第二章⑤ 未来人

 朝になり、フィナとウォーロウはまたディリムに乗って走った。


 ウォーロウはこのところ不満だった。それというのも、フィナがまったく自分の相手をしてくれないからだ。彼は、彼女のことが本心から好きだった。それに、彼女のことをよく理解している自信もあった。彼は、自分以上に彼女のことをわかっている人間は他にはいない、彼女に相応しい男は自分しかいないとさえ思っていた。「彼女は何故それがわからないのだろうか」。彼にとっては、それがいちばんじれったいところだった。


 一方のフィナにとっては、ウォーロウはただの石ころだった。つまり、『その他多勢』の人々と同じ存在だ。ただ周りの石ころと少し違うのは、近くにあって、自分の足に当たったから「邪魔な石だ」と睨みつけたために石ころと認識した石ころである、ということだけだ。


 フィナは大犬に乗って走っている間に、街道から逸れた草原の中に古い遺跡を見た。大昔の建築物で、荘厳なつくりのものだった。


 デルン宮殿跡……。


 彼女はぼんやりと眺めながらそう思った。もはや廃墟と成り果てたその遺跡は、百二十年前に存在したといわれる大魔術師、ファードラル・デルンという人物の建てたものだという話だった。彼は史上希に見るほどの強力な魔術の使い手で、当時この世界に君臨していた魔王と戦ったらしい。デルンも魔王も不老の身体であったが、相討ちとなって滅んだと言われている。


 いかなる使い手も、いずれは滅びるもの。常にあるのは、時が流れる、ということだけ……。



「駅馬車に追いつきましたね」


 大犬に乗ってフィナのあとを追って走るウォーロウが、背後から彼女に言った。彼は、何かにつけて彼女に話し掛けようとしていた。


 そんなこと、言われなくてもわかる。


 実際にそのとおりであったが、彼女はそう思った。彼女たちふたりは、彼女たちよりも数日早くにノール・ノルザニの町を出発した駅馬車に追いついたのだった。そして、もうすぐ追い抜こうとしている。



 ところが、不意に轟音がして、目の前を走っていこうとする駅馬車が横転した。側面に何らかの衝撃が加えられたらしい。


 フィナは急いでディリムを止めた。危うく彼女は馬車の転倒に巻き込まれるところだった。馬車は地面を暫くすべり、止まった。御者は更に遠くに投げ出されていた。馬車馬は馬車と紐で括りつけられたまま、倒れてもがきながら嘶いている。


「なんだ!? いったい!」


 立ち止まった大犬の上から状況を眺めているフィナのところに、ウォーロウはすぐに追いついた。



 凶悪そうな爪と牙をもった、血のように赤黒い翼竜が飛んでいた。この竜が、この駅馬車を薙ぎ倒したのだった。


 血まみれになった人々が、馬車の中から這いずり出てくる。中には動けない人間もいるようで、そういう人はそのまま、横倒しになった馬車の中でうめいていた。


 翼竜が高度を下げる。地上には、あの『紅涙こうるいの魔女』ウェルディシナ・エルミダートがいた。翼竜ば羽ばたきながら魔女のそばに待機している。ウェルディシナは微笑しながら馬車へと歩み寄った。


「大アーディ……。あんな魔獣を召喚できるなんて……。フィナさん、あの女はかなりの使い手ですよ。どうします? あのひと、駅馬車の人たちを傷つけていますよ。助けに入るべきなのでしょうか?」


 ウォーロウはフィナに訊いた。だが、フィナは何も答えなかった。


 フィナは魔獣ディリムの背中から降り、それを引き連れて数歩、前に進んだ。そして、魔女に言った。


「エルミダート!」


 どうやらウェルディシナ・エルミダートは、そこにフィナがいることに気がついていなかったようだ。彼女はフィナのほうを見ると、少し驚いたような表情をしてから、不敵に笑んだ。


「こんなところにちょうどよく、揃って現れてくれるとはな」


 揃って……? フィナには『紅涙の魔女』の言っていることが一瞬理解できなかった。しかし、すぐに察知した。



「ンの野郎ッ!」


 駅馬車の方からそんな声を聞いたと思うと、駅馬車の床板や車輪などの部品が、フィナとウェルディシナのところに、物凄い速さで飛来した。彼女らはそれらを魔力障壁で防いだ。横転していた駅馬車は破壊され、またも地面の上を激しく横滑りした。そのため、馬車の中にいた人々やその周囲にいたものはまた悲鳴をあげた。


 馬車の中からすでに出られていた人々は、フグティ・ウグフ方面に向かって走って逃げているものもあれば、怪我を負って馬車内から出られない仲間を出そうとしているものもあった。


 横転していた馬車の床板を叩き割って出てきたのは、他ならぬベブルであった。


「よくもまあ、この俺に不意打ちなんぞ仕掛けてくれたなぁッ!」


 そこへ、ディリムを降りたウォーロウが、走ってきた。そして、鉄の杖を手に呼び出し、ウェルディシナに向けて、それを構えた。


「貴女はいったい、何をしているんですか! 罪もない人々にこんなひどい怪我をさせるなんて!」


「この程度のことなど、どうでもよい」


 ウェルディシナは魔獣大アーディに合図を送った。すると、その翼竜はフィナやウォーロウ、そしてベブルに向かって灼熱の炎を吐いた。


「!?」


 ウォーロウは慌てて魔力障壁を自分の前に作り出した。フィナもそうしている。おかげで、彼らふたりは無事だった。だが、駅馬車は容赦なく燃え上がっている。馬車の近くにいた人々はみな、叫びを上げて死んでいった。馬車に残っていた人間は全滅である。


「フィナさん、戦わなければこちらがやられます!」


 ウォーロウは焦りながら、早口でフィナに言った。


「戦う」


 フィナはサファイアの杖を右手に召喚し、構えた。


 しかし、横からベブルが彼女らに言葉を投げかけた。彼は魔力バリアで身を護らなかったが――もとい、魔力障壁を作り出すことが出来なかったが――殆ど無傷だった。


「おい、てめえら! 手出しすんじゃねえ! こいつは俺が片付ける!」


 それに対して、ウォーロウが返した。


「何を言う、えせ魔術師! お前に手を貸すわけではない!」


「そうかい、だったらなおさら手出しすんなってんだ! この女は、俺を殺そうとしてるんだからな! てめえにゃ関係ねえだろう!」


「来る!」


 ベブルが怒鳴っている最中に、大アーディが再び炎を吐き出した。その前に、フィナは魔力障壁を作って身を護り、杖を構えたまま前進した。


「フィナさん!」


 フィナの無謀の前進にはらはらしながら、ウォーロウは光の魔法の呪文を唱えた。光の球が翼竜の頭上に現れ、次々と降り注いだ。だが、この翼竜の耐久力は高く、それだけでは倒せない。


 ただ、翼竜は怯み、浮遊している高度が下がった。フィナは杖を掲げ、大地の魔法ランギエイムを使った。土で出来た槍が地面から飛び出し、それが翼竜を襲った。翼竜に傷を負わせたが、しかし、まだ倒すことは出来なかった。


 ウェルディシナが炎の魔法を唱えた。一瞬にしてフィナが燃え上がった。


「フィナさんッ!」


 ウォーロウは叫ぶように言った。そして鉄の杖を握り締めると、『紅涙の魔女』に向かって走り出した。


 ウェルディシナは笑っている。その顔目掛けて、彼は杖を振り下ろした。だがそれは、魔獣大アーディに阻まれて失敗する。翼竜は鋭い足の爪で彼を串刺しにしようとした。彼は魔力障壁でなんとかそれを防ぐことが出来た。彼は舌打ちした。


「てめえら全員、うぜえんだよ」


 ベブルの声がして、ウォーロウは上空を見上げた。


 いつの間にか、ベブルは翼竜よりも高い、空中にいた。そしてそこから降下し、無敵の拳で大アーディの頭を粉砕し、魔獣を消滅させた。


「こんな雑魚で、俺を殺そうってのか? 舐められたもんだな!」


 ベブルは着地するとそう言って、支援する魔獣がいなくなったウェルディシナを睨みつけた。


「こいつ……、化け物か!?」


 ウェルディシナはそう言って、明らかに身構えた。


「追い詰めた」


 フィナが言った。あの炎を浴びても、彼女は生きていた。ウォーロウは喜び、安堵する。


「無事だったんですか、良かった!」


「自動障壁」


 フィナは言った。だが、ウォーロウは首を傾げた。彼はそんなものは知らなかった。無理もない、それは彼女が独自につくった魔法なのだから。



「さて、次はてめえだな」


 ベブルは指を鳴らしながら、ウェルディシナに近づいていった。彼は凶悪そうに微笑いながら、また言った。


「さっきの魔獣と同じにしてやるよ」


 『紅涙の魔女』ウェルディシナ・エルミダートは骸骨の杖を右手に召喚し、ベブルの方に身構えた。そのまなざしは真剣だ。



 つと、空間が歪んだ。そして、別の人物がその空間に現れた。深緑の長い髪を総髪にして後ろで括った、青年期を少しばかり過ぎた歳の男だった。


 彼も魔術師のようで、ウェルディシナ・エルミダートのように黒いローブを着ていたが、彼は更にその上から、見たこともない材質の鎧を纏っていた。鎧には何箇所かに丸い宝石を埋め込んであり、胸の中央の部分には人間の目の形をした飾りが埋め込んであった。鎧の下からは、黒く長いマントが伸びていて、それが風になびいている。そして、額には紐が巻いてあり、中央には丸と三角をつなげたような独特の飾りがつけられていた。左右側頭部には、その紐につけられた羽飾りが上下についていた。


 その男魔術師は、現れるなり、『紅涙の魔女』に怒号を飛ばした。


「『紅涙』! 何をしている! 無関係の人間は巻き込まないはずであろう!」


「何を言う『星隕せいいん』! この程度のこと、目的のためにはものの数に入らないだろう!」


 男魔術師に言われて、彼女は負けずに言葉を返した。


 ベブルは、この『星隕』と呼ばれた魔術師が『紅涙』の主人、つまり、彼女が彼を殺そうとしてくるのを命じた上役であるのだと、一瞬思ったが……、すぐにそうではないのだとわかった。少なくとも、彼らに上下関係はなさそうだ。


「例外はいつも生じる。だが、無闇に周りの者を巻き込むな! 被害は最小限に抑えるのだ。そうでなければ、結局“ヤツ”のしていることと同じになってしまう!」



 あからさまに不快を込めた声で、ベブルは魔術師ふたりに声をかける。


「お前らの話はどうでもいいんだがよ。俺には用事があるんだ。どうせてめえらふたりでかかってくるんだろうが。早くしやがれ」


 すると、『星隕の魔術師』がこちらを向いた。低めの声で、彼は言った。


「これは……、申し訳ない。それでは貴方が、リーリクメルド殿で?」


「ああそうだ。だが、お前ら、どうして俺の名前を知ってるんだ」


 ベブルは腕組みをしていた。


「それは、我らが未来から来たからです。リーリクメルド殿も、デューメルク殿も、未来ではそれは有名な魔術師なのです」


「なるほど……、未来からなあ……」


 ベブルは何度も頷いた。そうして、彼は訊いた。


「お前の名は?」


「オレディアル・ディグリナート、『星隕の魔術師』という名を持つ者です」


 『星隕の魔術師』はそう答えた。


「いいだろう、ディグリナート。俺の名前、いちいち『殿』って付けなくていいぜ」


「それは、光栄なことです」


「てめえみてえなペテン野郎は、この場で叩き消すからな!」


 そう吐き捨てて、ベブルはいきなり最高速度で走り出し、『星隕の魔術師』に襲い掛かった。『星隕の魔術師』は片手を突き出して魔力障壁を作り出し、身を護った。だが、ベブルの拳の一撃に、その障壁は叩き壊される。


「何ッ!?」


 オレディアル・ディグリナートは素早く身を退き、ベブルからの間合いを十分に取った。

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