第二章④ 未来人
気が付くと、日は沈みかかっていた。フィナたちの行く手の草むらが、ガサガサと音を立てている。
「ちょっと……、待ってください。僕が片付けます」
ウォーロウは杖を手に召喚し、フィナより二、三歩前を歩いた。彼が待てといったところで、彼女が待つはずはない。なので、ふたりとも、前へ前へと進んでいった。
茂みから出てきたのは、盾を鎧代わりに身につけた、剣を持った小人の魔獣、ソードレットだった。魔獣は五匹だった。
「“
ウォーロウが杖を掲げ、呪文を唱えた。
すると、どこからともなく五個の光の塊が出現し、ソードレットたちに向かって飛び、直撃した。魔獣たちは各一撃ずつを身体に受けて、絶命した。
「さあ、これで安全だ。行きましょう」
ウォーロウは杖を消して振り返り、フィナの方に笑顔を送った。
フィナはソードレット達の持っていた剣、合計十本に魔法をかけていた。召喚待機空間に消し、いつでも取り出せるようにする魔法だった。
「それらを、ノール・ノルザニで売るつもりですか?」
「本代」
フィナはそう言いながら、せっせと『戦利品』に魔法をかけていた。
「なるほど、勉強熱心の現れですね」
ウォーロウは微笑んだ。
それに対して、フィナはさしたる反応は見せなかった。
ふたりは、ノール・ノルザニの町に向かって歩きつづけた。あのあとすぐに、フィナは大犬の魔獣・ディリムを召喚して、それに乗って走り出した。流石に、ウォーロウでも大犬の速度にずっとはついて行けないので、彼もディリムを召喚して走った。
日が沈みきり、大きな木のそばで火を焚いて休もうということになった。ディリム二頭は見回りに放った。
フィナはいつものように、火を見つめたまま何も話をしなかった。
延々、ウォーロウが何か話題を見つけては、彼女に話し掛けていた。彼でも時々、話の糸が切れたのか黙り込むことがあったが、その間彼はしばらく彼女を見つめて、それから何か話の種を一所懸命に探しては、また彼女に話し掛けるのだった。
「フィナさんはどうして、実用的な魔法を学ぶのを、途中でやめてしまったのですか?」
ウォーロウは訊いた。彼の言う実用的な魔法と言うのは、いろいろな種類の、いわゆる攻撃的な魔法、それから治癒魔法などであった。
「……治癒魔法?」
「ええ、それも含めてですけど」
「人助けするつもりはない」
「……自分が怪我をしたときにも、使えるじゃないですか」
「あまりしない」
「……それでも、危険なことに巻き込まれるってこともあるでしょう?」
「冒険者になるつもりはない」
「……それでも、魔法を使うものとしては、いずれ広い世界に出て現実の世界で魔法を役立てていくことになるんですよ」
「学者には関係ない」
「……それでも、生きている限りは必要に――」
「必要ない」
フィナはまったくもって、魔法を使って戦うようなことが好きではなかった。それに、治療の魔法を習得するのは時間の無駄だ。それを身につけてしまうと、ウォーロウのように人助けに駆り出されるばかりになってしまうおそれがある。だから彼女は、原理だけを知っておいて、あとは学問としての魔法学に専念しているのだった。だから彼女は、一般の人々と同じように、怪我を治す魔法の薬をいつも持っているのだった。
対するウォーロウは『実用的な魔法』ばかりを習得していて、その原理や意味をじっくり考えようともしなかった。彼は、こうすればこうなる、こう使える、ばかりを覚えてそれを使っているのだ。だから、彼から見ると、フィナの学び方というのは、無駄が多いように見えるのだ。霊峰ルメルトスに学びに来たときにはまったく魔法を使えなかった彼にとって、魔法は、使うことにこそ意味があるのだった。
「それにしても、あのベブルという男、どうせ魔法は規模が大きければよいなどと思っているんでしょう。あんなもの、全然駄目ですね」
ウォーロウの話題はいつの間にか変わっていた。フィナはそれに気づかなかったが、彼女の場合、それは彼の話をしっかりと聴いていないせいだった。
「いや」
フィナが小さく首を横に振った。
「全然駄目じゃないですか。所詮は付け焼刃ですよ」
「相当だった」
「……いや、確かに、攻撃性の魔法をあまり身につけていない貴女はそう思うかもしれませんが、僕の目から見たら、あれは……」
「潜在能力がある」
ウォーロウはベブルのことを心底馬鹿にしていたため、彼の力を認めることができなかった。対するフィナは、正直に、彼の魔法の力が強いことを認めていた。
「あんなものを認めたら、われわれ本物の魔術師は終わりじゃないですか。いいですか、フィナさん。奴はモグリの魔術師です。親がこの世界で力をもっているのをいいことに、碌々学びもしないで魔法名まで持っているんです。貴女はそんな親の七光りの力を認めて、平気なのですか?」
「へいき」
フィナのその言葉は本心だった。ベブルのような素人が、これまで何年もの歳月をかけて学んできた魔術師の力を超えたとしても、彼女はなんとも思わないのだ。彼女は、魔術師同士が競うときに問われるのは魔力ではなく頭脳であることを知っていた。それに、彼女は、彼女の学びたいものを学んでいるだけだ。彼女にとっての魔法は、学びそのものだ。
一方、ウォーロウには実用こそがすべてだ。だから、その魔法の力で負けそうになると、いてもたってもいられないのだ。だから、彼はベブルの力を認めたくない。
もちろん、フィナにも多くの偏見がある。腕力よりもずっと、魔法力や頭脳の力に重きを置いているのがそれだ。
フィナはまた、魔法は威力よりも使うものの技量に左右されると信じていた。彼女は負けず嫌いだ。ただ、もし彼女が、頭脳の分野で誰かに負けたとすれば、彼女はその人に軽蔑ではなく尊敬の念を抱くだろう。その結果が彼女と『懸崖の哲人』との関係を形作っていた。彼女の偏見は、一般の対人関係で大いにその歪な力を発揮するが、一方の学問においては、彼女をすでに立派な学者の域に成長させる原動力となったのだ。
フィナとウォーロウでは、あまりに多くの要素が違うのだった。
++++++++++
三日の行程ののち、フィナとウォーロウは、ノール・ノルザニの街に到着した。三日間共に行動していても、ウォーロウは少しもフィナにお近づきになれなかった。
昼間に着いたので、フィナはすぐにノール・ノルザニの街の本屋に行った。彼女は以前に、この街の本屋に来たことがあった。
フィナは購入予定の本を探し始めた。本屋の本棚をひとつずつ見ていく。
ウォーロウは本屋に入って適当に本を見ていた。彼は『丁度、ノール・ノルザニに行く用がある』などとうそぶいていたが、本当は何の用もない。彼は、フィナをベブルから護るために来ただけだ。そして、そのベブルには今のところ遭遇していない。
彼女は本屋を一周し、二周し、三周した。しかし、どうにも目当ての魔法書が見あたらない。どうやらこの街の本屋にはないようだ。
「どうしました?」
ウォーロウが浮かない表情のフィナに訊いた。
「なかった」
「それは残念ですね」
ウォーロウがそう言っている間に、フィナは本屋を出て行った。
ウォーロウがそう言っている間に、フィナは本屋を出て行った。慌てて、彼は彼女を追いかける。
「どこへ行くんです?」
「フグティ・ウグフの街」
「……って、帰らないでもっと向こうに行くんですか? 駄目ですよ、師匠に言わないと」
「師匠には本を買いに行くと言った」
フィナは取り合わず、更に北に向かって歩き出した。
「フィナさん、今日はもうこの街で休んだらどうです。もう……」
ウォーロウは言ったが、フィナは答えなかった。異論を唱えるのならばついてこなくていい、ということの意思表示だ。
二、三度人にぶつかりそうになりながら、ウォーロウは走ってフィナを追いかけた。彼はすぐに追いついたが、彼女は一向に止まらなかった。ようやく止まったのは道具屋の前でのことだった。その店で、彼女は来る途中に手に入れた『戦利品』を売り払ったのだった。フグティ・ウグフまではラトル~ノール・ノルザニ間よりも距離があり、ちょっとした旅になる。彼女はフグティ・ウグフに行くことしか考えていない。
ノール・ノルザニからフグティ・ウグフまでは駅馬車に乗って約十日の距離だ。普通の人ならば駅馬車を利用するのだが、フィナやウォーロウは魔法で魔獣を呼び出してそれに乗って走ることになる。彼女は長旅に備えて、食料なども買い溜めしておいた。魔法を使って、好きなときに呼び出せばよいので、沢山買っても問題はなかった。
++++++++++
フィナとウォーロウは、魔獣ディリムに乗って、北東の方角に向かって走った。大犬ディリムの走ったときの速さは、馬よりも少し遅いが、馬車よりは遥かに速かった。
ノール・ノルザニ~フグティ・ウグフ間は、流石に定期的に駅馬車が通るというだけあって、ラトル~ノール・ノルザニ間に比べれば、車輪でも通れるように道が整備されている。
運動能力が低いとはいえ、フィナは動物に乗って走るのは得意だった。それは、いつも動物に乗って移動しているからだ。彼女の家があるラトルの町中でさえ、自分の足で歩くのが面倒なときは、大犬に乗って駆けていたものだ。
『学術都市』フグティ・ウグフ。そこは、この世界中でもっとも魔法研究が行われている都市だ。そこには数多の研究施設や、世界唯一の魔法アカデミーがあった。それゆえ、その都市の人口はラトルやノール・ノルザニに比べて格段に多い。このアーケモスの世界中で第二の規模を誇る大都市だ。
そのような都市ならば、自分の買いたい本も容易に手に入るだろう。この際だから、もっと多くの本を買って帰ろう。フィナはそう考えていた。彼女は本のことばかりを考えていて、あとからついてくる連れのことなど、微塵も気にかけていない。
二頭の大犬が街道を駆け抜ける。犬の足が地面を蹴って激しい音を立てていた。いくら犬に乗れば楽だと言っても、一日中ずっと犬にしがみついているのも疲れるものだ。フィナは犬に乗ったり降りたりしながら、北東へ向かいつづけた。
道中、ウォーロウはよくフィナに話し掛けてきていた。だが彼女は、話し掛けられた内容をまったく覚えていない。それどころか、話し掛けられたそのときでさえ、何を話し掛けられているのか認識してすらいない。
四日の行程を経た。馬車では残り六日というところだろうが、大犬ディリムではのこり三日というところまで来ていた。
夜が近づき、フィナとウォーロウはいつものようにディリム二頭を見回りに放って、焚き火の周りで眠りにつくことになった。
この日もめげずに、ウォーロウはフィナに話しつづけた。彼女は最初のうちは頷いて相槌を打っているようだったが、暫くとしないうちにそれもなくなり、まったく返事をしなくなった。彼女はここ数日間、いや、これまでずっとこの様子であった。
夜は更けて、フィナは眠りについた。彼女は木にもたれかかって寝息を立てていた。
静かだった。
焚き火の音だけがした。
眠りの淵にあるフィナの横顔を、ウォーロウはじっと見ていた。
++++++++++
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