第337話 ●「焦土作戦1」
「占領された我々がこのようなことを申し上げるのは心苦しいのですが……」
「いえ、かまいませんよ。領有した時から皆様は我々の領民。領民は等しく保護せよ。それが我が主の意向です。
これから都合をつけさせていただきますのでしばらくお待ちいただけますか?」
バルクス軍軍令部長であるリスティの言葉に不安そうにしていた老人――この村の村長である――は、安堵したような表情をすると一礼して彼女のもとを去っていく。
老人が十分に去ったところでリスティは小さくため息を吐く。
「リスティ義姉さん。これで十八か所目です。これは……」
「はい、ラスティア殿による焦土作戦ですね。まったくこちらのいやな作戦をとってきます」
従者のふりをしてリスティの横に立っていたクイに対してリスティは苦笑いする。
ライン平原での戦闘後、一週間の休養とエウシャント側の負傷者および死者の対応を終わらせて進軍を開始したバルクス軍がこれまで占領した村は二十か所。
そのうちここも含めた九割ほどでその村の代表が開口一番に訴えてきたのが、食糧不足である。
しかもこちらの進軍スピードを考慮したかのように二か月程度の備蓄しかない状態である。
このあたりの特産品でもあるボーリンズと呼ばれる早蒔きの小麦が、三月になれば収穫できるがそれを考えてもギリギリといったところだろう。
かなり事前から各村の人口や食糧事情を把握しておかなければこんな作戦は不可能である。
しかも物資徴収の際に起こるであろう領民との衝突があったという話も聞こえて来ない事からもかなり細心の注意を払っている。
つまりはライン平原での戦闘に敗北した後の作戦も立てていたことになる。
それを消極的とみることもできるが「勝敗は兵家の常」である以上、次善策を複数考えなければならない。
この事だけでも計画の立案者――おそらくはラスティアの政治力・戦略眼の高さを伺わせる。
「人というものは、食料が完全になくなった時に不安を感じるのではありません。
徐々に尽きていく。その過程にこそ不安心が高まるのです。それを上手く利用しているのでしょう」
「……それは、こちらの対応次第で暴発が起こる可能性もあるということですよね?」
「ええ、片や二か月先の食糧事情が不透明な民。片や軍事行動中で潤沢な備蓄を持つ少し前まで敵だった軍。
こちらからの食糧配給がなければ暴発することもあり得ますから」
「実際には軍の食糧備蓄もかなり大変なのですがそれは民には分からないですからね」
軍における食料や消費財の輸送は古くから頭を悩ませる問題である。
先にも語ったが、楚漢戦争において勝者となった劉邦が第一の功を後方支援を行った
だが民にはそのあたりは理解されない。なにせ前線に立つ将も補給を軽視するものすらいるのだから仕方がないと言えるだろう。
これまでは多くても数十人規模の村であったため軍事物資からの配給でも軍事作戦への影響は少なかったが以降は都市部が増えてくる。これまでのようにはいかないだろう。
「……この先の第一目標であるエールドバーム、さらにはその先も恐らく同じような状況でしょう。
一旦エールドバームまで進んでそこでバルクスからの軍事物資補充の要請を行うのがよいかと思います。
クイ様。それでよろしいでしょうか?」
「そうですね。まんまと敵の掌の上で踊らされているみたいで嫌ですが仕方ないでしょうね」
クイへの提案に是をもらったリスティアは、全軍に指示するために行動を始めるのであった。
――――
「なるほど、こちらの予想通り。バルクス軍はエールドバームで体制の立て直しを始めた。と」
某場所に潜伏しながらバルクス軍の状況報告を受けたラスティアは目の前に広がる領内……いや”元”領内の地図に駒を置いていく。
潜伏している理由はただ一つ。このままエウシャント伯爵のもとに戻れば何をされるかわからないからである。
エウシャント伯爵という人物は、貴族らしい貴族といってもいいだろう。
成功し続けるものは利用価値があるうちは傍に置き、失敗すればそれまでと打って変わって欠陥品として捨てる。
ラスティアもライン平原での大敗でエウシャント伯爵の不興を買ったことだろう。
(まぁ、私自身は卿のもとに帰るつもりはありませんけどね)
既にこの戦いの前に身の回りの整理は済んでいる。質素ながらも住み心地が良かった住居は既に引き払い執事やメイド達にも僅かとはいえ色を付けて退職金を払っている。この辺りは独り身であるから小回りが利く。
ラスティアが未だにバルクス軍と戦っている理由はエウシャント伯爵のためではない。
自身をバルクス側に売り込むために一矢報いた実績を作るためである。
当初から反対したにもかかわらず戦争を始めたエウシャント伯爵への義理は、敗戦したとはいえライン平原の戦いで返した。ここからは自身の保身のために動く。
だが自身の保身のためにもう一度負けるとわかっている大規模会戦を行うわけにはいかない。あまりに犠牲が多すぎる。
そもそも現在彼らのもとにいるのは既に四千ほど。それ以外の多くは夜陰に乗じて逃亡している。
敗軍となった今ではこれでもまだ残っているほうであろう。
「うまくいくでしょうかね?」
そんなラスティアに副官といってもいいハインリッヒが聞いてくる。
「正直、リスティア殿にはこちらの思惑なんて筒抜けだろうさ。正直成功しても三割あるかどうか」
「……ですよね」
ラスティアの言葉にハインリッヒは苦笑いする。
戦力・装備ともに圧倒的に劣るラスティアたちにとっては、取れる戦略は限られている。
無謀な会戦が当初から除外されている彼らにとっては、『ゲリラ戦による消耗戦』か『バルクス側の補給力を飽和させることによる継戦能力の消失』くらいだろう。
だが前者は、平原が多いエウシャント領では難しい。となると後者が最有力となる。
ゆえに彼が実行に移したのが焦土作戦である。
バルクス軍の最高責任者であるクイ・バルクス・シュタリアとリスティア・バルクス・シュタリアの性格からして占領地の住民に対して無下には扱ないという信頼があるからこその作戦である。
ラスティアとしては、一度だけ体制を立て直すためにバルクス軍が後退する。という実績をつくる事さえできれば領民への被害は最小限に抑えることができる。
バルクス軍が後退した後に取り戻した村には接収した食料を再配布すればいい。いずれは再度バルクス側に取り戻されるまでのつなぎができれば十分であろう。
もちろん、ラスティアの希望通りに事が進めば、ではあるが。
「バルクス軍は、補給体制の立て直しのために本土から補給部隊を派遣するはず。ルート予定はこの三か所……」
そう言いながらラスティアは地図上の三か所の道路を指さす。
「この道は現在小規模とはいえ途中に土砂災害が発生しています」
「なるほど……であればこの道は消えるか」
ハインリッヒが指さした道にラスティアはつぶやく。
「この二つのルートを監視するのであればこの位置がいいか」
そう言ってラスティアは残りのルートの間の一点を指さす。
「……たしかにその場所が最良ですが、それゆえにバルクス側もこちらの場所を特定されやすいです。
この位置は場所としては少しだけ劣りますが地元の住民でなければわからない場所。こちらがよろしいのでは?」
そう言いながらハインリッヒはラスティアが示した場所からやや西側の小さな盆地部分を指さす。
たしかにその場所に繋がる道は細く大軍を動かすのには向いていない。
だがそれゆえに土地勘に疎いバルクス軍からは見付けづらいといえるだろう。
「……うん、そうだね。その場所に陣を動かすことにしよう。ハインリッヒ。
これからはこの二か所を常時監視。補給部隊を発見次第攻撃をかける準備を」
「はい、すぐにでも対応を始めます」
そう一礼とともにハインリッヒは打ち合わせ用のテントから出ていく。
「さて、あとは人事を尽くして天命を待つってことかな」
ラスティアはそうつぶやくと物資不足で無いワイン代わりの水をひとくち口に含むのであった。
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