葵夜露は素直に好きと伝えたい。

宮下龍美

第1章 ツンデレですか? いいえ素直になれないだけです。

第1話 葵夜露、人生最大のミスをやらかす。

 好きです、付き合ってください。


 告白における常套句だ。その形に程度の差異はあれど、言われて不快に思う奴は少ないだろう。相手の好意を正面からぶつけられる。それを受け入れるか、拒絶するかはその人次第だが。そんな青春を、色んな学生が過ごしている。

 俺と同じこの通学路を歩いている、あそこのカップルも。そんなやり取りの末に恋人という関係へ落ち着いたのかもしれない。もしかしたら、そのカップルの少し後ろを歩いているあの男子生徒は、誰かにその言葉を放ち、拒絶されたかもしれない。

 そうやって妄想を広げることは自由だが、かく言う俺は、今まで誰かに告白したりされたりなんて、そんな浮ついた話はこの十七年間一つもなかった。

 青春? 告白? 大いに結構。好きなように楽しめばいいさ。それは個人の自由だ。リア充どもがどれだけ騒いで、どれだけ世の中に迷惑をかけようが、俺の知ったことじゃない。

 ただし昼休みに俺の席を占領する女子グループは絶対に許さないからな。絶対にだ。


「おうおう、朝から随分と剣呑な目ェしてるじゃねぇかよ。綺麗な金色が台無しだぜ、大神おおがみ真矢しんやくん?」


 背中に聞き慣れた声がかけられた。振り返った先にいたのは、同じクラスの友人兼幼馴染である伊能いのう朝陽あさひ。その肩には、見慣れたバスケのエナメルバッグ。


「おはよう、朝陽。今日も朝から鬱陶しいな」

「そっちは相変わらず、朝から失礼なやつだ。俺じゃなきゃ嫌われてるぜ?」


 極論。人間とは、二種類に分けられる。

 勝者か、敗者か。

 青春という舞台において、朝陽は間違いなく勝者であり、俺は間違いなく敗者だ。

 爽やかイケメンという言葉の擬人化みたいな朝陽と、野暮ったい髪の毛をボサボサに伸ばして地味なメガネをかけた俺とじゃ、その容姿からしてまず明らかだろう。

 伸びすぎた前髪と度の入っていないメガネには、それなりの理由があれど。こんな見た目をしている限り、俺は朝陽のような勝者になることはまず不可能だ。


「それより、今日は随分ご機嫌だな。なんかいいことでもあったか?」


 いつもより比較的テンションの高いイケメンに問いを投げれば、道路を挟んだ向かいの歩道を顎で示された。

 そこにいた一人の女子生徒を見つけて、なるほどと納得する。


「朝からあの人を見れたんだから、ご機嫌にもなるだろ?」

「そこまであからさまなのは、お前くらいなもんだろうよ」


 ここからでは後ろ姿しか見えない彼女。長い黒髪を靡かせ、ピンと伸びた綺麗な姿勢で歩くその女子生徒の名は、あおい夜露よつゆ

 校内で誰もが知る、かは分からないが、なんせ飛び切り美人な同級生だ。そして同時に、朝陽の想い人でもある。

 俺たちは数日前から三年生になり、今から受験に向けて頑張らないといけないと言うのに。幼馴染が恋にかまけてばかりで、進路は大丈夫なのかと不安になる。

 しばらくその綺麗な後ろ姿を二人で眺めながら歩いていると、葵は曲がり角へ消えて行った。その瞬間。

 一瞬だけ、こちらをチラリと見たような。


「なあ、今俺、葵と目合ったかも」


 どうやら、隣の朝陽も気付いたらしい。ウットリしたような顔で言う様は、失礼ながら気持ち悪い。恋は盲目と言うが、こいつは今自分がどんな表情をしているのか、気がついていないだろう。

 こんな朝陽をそこらの女子が見れば、幻滅すること間違いなしなんだろうが。こいつそのうち、ブレーキランプ五回点滅とかしそうでちょっと心配。その告白は古いからやめておけよ。


「別に、お前を見たわけじゃないと思うけどな。どっか別のもん見てたんじゃねぇの?」

「いやいや、確かに俺たちを見てたって!」


 その言い方だと、お前だけを見てたわけじゃないってことになるが、それでいいのか。


 信号を渡り、俺と朝陽も葵が消えて行った先へ歩く。去年の夏休みの間にリフォームされた綺麗な校舎が見え、道の端には満開の桜が、風に花びらを揺らす。

 この光景を見ると、ついに三年生になってしまったと言う受験への憂鬱と、ようやく青春なんてもんから解放されると言う安堵が同時に感じられる。それも、ここ数日毎日のように。

 俺は帰宅部だから関係ないが、バスケ部の朝陽は後輩の勧誘なんかもあって、特に大変なことだろう。受験や恋の前に、部活に追われていそうだ。

 一方で帰宅部のエースである俺はと言うと、朝陽を始めとした部活に入っている他の生徒が汗水垂らして青春してる間、家に帰ってお布団ちゃんとランデブー。あの子ったら中々俺のことを離してくれなくて、この時期は特に大変なのよね。マジ春眠暁を覚えずだわ。


「時に真矢よ」

「なんだ?」

「お前、その青春に親でも殺された、みたいな態度、そろそろやめた方がいいんじゃないか?」

「どしたよいきなり」


 こいつがこんな事を言ってくるなんて、少なくとも俺の記憶にはない。俺を慮っての発言だとは理解出来るが、その珍しさについ面食らってしまった。


「もう高校生活も最後の一年だろ。お前だってちょっとくらい、いい思い出っての残すべきだと思うぜ」

「思い出ねぇ……」


 言われて過去を振り返る。確かに俺の高校生活は、苦いと言っても差し支えないような思い出ばかりだ。別にそのことについて思うところがあるわけでもないが、幼稚園からの幼馴染がこう言ってくれているのだ。

 頭の片隅に留めておく程度は、してもいいだろう。


「まあ、善処する」

「真矢も好きなやつの一人や二人、作ったらいいんだよ」

「いや、二人はダメだろ」


 笑い合いながら軽口を交わしつつ、学校までの一本道を歩く。

 程なくして校舎まで辿り着き、昇降口で上履きに履き替えようと靴箱を開ければ、そこには見覚えのないものが。


「なんだこれ?」

「どうした真矢?」

「あー、いや、なんでもない。お前先に教室行っててくれ。ちょっと用事済ませてくるわ」

「りょーかい」


 朝陽を先に教室へ向かわせ、廊下の端で靴箱に入っていたそれをじっくり眺める。

 とても整った文字が書かれた、一枚の紙切れ。ラブレターと言うにはあまりにも簡素すぎるそれには、『大神真矢くんへ』としっかり書かれていた。

 この時点で、まず入れ間違いとかそんなのではないことが確定してしまう。

 そして続いて紡がれている文章は『伝えたいことがあります。朝礼前に、屋上でお待ちしています』と言う、嫌でも期待してしまうもので。

 おいおいおい。おいおいおいおい。マジかマジかよマジですか。

 前言を全て撤回させてもらうわ。なんだよ、悪くねえじゃん青春。まさかこんな俺にこの様なものが差し向けられるとは思いもよらなかったけど、ついに我が世の春が来たのかな? 早速思い出とやらが出来ちゃうのかな?

 我ながら酷い掌返しだな。今なら天元突破出来ちゃうレベル。


 さて。この手紙には、朝礼前に屋上、と書かれている。スマホで時間を確認してみれば、朝礼まではまだ余裕があった。今すぐ向かえば、この手紙の主に出会えることだろう。

 悩む必要なぞなにもない。歩き出した俺の足は、迷うことなく屋上へと向かっていた。

 苦節十七年。彼女どころか女友達すら一人も出来なかったこれまでの人生は、きっと今日この時のためにあったのだろう。神は俺を見放してなどいなかった。

 俺はようやく、この青春で、敗者から勝者へと成り上がることが出来るのだ。

 階段を登り、見えてきた屋上への扉。その先に、この手紙の主がいる。

 意味もないのに髪の毛先を気にしたり、ネクタイをしっかり締めたり、ブレザーの裾を気にしたりしてから。俺はついに、その扉に手をかけた。

 開かれた扉の向こうには、晴れ渡る青い空が広がっている。高いフェンスに囲まれたそこは、地上よりも風が少しキツい。


「えっ……」


 その風に靡く長い黒髪を見て、思わず声を上げてしまった。その後ろ姿は、先程の通学路で朝陽と眺めていたものと、全く一致する。してしまう。

 俺の声が相手の耳に届いてしまったのだろう。振り返った彼女と目が合って。手紙の主と思わしき女子生徒、葵夜露は、嬉しそうに顔を綻ばせた。


「良かった、ちゃんと来てくれたんですね」


 柔らかな印象を与える目元には泣き黒子。綺麗な白い頬は、少し赤みが差しているように見える。

 こうして彼女の顔をよく見てみると、イケメンな朝陽とはお似合いだろう。なんて、場違いな感想を抱いてしまって。

 思考が追いつかない。

 その言葉から察するに、俺の靴箱にあの手紙を入れたのは、葵で間違いないのだろう。誰か他の奴に頼まれて、と言う線もあるかと思ったが、この屋上には俺と葵の二人しかいない。


「大神真矢くん、ですよね。私、あなたに伝えたい想いがあるんです」


 鈴を転がしたような声が、俺の鼓膜を震わせる。同級生や後輩が相手でも敬語を使うのは、これまで話したこともなかった俺ですら知っていることだったけど。

 葵夜露は、朝陽が想いを寄せる女の子だ。まさか、そんな相手から告白されると言うのか? いや、まだそうと決まったわけじゃない。もしかしたら、朝陽のことが好きだから手伝ってくれとか、そう言う相談を俺に持ちかけてきたのかもしれない。


「私、あなたのことが……」


 そんな俺の思考とは裏腹に、時間は無情にも過ぎていき、現実を俺に叩きつけようとしてくる。言葉を紡ぐ葵の口は、止まる気配がない。待て、待ってくれ。そこから先を俺が聞くわけには──。


「あなたのことが嫌いです! 私と付き合ってください!」


 ……はい? こいつ今、なんて言った?

 まさか俺の聞き間違いだろうか。だって、嫌いなのに付き合ってくれってお前、それなに、どういう意味?

 あまりにも意味不明すぎる発言に、俺の脳内は疑問符で埋め尽くされ混沌を極めていた。誰でもいいから説明してくれませんか。いや、本人いるんだから本人に聞けばいいのか。


「あー、葵? その、今のはどういう……」

「で、ですから、私、大神くんの、こと、が……」


 そこで言葉を止めた彼女の顔が、見る見る内に赤く染まっていく。開いた口をパクパクさせて、なにか信じられない事態に直面したかのような。

 いや、その事態に直面してるのはむしろ俺の方なんだけど。

 こっちが心配になるくらい顔を真っ赤にしてしまった葵が、次に放った言葉は。


「ま……」

「ま?」

「間違えましたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」


 いや、どこを?

 なんて疑問を投げるよりも前に、葵は長い髪を振り乱しながら、俺の横をダッシュで駆け抜け屋上を出て行った。

 結局彼女は、俺になにを伝えたかったのだろうか。嫌いだと言うのが本心か、もしくは付き合いたいと言うのが本心か。そのどちらをどう間違えたのか。


「なんだったんだ……」


 どうやら高校生活最後の一年は、やはりまともな青春なんて送れないかもしれない。

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