第28話 俺にとってのヒーロー

 二クラス合同で行われる体育の授業は、現在バスケとテニスの選択で分かれている。もちろん俺はバスケを選んだ。ただでさえ五教科の成績は決して良いとは言えないのだから、体育などの授業で出来る限り成績を稼ごう、なんて考えると、一応ミニバスをやっていた上に今でも朝陽とたまにやるから、バスケの方がいいだろう。などという浅はかな考えだ。

 だが、今日ほどバスケを選んでいて良かったと思った日はない。


「真矢、面白いくらい注目されてんな」

「まあ、そりゃ当たり前だろ」


 授業が始まってすぐのランニングと体操が終わり、今は十分間のシュート練習。周りの生徒達は自分の練習も身に入らず、俺の方ばかりを見ている。

 体育館の半面を使っている女子の方からも多少の視線を感じているのは、多分気のせいじゃないだろう。チラリとそちらに視線を投げてみれば、やはり何人かと目が合った。手を振って来るやつまでいるし。いや、あれ柏木じゃん。なにしてんだあいつ。


「一瞬にして人気者だな」

「お前ほどじゃない」


 ボールの掴みを確認して、軽く放る。フリーフローラインからなら問題なく入る。日曜に朝陽としたばかりだから、そのお陰で感覚を取り戻しているのもあるだろう。

 俺がこんなにも注目を浴びてしまっている理由はただ一つ。今までずっと隠し通していた顔を晒しているからだ。

 葵から借りたゴムとピンで前髪を留めて、視力に問題があるわけでもないから遠慮なくメガネも外し、金色の瞳を露わにしている。

 おそらく、殆ど全員が気づいているだろう。俺の瞳の色が他と違うことに。


「よう大神。いきなりイメチェンなんかしてどうしたんだよ」


 だから、こうして馬鹿がすぐに食いついてくる。

 ニタニタと厭らしい笑みを口元に浮かべている坂上が、取り巻きを伴って俺たちの前にやって来た。あきらかに、俺を見下している目だ。さっき柏木に泣かされる寸前まで言い負かされたと言うのに、まだ懲りていないとは。まあ、その方が好都合ではあるんだが。


「別に。イメチェンのつもりでやってるわけじゃねぇよ。久しぶりに本気でバスケしたくなっただけだ」

「いやいやいや! お前が本気出したところで大したことないだろ!」

「おいおい、んなこと言ってやんなよ! 大神くんは頑張るらしいんだからさ!」


 取り巻き二人ウゼェ……。人を怒らせる天才かなんかなの? でもまあ、王様気取りの馬鹿が侍らせてる取り巻きなんてこんなもんか。むしろ小物としての完成度が高すぎて文句ないまである。


「てか、なんだよその目。カラコンでも入れてんの? 厨二病ってやつか? 気持ち悪い色してるし、こんなんの相手してる葵とか柏木の気が知れないな」


 鼻で笑いながら告げられた言葉に、体が硬直する。

 同じだ。昔と同じ。ただ、俺の目の色だけが違うっからって集団から排除されて、気持ち悪がられて、心無い言葉をぶつけられて。それでも、朝陽と広瀬と、あの人だけは俺から離れなくて。

 でも、違う。周囲の反応があの時と同じでも、今の俺はあの時の俺じゃない。

 朝陽達に甘えるのはもうやめた。今みたいなことを言われるのは、たしかに怖かったけど。覚悟もしていた。

 自分に自信は、まだちゃんと持てないかもしれないけど。それでも、俺の瞳を綺麗だと言ってくれたやつがいるから。


「なあ坂上。そこまで言うなら勝負しようぜ」

「は?」

「俺らのチームとお前らのチームで。お前が勝ったら、俺がなんでも言うこと聞いてやるよ。パシリにでも奴隷にでもすればいいし、朝陽の弱みの一つや二つ、教えてやる」

「いきなり何言ってんだ、お前」

「そのかわり、俺らのチームが勝ったら、葵と柏木に謝ってもらうからな。断るわけないよな? 俺なんかが本気出したところで、どうせお前らにとっては大したことはないんだろうし」


 挑発するように言ってみれば、坂上の眉が釣り上がる。煽り耐性が随分と低いようで。コントロールしやすいからいいんだけどさ。


「まさか、負けるのが怖いのか?」

「んだと?」

「みんなの前であんだけ悪口言いふらして、結果謝ることになりました、なんて、ダサすぎるもんな」

「そこまでやるならやってやろうじゃねぇか。後悔しても遅いからな」

「え、ちょっ、俊⁉︎」

「マジでやんの⁉︎」


 取り巻きが慌ててる間に、体育教師が集合の笛を鳴らす。シュート練習の時間は終わりらしい。いつもより少し短く思えたが、俺たちのやり取りを喧嘩と判断したからだろうか。

 この授業を受けているのは全部で二十人。それを四つのチームに分けて、各五分の試合を行うことになる。俺達と坂上達のチームは、最初は見学。ほかのチームの奴らがコートに向かうのを眺めながら、体育館の端に同じチームのやつらで集まった。

 俺のチームは朝陽グループの四人プラス俺だ。朝陽と黒田。それから、たしか柳ってやつと大田ってやつ。この二人とはあまり話したことがないから、下の名前も知らない。いや、黒田の名前も知らないんだけどね。


「いや〜、大神、お前結構イケメンじゃん! なんで今まで隠してたんだよー!」


 その黒田が馴れ馴れしく肩を組んでくる。くっ付くな耳元ででかい声出すな気持ち悪い。


「別に隠してたわけじゃねぇよ。見られるのが嫌だっただけだ」

「いやそれ隠してたってことじゃんね⁉︎」


 テンション高いなおい……。やめろ、それ以上陽キャエネルギーを俺に向けるんじゃない……。せっかくのやる気が削がれるだろうが。


「で、お前は坂上達に勝てんのか?」

「当たり前だろ」


 分かり切った質問を飛ばす朝陽に、不敵に笑って肩を叩いた。

 俺と坂上の一対一でも勝てるが、なにも個人勝負を持ちかけたわけではない。俺は、チームで勝負しようとあいつに告げたのだ。


「頼りにしてるぞ、朝陽」

「結局俺かよ!」


 当たり前だろ。お前に甘えることはやめるけど、だからって利用しないわけがないのだから。

 ということで、ここからは単なる蹂躙だ。現役バスケ部エースの実力に恐れおののくがいいわ! ガハハ!










 捻挫した。

 いやもう、割と見事に足首がグキッていった。ふつうにレイアップしただけのはずなのに、着地に失敗して右足首が逝った。

 しかも軽いやつじゃなくて、結構ガッツリと。


「ダッセェなぁ……」


 場所は保健室。ベッドの上で足首冷やしてるなう。

 俺が保健室にたどり着いてからしばらくした時に、授業終了のチャイムは既に鳴っている。今は休み時間だ。試合には勝ったし、俺個人の話をしてもかなり活躍できた、と思う。多分朝陽よりも。なにせスリーを二つ決めたのだから。

 試合が終わっても坂上達から特に逆上されることもなく、ていうか俺はすぐに保健室へと運ばれたわけで。その後、あいつらがどうなったのかなんて知らない。葵と柏木にちゃんと謝ってくれさえすればそれでいいから。


「足の痛みはどう? 歩けそう?」


 ひょこりと顔を出してきたのは、この学校の養護教諭である赤月先生。まだ二十代だろう赤月先生は、名の通り赤く長い髪にスーツの上から白衣を羽織っていて、まさしく男子高校生が理想とする『保健の先生』といった感じだ。

 噂では、仮病を使ってまでここに訪れる生徒もいるのだとか。そいつらは学校を、延いては保健室をなんだと思っているのか。まあ、気持ちはわからんでもないけどな、うん。


「全然歩けそうにないです。多分今日一日ダメっす」

「あらあら、それじゃあ教室に帰れないわね」

「まだもうしばらくベッドで休んでないとヤバイですこれ」


 困ったように笑う赤月先生は、しかし俺を追い出そうとはしない。別に歩けないほどではないと、患部を見た先生なら分かっていそうなのに。


「とりあえず、いつまでも氷嚢使っていても仕方ないから、湿布を貼りましょうか」

「はい」


 棚から湿布を取り出した赤月先生が、ベッドに腰掛けている俺の前で跪く。裸足になっている右足を差し出せばしっかりと湿布を貼ってくれて、その冷たさに変な声が出た。


「ふおぉ……」

「ふふっ、可愛い声出すのね」


 上目遣いでニコリと言われた。思わず年上趣味に目覚めちゃうところだった。


「はい、これでよし」

「ありがとうございます」

「いいのよ、これが私の仕事なんだから」

「身もふたもないこと言わんでくださいよ」

「仕事ついでに、時間もあるからなにか悩みがあるなら聞きてあげるわよ? 私、これでもカウンセラーの資格とか持ってるの」


 ふふん、と大きな胸を張ってドヤ顔を披露する赤月先生は、年の割には少し可愛く見える。いや、先生が何歳かは知らんけどね。マジで年上趣味に目覚めちゃったらどうしてくれるんだ。


「悩み、ってほどのもんでもないんですけど……」

「うん、いいわ。聞かせてちょうだい?」

「先生は、俺の目の色、どう思いますか?」

「綺麗だと思うわ」


 即答。まるで俺の問いを事前に分かっていたんじゃないかと思うくらいの。しかしそんなわけもなく、ましてや今の先生の答えが嘘だとも思えない。

 立ち上がった赤月先生はデスクの椅子に腰を下ろし、優しい笑顔で俺を見つめる。そんな顔で見られていたら、自然と口は動き、溜まっていたものを吐き出していた。


「怖かったんですよね。この目を見られるのが。中学の頃は目の色が違うだけで、気持ち悪いだのなんだの言われて。俺のことを庇ってくれたやつらまで悪く言われて。だから、この目の色が嫌いだったんですよ」

「だった、ってことは、今は違うの?」

「まあ、ちょっとマシに思えるようになった程度です」


 俺のこの目を綺麗だと言ってくれる、こんな俺に好意を寄せてくれるやつがいるから。

 だから、ほんの少しだけ、好きになれるかもしれない。これから、好きになれたらいいと思う。今日はそのための第一歩だったわけだが、こうして情けなく捻挫している。


「目の色ってことは、大神君はハーフかクォーターなのね」

「ええ、クォーターですね」

「なら先生と同じだ」

「そうなんですか?」


 ええ、と笑う赤月先生は、自慢げに赤い髪を靡かせた。それが自分にとって誇らしいものであるかのように。


「私も、お婆ちゃんが外国の人でね。この髪の毛は地毛なの。お陰で昔は苦労したけど、今は好きなの、この髪が」

「そう、ですか……」


 先生が昔、どのようなことを経験したのか俺には分からないが。それでもその表情は、髪も含めた自分のことを心底から好きになれているんだと、理解できる。

 先生と話し込んでいると、始業のチャイムが保健室内に響いた。それを聞き、赤月先生はデスクの上のプリントを何枚か持って立ち上がる。


「大神君も、いつかその目を好きになれるといいわね」

「……善処します」

「ええ、頑張って。それじゃあ、私は少し外すわね。しばらくベッドで寝ててもいいから」

「ありがとうございます」


 保健室から退出する赤月先生の背中を見送っていると、扉のところでその足が止まった。視線は右側、扉の裏に向けられている。そこに誰かいるのだろうか。


「あら。もう二時間目は始まってるけれど、どこか体の調子でも悪いのかしら?」

「はひっ! いえいえいえ! 私はお見舞いに来ただけなので!」


 思いっきり聞き覚えのある声だった。いや、マジでなにしてんのあいつ。先生も言ったけど、もう次の授業始まっちゃってるよ?


「ふふっ、葵夜露さん、だったわね」

「そ、そうですけど……」

「葵さんは急な腹痛で保健室に。そういうことにしておくわ。授業を担当してる先生にも説明しておいてあげる」

「いいんですか……?」

「いいもなにも、病気や怪我の生徒を受け入れるのが保健室で、私はそこを任されているのだから。私がそう言えばそういうことになるのよ」


 職権乱用甚だしいが、赤月先生の口調があまりにも自然だったから、そこにいた生徒、葵も去っていく先生にも頭を下げて、保健室の中へと入ってきた。


「えへへ、初めて授業サボっちゃいました……」

「お前な……」


 何故か申し訳なさそうに眉尻を下げている葵は、湿布を貼っている俺の右足を見て、痛ましそうに表情を歪めた。

 しかしなにかを口にしようとして、俺の顔を見た後驚いたように目を見開く。忙しいやっちゃな。


「お、大神くん、どうして……」

「ん? ああ、これのことか」


 人差し指で示したのは、未だゴムとピンで留めたままの前髪。そういえば、葵には借りるだけ借りてその目的を話していなかったか。


「さっき、バスケの試合だったからな。ちょっと本気でやるのに、前髪が邪魔だったんだよ」

「でも、あんなに見せたがらなかったのに……」

「まあ、そうだな」

「それに、大神くんは……」


 なにやら葵の様子がおかしい。何かあったのだろうかと首を傾げて、合点がいった。赤月先生に見つかった時の状況を考えると、さっきの話が聞こえていたのだろう。

 だからまた、心を痛めてくれている。情けない俺なんかのために。


「ありがとな、葵」

「え?」


 本当は、お礼を言うのは別のタイミングだと決めていたけど。でも、言わずにはいられなかった。


「お前が綺麗だって言ってくれたお陰で、俺はちょっとだけ、自分が好きになれそうなんだ。この目も含めて。まだちょっと怖いけどさ。それでも、お前のお陰で、一歩踏み出そうって思えた」

「そんな、私はそんな大それたことはしてないですよ。ただ、本当に大神くんの瞳の色が綺麗に思えて。優しい金色をしたあなたの目を、私がすっ……き、な、だけなんです……」


 好き、と口に出すのが恥ずかしいのか、そこだけ少し吃った葵に、つい笑みが漏れてしまう。彼女の頬も、赤くなっているように見える。


「でも、それでもだよ」


 葵にそんなつもりはなかったのかもしれない。純粋な気持ちだけで口にした言葉だったのかもしれない。

 だからこそ、なのだ。下心や同情の入る余地など微塵もない、その言葉だからこそ。


「俺は、葵の言葉に救われた。そういう意味では、葵は俺のヒーローなんだ」


 いつか、俺が困っていたら助けてくれと、葵に告げた。それが今、こうして叶えられた。

 葵自身にその自覚はないのかもしれない。俺が助けを求めたわでもない。でもこうして、俺は葵の言葉に救われたんだ。他の誰がなにを言おうと、葵夜露は大神真矢にとってのヒーローなんだ。


「私が、大神くんにとっての、ヒーロー、ですか……」

「おう」

「本当ですか……?」

「嘘ついてどうするんだよ」


 微笑みかければ、葵も同じように破顔する。

 その顔いっぱいに嬉しさを湛えた、とても可愛らしい笑み。


「なら、あとは大神くんに、今よりもっと幸せになってもらうだけですね! 私が、絶対に、大神くんを幸せにしてあげます!」

「うっ、おっ、おう……」

「……? どうしましたか?」


 紛らわしいことを言わないでもらいたい。今のじゃまるで、告白というか、それを通り越してプロポーズみたいじゃないか。

 本人にその自覚はなさそうだし、そもそも料理で人を幸せに、というのは前にも聞いたし、なんなら俺の言葉が端を発しているんだけど。


「いや、なんでもない。そうだな、葵の料理、また楽しみにしてる」

「はいっ!」


 純粋すぎるってのも考えもんだな……。心臓に悪いわ、こいつ。

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