第一章⑤ ふたつの孤独

 しかし、ベブルは翼竜アーディの片足を掴み、両足で翼竜を蹴り上げた。その一撃で、翼竜は引きちぎられた。ベブルは落下し、空中で二回転して、着地した。


「……この野郎」


 ベブルは、未だ表情を全く変えないフィナを、思い切り睨みつけた。だが、フィナは怖じ気づくどころか、怒りもあらわな彼に対して、更に感情を逆撫でする言葉をぶつける。


「大人しくしたほうが身のため」


「このクソ女ッ!」


 ベブルはフィナに向かって走り出した。もはや本気で、拳で叩き殺すつもりだ。


「ふざけんなぁッ!」


 彼の右の拳が、空気を切り裂いて唸る。この威力だと、フィナは一撃で粉々になりかねない。しかし、彼女は逃げもせず、右手に持ったサファイアの杖を構え、何か魔法を唱えようとしていた。彼女は本当に、魔術師としても、人間としても強い。



 だが、ベブルが拳を繰り出したところで、ふいに、フィナが前に一歩、――実に奇妙な一歩を――踏み出してきた。攻撃を仕掛けようというのではない。その証拠に、何かに気を取られたように、口はあけたまま、魔法の詠唱を中断している。サファイアの杖は、もはや構えていない。


 そして、ベブルは、フィナがわざと一歩踏み出したのではないことに気がつく。彼女は、前につんのめり、倒れそうになっているのだ。


「――ッ!」


 現在起こっている現象が理解できず、ベブルは慌てて攻撃の手を止めた。


 思ったとおり、フィナは前に倒れる最中だった。倒れ込んでてくる彼女をベブルは片腕で受け止めた。それから、彼女の向こうに、別の女がひとり立っているのに気がついた。


++++++++++


「残念、もう少しですべて終わるところだったのにな……」


 その女は残念そうに苦笑いしながら、そう言った。彼女のいでたちは全体的に黒い、魔術師風のローブのようだった。髪は長く、それが顔の前右側に下がっており、右目は隠れている。少しだが、右目のあるらしいところには、包帯が巻かれているのが見て取れる。


「この女を背後から押したんだな? 誰だてめえ……」


 ベブルは、その女を睨んだ。この女は、フィナを後ろから押して、無防備になった彼女を彼に殺させようとしたのだ。


「私の名はエルミダート……。ウェルディシナ・エルミダート。またの名を『紅涙こうるいの魔女』と呼ばれている」


「よくまあ、こんなところにおいでなすった。初対面でいきなり俺を嵌めようなんざ、随分舐めてくれるじゃねえか」


 ベブルは『紅涙の魔女』ウェルディシナ・エルミダートを睨みつけた。フィナは彼から離れ、魔女のほうに、一応構えた。


「ここでひと押し。それがなければ、大魔術師デューメルクが生き延びるのは確実だったからな。一撃で間違いなく殺せるよう手助けしてやったのが……」


 ウェルディシナは舌打ちした。


「何者だ。一昨日の夜も街に使い魔を……。リーリクメルドを探していたのか?」


 今度はフィナが、『紅涙の魔女』に言った。いまひとつ、感情のよくわからない口調だ。


「ふむ……。いかにもそうだが。“この時代”のことはあまり良く知らないのでな。まさか、『大魔術師』リーリクメルドが、腕力で鳴らした人間だということを知らなかった。ここまでたどり着くのに、多少時間を要したよ」


 『紅涙の魔女』は嘲笑った。


 ベブルは、ウェルディシナへの睨みを更に利かせる。


「“この時代”だと? なに言ってやがるんだ貴様。それに、俺のことを『大魔術師』だと? ……笑わせんな!」



「目的は?」


 フィナが『紅涙の魔女』に問うた。魔女は答える。


「簡単なことだ。リーリクメルドかデューメルク、お前たちのを殺すことだ」


「知らねえと言う割には、俺の魔法名も、この女の魔法名も、良く知っているようだが? 『紅涙の魔女』!」


「おまえたちは有名すぎるほどだからな」


 『紅涙』の魔女は、さも当然そうに答えた。ますます、ベブルには意味がわからない。勿論、フィナにも解らなかった。



「――で、手っ取り早く、貴様は俺の敵だな?」


「その通りだ」


 ウェルディシナがそう答えるが早いが、ベブルは彼女に向かって突進していた。もはや、当初、殺そうとしていたフィナにはお構いなしだ。


 ベブルの拳の一撃を、ウェルディシナは魔力の障壁をつくりだして受け止めた。


「なるほど、いかに偉大な魔術師であろうと、魔法を学ぶ前はただの人というわけだな」


「そいつはどうかな」


 ベブルはもう一度拳を振り上げ、今度はウェルディシナの魔力障壁を素手で叩き割った。これには彼女も驚愕した。魔法でつくり出したものを易々と素手で破壊できるなど、道理がおかしい。


「なッ――!」


「次はてめえのそのを、叩き潰してやる!」


 ベブルは薄ら笑いを浮かべながら、魔力障壁を失ったウェルディシナに襲い掛かった。魔女は慌てて、飛行魔法を唱えて空中に飛び上がった。これではベブルは彼女に手を出せない。


 空中に飛び上がった『紅涙の魔女』は、すぐさま召喚魔法を唱えて、人間の身長ほどの背の高さを持つ、巨大な鋭いくちばしを持った怪鳥、『ロクーン』を召喚した。


 怪鳥ロクーンは召喚されるとすぐに、ベブルに襲い掛かった。彼は、それに応戦しようとして、拳を構える。鳥の魔獣でも、彼の攻撃は危険と悟ったのだろうか、飛び上がって、攻撃を中断した。


「腰抜けの小鳥が」


 ベブルは舌打ちした。


「“炎の魔法エグルファイナ”」


 今度はフィナが、攻撃を免れたロクーンに対して炎の魔法を放った。一瞬にして、ロクーンは焼き鳥になり、地面に落ちた。


 その隙を、ベブルは逃さない。まだ生きているその鳥を、拳の一撃で粉砕した。


「“炎の魔法エグルファイナ”!!」


 空中の魔女が、フィナが唱えたのと同じ呪文を唱えたので、ベブルは上空を見上げた。炎の嵐が降ってくる。


 あっという間に、ベブルはウェルディシナの炎の魔法に包まれ、外にいるフィナからはその姿が見えなくなった。


 ウェルディシナの魔法の威力はなかなかのものである、とフィナは評価した。ここで、普通の人間であるベブルは戦闘不能になるだろう。魔女との決着は、自分がつけることになるだろう。――そう、彼女は思った。



 しかし、炎の中から、人影が飛び出した。ベブルである。


「消えろ!」


 とてつもない跳躍力で、空中高くにいるウェルディシナに襲い掛かった。


 そんな馬鹿な! これは人間の力ではない! ウェルディシナは思いながら、飛行魔法で更に飛び上がった。こうでもしないと、ベブルの攻撃を避けることができなかったのだ。


 どうやら、魔術師の息子だけあって、魔法への耐性はかなり強いらしい。ベブルを見ながら、フィナは確信した。


 だが、あと少し高さが足りず、ベブルは地上に落下してきた。かなりの高さから落ちたものの、慣れた雰囲気で、彼は楽に着地した。


「あの女……、絶対に俺がぶっ殺してやる……」


 ベブルの怒りは最高潮だ。拳で直接攻撃する芸風の彼にとって、拳の攻撃有効範囲からすぐに逃げる相手は不愉快なのだ。


「魔法が使えないといっても……、流石は大魔術師リーリクメルド。よもや、素手で魔法まがいのことができたとは……。」


 『紅涙の魔女』ウェルディシナ・エルミダートは、怖気づいていた。魔法を使えない人間に、これほど恐怖を感じさせられるのは、彼女にとってはじめてだった。



「おい、女」


 ベブルは地上からウェルディシナを睨み上げたまま、隣にいるフィナに言った。


「フィナ・デューメルク」


「デューメルク、策はあるか。あの魔女をたたき落とす策は」


「炎の魔法」


「それはもうやっただろ」


 フィナは否定する。


「違う。やるのはあなた」


「俺は魔法なんか使ったことはない」


「知ってる」


「だったら――」


 ベブルはフィナのほうを向いた。彼女は彼を真っ直ぐに見つめ返した。


「できる。私は、知ってる」


「なんだ、そりゃあ……」


 だが、ベブルには、フィナのその言葉に妙な説得力を感じた。この妙な感覚は、あのとき、母を失った葬儀のときに覚えた感覚に似ている。何かが隠蔽されているような、何かが明らかになるような、そして何かがそこにあるような――。


「教えろ、呪文は?」


「エグルファイナ」


 フィナがそう言ったのをしっかりと聞いて、ベブルは無気味に笑った。



 ウェルディシナは哄笑する。


「はは、この私と魔法の撃ち合いでもする気か? 『大魔術師』リーリクメルドといえど、今は魔法の素人。それに、一度も魔法を使ったことがない上に、呪文だけをいま知ったところときた!」


 上空にいるウェルディシナは、髑髏の飾りのついた杖を召喚し、地上のベブルに対して構えた。


「『紅涙の魔女』! 貴様を追い詰めて殺す!」


 ベブルは、上空に向かって拳を突き上げた。


「「“炎の魔法エグルファイナ”!!!」」


 ベブルと、『紅涙』が同時に呪文を唱えた。


 炎の嵐が巻き起こった。


 彼らの周囲にある木が、草が、家が燃え上がった。炎の竜巻が巻き上がり、天を焼いた。周辺一体が炎の嵐だった。一瞬にして、のどかな風景であったのが、ただただ赤いだけの世界に成り代わった。


 ベブルの炎の魔法が、圧倒的に強かった。もはや、どれが『紅涙の魔女』のつくりだした炎なのか、判別できないほどの力の差だった。


「行けぇ――ッ!」


 ベブルが叫ぶと、炎は更に勢いを増した。石碑のある墓地一帯が炎に包まれている。すべての炎が、音を立てて、空を焼き尽くさんばかりに、天に向かって燃え上がっている。


「なッ――!」


 ウェルディシナは危険を察知すると、飛行魔法を使って早々と退散した。しかし、どこまで行っても炎は追ってくる。上に、上に、上に逃げても埒が開かない。逃げるしかない。彼女の指輪が光り、彼女は姿を消した。


++++++++++


 その後、炎の竜巻は消え、墓地には平穏が戻った。草木は焼け果て、焼け野原となったが。


「おいおい、大変なことになってたなあ。何だったんだ、あの炎の竜巻。あれ、フィナちゃんがやったのか?」


 フィナの方に走ってきて、彼女に声をかけたのはゼスだった。


「いや」


 フィナの返答は、相変わらず素っ気無かった。


「おい女、霊峰ルメルトスに帰るぞ」


 ベブルはフィナにそう言ったが、フィナのほうは聞き間違えではないかと、一瞬きょとんとしていた。


「魔法……。なかなかどうして面白いじゃないか。霊峰には確か魔導書が大量にあったな。希覯きこう本も含めて」


 ベブルは自分の両手を見つめたまま、静かにフィナに訊いた。


「そう」


「そこらの魔法書屋よりも揃っているわけだ」


「そう」


「よし、明日朝一で霊峰ルメルトスへ向かう。俺は本を頂いておさらばだ。いいな?」


 ベブルは、フィナに言った。


「構わない」


 フィナは、こともなげに答えた。ある意味で師匠であるヨクト・ソナドーンに対しての義理を欠いているようだが、彼女は額面通り、指示されたことはきちんと守っている。



「いやあ、よかったな。これにて一件落着ってことか」


 ゼスはことの成り行きをみて、豪快に笑った。


「なんだこいつは」


 ベブルが言ったのに対し、フィナが答える。


「部外者」


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