ。いまいったい、何が起こってるんだ? あいつら、ただの変な魔術師だと思っていてが、どうやらそうでもないようだ。未来から来たなんて、そんな馬鹿げたことは信じていないが……、いったい、何者なんだ? どうしてお前は、あいつらと話が通じたんだ?」


 ベブルは訊いた。フィナには、それが彼のこれまでの振る舞いの中で、もっとも誠実そうに見えた。ウォーロウは彼らふたりの様子を見ていた。


 フィナはしばらく沈黙していたが、やがて呟いた。


「わからない……」


「わからない? 知った風だったのにか」


「時間が改変されている……。私にはわかる。他の人にはわからない。それがわからない。ずっと……」


 フィナは少ししか顔を上げずに言った。ひどく悩んでいるようだ。


「もっと喋れよ」


 ベブルは苛立たしげに言った。


 それを聞いて、怒ったのはウォーロウだった。彼はベブルに掴みかかる。


「貴様、フィナさんになんて失礼なことを!」


「うるせえよ、この女、ろくに喋らねえ上に意味不明ときたもんだ。せめて、喋る量を増やせば、意味分かるかもしれねえだろ。汚い手で触れるな、叩き殺されてえか」


 ベブルは握り拳をつくって威嚇した。睨み合いは続いた。


 フィナが小さな声で言う。


「世界が……、変わりつづけている」


 ベブルも、ウォーロウも、その言葉に気をとられてしまった。ウォーロウはベブルから手を離し、ベブルも拳を解いた。


「わたしにしか、わからない……。わたしだけが、別の時間に取り残されて……」


「あいつらがどこから来たのか。それはわかるか?」


「……わからない」


 フィナはベブルの質問にそう答えたが、たいした答えにはならなかった。彼女は、しかし、ゆっくりと言葉を続けた。


「知っていた……」


 やはり、それだけ聞いても意味不明だった。仕方なく、ベブルは詳細を訊く。


「誰が」


「奴らが」


「何を」


「時間改変を」


「時間改変……。そんなことができるのか? それは魔法なのか? 誰も知らない、高度な」


 ベブルは身を乗り出し、座わったまま片手を地面に付いて、彼女に訊いた。彼女はまた黙った。


「……わからない。書物で研究しても、納得できるものは何ひとつとしてなかった……」



 ウォーロウははっとした。彼は驚いて訊く。


「まさか、フィナさん。これまでフィナさんが研究していたことって、まさか、時間関連のことだったのですか!?」


「そう」



「……この件は保留だな。俺はフグティ・ウグフで適当に魔法を覚えようと思ってここまで来たんだがな。……デューメルク、お前、どこに行くつもりなんだ?」


 ベブルは背伸びをして、身体を伸ばしながら言った。真面目な話をして肩が凝ったらしい。


「同じ」


「何をしに行くんだ?」


「本を買いに。時間の研究に」


「『アカデミー』に知り合いでもいるのか?」


「兄が」


「そうか。俺も行く」


「わかった」


 そこへ、やはりウォーロウが割り込む。


「待ってください、フィナさん! こいつは、あなたを殺そうとした男なんですよ! こんな奴と一緒に行くなんて、とんでもない! 絶対に、駄目です!」


 感情の昂ぶるまま、彼は立ち上がっていた。大声を張り上げたので、遠くで見回りをしているディリムがこちらを向くほどだった。


 フィナはウォーロウの発言には構わなかった。


「気になることが多い」


「……何がです?」


「なぜ、『未来人』は、わたしとリーリクメルドを殺そうとするのか」


 ウォーロウは黙った。確かに、それは彼にも理解できないことだった。


「なぜ、奴らはリーリクメルドの力を恐れたのか」


「おい、それは俺の力を馬鹿にしてるのか?」


 そう、ベブルが言ったが、フィナはやはり相手にしなかった。


「時間移動は可能なのか」


 彼女がそう言って、全員が黙った。いま、いちばん問題となっているのはそれだった。


 『紅涙の魔女』ウェルディシナ・エルミダートと『星隕の魔術師』オレディアル・ディグリナートは、自分たちは未来から来たと主張していた。それに加えて、情報屋のゼスも、『紅涙の魔女』は未来から来たらしい、と言っていた。それは本当なのだろうか。


「とにかく、フグティ・ウグフに行ってみるぞ。そうでなけりゃ、どうにもならん」


 ベブルはあっさりとまとめ込んでしまった。


 フィナは無言でうなずく。



 ベブルとフィナはそれぞれに、明日からの行程に備えて眠りについてしまった。取り残されたのはウォーロウだ。


 ウォーロウは、ベブルに対して釈然としない思いでいっぱいだった。憧れるほど聡明なフィナ、それに対して嫌に馴れ馴れしく、粗暴で無知なくせに力を持つベブル。彼にとっては、腹立たしかった。ベブルが力を持っていること、ベブルがフィナに対して自分よりも何か特別な位置にいること――それが決して恋愛でないとしても。


 そして、もうひとつ、彼には気になった。


 『未来人』のことが。


 彼らは本当に未来から来たのだろうか。


 何のために? フィナとベブルに何の用があって? 


 だが、一番はそこではなかった。本当に未来から来たのなら、未来の魔法はどうなのだろうか。きっと今よりも優れているに違いない。それは『星隕の魔術師』の持つ武器を見てもわかる。


 未来に行きたい。


 ベブル・リーリクメルドというえせ魔術師の持つ力を超える方法は、そして、フィナ・デューメルクという憧れを自分のものにする力は、そこになら必ずある。そう、彼は思ったのだった。


 星は天上にあった。


 ウォーロウはひとり、それを眺めていた。



 未来をひらく鍵は、必ずどこかにある。

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