第343話 ●「神隠し」

 煌びやかともいえる王都『ガイエスブルク』において一層深き闇が広がる場所。

 そこは敗北者の最後にたどり着く場所と呼ばれ、王都に住む一部の貴族にとっては『狩場』。

 そして下級平民にとっては、自分より下がいることに精神的に安心を抱かせる『掃溜め』。

 表向きのすべての闇がそこに集約されていると言われる場所。


 西部に位置するその場所の正式名称を知る者すら既に少ない。

 それほどまでに別称。いや蔑称のほうが浸透していた。


 その場所は『汚物レザーリア


 本来その場所は、王都内でも開発が遅れて平野が広がる『エールトン開発区』という名前の場所だった。

 そこに犯罪者や政戦に敗北した没落貴族が追われその場所にいわば不法滞在したのが始まりである。

 だが第十一代国王の『景観を損ねる』。その一言をもとに強固な隔離のための壁が作られ今の『汚物』としての形が出来上がったのである。

 かの王が、住民の排除ではなく臭いものに蓋をするが如き方策を行ったことの正否は、後の歴史学者の議論の一つではあるが。


 正確な数字は不明なものの約十万人が生活するが、その多くは犯罪者だったわけではない。

 かつては犯罪者であったものの子孫がその大部分を占める。

 『その罪は子々孫々にわたって被るべき』という暴論を唱えなければ彼らの罪は無いと言ってもいいだろう。


 だが完全に隔離されたこの場所では、碌な教育など期待することなど出来ず、再起を図るチャンスもなく次第に彼らは生きるために罪を犯していく。

 その負の連鎖によって澱みに詰まった場所。それがこの『汚物』である。


 彼らにとっては、図らずも今や王国で勃発しそうになっている『獅子鷹戦争』の関係者になってしまったといえるだろう。

 なにせ『汚物』で人狩りをしていたレズナ公爵公子の暗殺事件がこの戦争の引き金になったわけだから。

 そして未だに犯人は捕まってはいない。ゆえに彼らの立場は非常に危ういままであった。


 もしファウント公爵側が勝利すれば生存できる可能性があるだろう。だがウォーレン公爵側が勝利すれば?

 そんなことは火を見るよりも明らかである。

 だが完全隔離された彼らでは外の情勢は一切知るすべはない。特に暗殺事件以降、外部へと続く唯一の扉は固く閉ざされたままである。


 そんな陸の孤島とも呼べる場所に一人の人物が現れることで大きく動き出す――


 ――――


「外はどうなっておる。これでは我々はいつ死ぬかもわからんまま無駄に生かされておるだけじゃ」

「そんなもん、分かるわけがなかろうっ!! 出ようとすればその場で殺されるかもしれんのだから」

「……二人とも落ち着け。皆々同じ思いじゃて」


 『汚物』内のほぼ中心に建てられた――他に比べれば家としての体を成しているがそれでも他エリアの住人が見たら廃墟に見える――会議所には十人ほどの男女が集まり話し合いが行われていた。

 それらは『汚物』内のそれぞれの区域を代表する者たち。彼らの議題は目下これからの自分たちの生活に関してである。


 とはいえ、外部からの情報が隔絶された中では、十分な議論など出来るはずもなく話は堂々巡りを繰り返すだけである。

 その中でも流れとしては二つ。一つは王都、ひいては王国内からの脱出。もう一つは静観である。


 とはいえ多くの代表の意見は前者に移りつつある。

 彼らの得ている数少ない情報は、ウォーレン公爵は公爵家第一位。ファウント公爵は第二位という格の差。


 実際には勝敗の天秤はファウント公爵側に傾きを強めてはいるが、国内の情報が入らない彼らにとってはその情報ですらかつての政戦に敗れた貴族の末裔からもたらされたいにしえの情報なのだ。

 さらに彼らにとっては、亡きレズナ公爵公子による『人狩り』という現実的な恐怖心が記憶に強くこびりついている。


 その事がウォーレン公爵が勝利するのでは? という憶測がどうしても頭から離れない。

 ゆえに静観することは破滅への道と多くの者が考えている。


 だが一方でこの『汚物』から脱出すること自体も至極困難である。

 なにせ四方を高い壁に囲まれており出ることのできる唯一の門は固く閉じられている。


 そんな状況に集まった皆が、身動きが取れないことへの不満をぶちまけるだけの会議となりつつあった。


「これは、これは、皆さまお困りのようですねぇ」


 そんな中、聞き覚えのないこの雰囲気の中では異様ともいえる明るい口調の声が響く。

 その声のしたほうに皆が視線を送る。


「そんな皆様にとても素晴らしいお話を持ってきたのですがおききになりますか?」


 年のころは四十代後半だろう、開いているのかもよくわからない程の細目の男が、さらに目を細めながら続けるのであった。


「話……じゃと? それはどういった?」


 本来であれば突如現れたあからさまにおかしな男に誰もが警戒しただろう。だがそれはその男の特殊能力によってかき消される。


「えぇ、それは……」


 そうして男は話を始めるのである。


――――


「……それでは、えっと……」

「ルーディアス。ルーディアス・ベルツですよ。長老」

「そう、ルーディアス殿。貴殿が我々全員。十万人の領民を安全にこの王国から逃がしてくれる。と?」

「えぇ、その通りですよ」


 そう返すルーディアスと名乗った男の言葉に十人ほどの代表は皆の顔色を窺うように見返す。

 男の提案してきた内容は、彼らにとっては願ってもないこと。この『汚物』から全領民十万人を安全に逃がす手伝いをしてくれるというのだから。

 だがそれゆえに不信感が強くなる。あまりにも美味しすぎる話だからだ。


「その申し出はありがたい。だがそれではルーディアス殿のメリットがわかりかねるのだが」

「あぁ、その事ですか。簡単ですよ。ここから逃がす見返りとして皆様にお願いしたいことがあるのですよ」


 その言葉に僅かながらも代表たちは体を強張らせる。それを知ってか知らでかルーディアスはさらに笑みを強くしながら続ける。


「実は皆様には新たに建国した国に移住していただきたいのです」

「移住……ですか?」

「えぇ、建国したとはいえまだ国民は数千人ほどでしてね。我々としては十万人も国民が増えることは願ったりかなったりなのです。

 それに今であれば皆様方の手助けのお礼として長老たちには貴族の爵位を是非に。と」


 そのルーディアスの言葉に代表たちは色めき立つ。

 なにせ小国とはいえ、これまで底辺のような生活をしてきた自分たちが一転、雲の上の存在とも呼べる貴族となるのだ。

 彼らは気づいてはいない。今まで虐げられてきた貴族という存在に自分たちもなろうとしている事に


「だが、どこに国があるというのだ? この大陸の多くは既にどこかしらかの領地となっているはず」


 その中でも僅かながらに冷静であった一人の男がルーディアスに尋ねる。


「いえいえ、まだまだ広大な土地が広がっていますよ。この国の南方に。ね」

「それは……魔陵の大森林のことか?」


 その言葉にそれまで色めき立っていた者たちのテンションは瞬く間にしぼんでいく。

 外部の情報に乏しい彼らといえど、魔陵の大森林が魔物の巣窟であることは周知の事実である。

 王国貴族の脅威が魔物の脅威に変わっただけに他ならなくなってしまうのだからテンションも上がりようがない。


「その事ならご安心を。我らがコーデリア女王陛下によって国の周囲百キロ圏内の魔物は掃討済みです。さらに言えば今後も魔物の被害に遭わない事を女王の名のもとにお約束しますよ」

「……そんな。嘘だろ……」


 ルーディアスが放った言葉に代表たちは驚愕の表情を浮かべる。

 魔物の掃討がどれだけ困難を極めるかは無知な彼らでも理解している。にもかかわらずルーディアスは、彼らの命の保証を女王の名のもと――もっとも女王の名を聞いたことが無かったが――に誓ったのだ。

 嘘であろうという思いと、この苦しい現実とのせめぎ合いに代表たちは皆押し黙る。

 だが学のない彼らには、その他の良案など思いつくはずもない。既にその藁にすがるしか他ならないのだ。


「ルーディアス殿のお話、理解しました。持ち帰り領民と相談させていただきたい」

「えぇ、かまいませんよ。皆様からの朗報をお待ちしております」


 そう、ルーディアスは微笑むのであった。


 ――――

 

 それから十日後。『汚物』の住民十万人は忽然と姿を消す。

 移動経路も目撃情報もないままにまるで神隠しにあったかのように……


 だが獅子鷹戦争が注視されていた最中故、その事実に王都の者が気づくのはさらに三か月後のことであった。

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