第335話 ●「ライン平原の戦い5」
「……まったく、やってくれるっ!」
視線の先に広がるかつて見たことすらない光景にラスティアは、自分を奮い立たせるように口を開く。
再び起こる火柱に塵芥のように舞い飛ぶかつては人であったものに、その爆音に驚き兵舎より飛び出てきた兵たちは完全に心が折れたようにへたり込む。
「偵察兵! 状況を報告っ!」
「併せて被害状況も把握しろっ!」
その中で状況を把握しようと動いていたラスティアとハインリッヒは、肝が据わっていたといえるだろう。
もちろん彼らだってこの状況に心胆を寒からしめていたのは事実である。
それでもほかの将兵よりバルクス軍が優れた兵器を所有している可能性が極めて大であることを把握していた分、冷静であったというだけである。
二人からの怒声にも近い命令の言葉に我を取り戻した偵察兵たちは状況を把握しようと動き出す。
その間にも三度目、四度目の爆炎・爆音が上がり、ようやく戦場は
いや、正確にはそこかしこから命の火が今にも消えようとしている小さなうめき声が漂う。
その風景に報告を待たずともラスティアは戦線が崩壊したことを痛感する。
四度目の爆炎後もバルクス軍側が動かないことが、ただ唯一の光明であった……
――――
「死者数は詳細は不明。ですが少なくとも五百名は超える模様」
「負傷者はその数倍。多くが重篤な裂傷により継戦は不可」
「塹壕にいた民兵の大多数が散り散りに逃走。その数、行方はほぼわかりません」
上がってくる偵察兵からの報告のすべてが自軍の最悪なものであることにラスティアは小さくため息を吐く。
時間にして僅か十分ほどの出来事。だがそれにより塹壕に配置していた一万五千の兵が死亡、負傷もしくは逃走したことになる。
損耗率で言えば三割。軍の三割の損耗は全滅と等しい。
兵力は二万対三万五千。いまだこちらが多いとはいえ、既に士気が瓦解している時点で話にならない。
「現時点をもってライン戦線は放棄。撤退を開始する。
負傷者は歩けるものは随伴。それ以外は…………この場に残す」
その事実にラスティアは苦渋の決断を下す。所有する兵器の差があまりにも大きい。
間者がバルクスから新兵器を奪取したと鼻高々にしていたクロスボウなぞ、バルクスからすれば些末なものでしかなかったわけだ。
「お待ちください。重傷者を見捨てるといわれるのですか」
ラスティアの決断に一人の将が異議を唱える。ラスティアからすれば余程現実が見えていないらしい。
「重傷者を随伴させたところで、撤退の障害でしかない。
そもそも民兵主体の軍では治癒師が圧倒的に不足している。助けようにも助けようがない以上は無駄死にさせるだけだ。
一方でバルクス軍は正規騎士団であるから治癒師も潤沢であろう。
……さらに言えばバルクスによる負傷者の治癒は、我々にとっては撤退を行う際の貴重な猶予となる」
「兵を囮にすると言われるのかっ!」
ラスティアの言葉に先ほどの将がさらに異議を口にするが、その言葉を机を強く叩きつけた音がかき消す。
見ればハインリッヒが拳を机に叩きつけたようだ。
「であれば貴兄にはこの状況を打破する素晴らしき腹案があるのでしょう。是非お聞かせ願おう」
「そ、それは……」
その怒気を含んだハインリッヒの言葉にその将はみるみる声を小さくする。
ここにいる皆がわかっているのだ、彼の異議は自身は兵を見捨てるつもりがなかったと正当化するための戯言でしかないことを。
「ハインリッヒ。控えよ。
貴兄も既に今がそのような議論をしている場合ではないことは理解しているであろう。
今は幸か不幸かバルクス軍はこちらへの進撃を控えている。これはこちらにとってはすぐにでも行動を起こすべき貴重な時間だ」
ひりついた空気を変えるようにラスティアが口を開く。
「全軍に通達。即時撤退を行う。撤退方面はボーゲルハイト。必要最小限の武器と食料を持参して後は放棄する」
一変、次は強い口調でラスティアは将に命令をする。その言葉に異議を唱える者はもはやいなかった。
――――
「ハインリッヒ。良いタイミングだったよ。すまないね。汚れ役をやってもらってさ」
「いえ、私自身彼の楽観論にイラついただけですので」
そう悪びれる様子もなく言うハインリッヒにラスティアは苦笑いする。
「しかし想定以上の技術力さだね。まったくこちらの戦力なんて鎧袖一触でしかない。
それにしても……」
「民兵が主体の我々に対してはできるだけ穏便に事を成すと考えていましたが想定外でしたね」
ラスティアとハインリッヒはルーティント解放戦争の顛末を調査して民兵――つまりは平民の殺害は控えてくると予想していた。
「……逆に考えれば、この一度の戦いでより多くの犠牲を生まない。という方針を選んだ。と考えるべきだろうね」
「あの新兵器の前では堅牢な城壁であろうと何の意味も成しませんからね」
新兵器は少なくとも三十基存在する。しかもその威力を目にした以上、籠城戦による戦争の長期化なぞ不可能であると判断せざるを得ない。
「……籠城戦が不可能である以上、あの作戦で行くしかないね。できればやりたくはなかったけれど……」
「仕方ないでしょう。それでは兵を先行させます」
「あぁ、問題が発生しないように細心の注意を払うように」
「勿論です。ただでさえ反感を生みますから。信頼できる者だけに厳選しております」
ハインリッヒの言葉に楽観視は出来ないとはいえラスティアは安堵のため息を吐く。
「さてと、私たちの仕事は山積みだ。直ぐにでも動くことにしよう」
自分をも鼓舞するようにラスティアは口を開く。
その日の夜のうちに敗残兵とも呼べるエウシャント軍はライン平原から撤退を行うのであった。
――――
「流石ラスティア殿。よき判断ですね」
明けて早朝。兵舎や過剰ともなる物資を置き去りに撤退が行われたエウシャント軍陣地を視察しながらリスティアは感心したように呟く。
「軍令部長官。エウシャント軍は重傷者の多くを残しているようです。どのようにされますか?」
傍を追従していた執務官の一人がリスティアに訪ねてくる。
「どのように」という言葉には色々な意味が込められている。
この世界の戦場における「どのように」の意味は止めをさすと同義である。
それは仕方がないともいえるだろう。捕虜の取り扱いに関しての取り決めすらないこの世界においては敵側の負傷者や捕虜は行軍や軍糧への足かせでしかない。
庇護王として名を遺す第七代国王エーベンハイトですら敵側の負傷者や捕虜の四割を殺害しているのだから。
「この場で一週間ほど療養を取ります。その間に負傷者や捕虜は治療の後、ボークボンドまで後送します。
捕虜とはいえ無下にしないように厳命します」
だがリスティアはこちらの進軍を止めてでも助けることを選択する。それが甘いと自身も理解しているが現時点ではそれをリカバーすることも可能である以上、捨て置くことはできない。
「了解しました」
執務官もそれを理解しているのだろう驚くこともなく命令を了とする。
「あと一つ。こちらに滞在するとのことですのでエウシャント軍が築いた塹壕は破壊しますか?
万が一にもエウシャント軍がここを取り戻した場合、わが軍の脅威となるのでは?」
「……いいえ。必要ないでしょう。むしろ破壊でもしたら他の諸侯に我々が塹壕を脅威と思っていることが知れ渡る可能性があります。
捨て置くことが我々がこの塹壕を脅威に思っていないと誤認させることになりますから」
「……なるほど。了解しました。それでは各自に伝達してまいります」
そう言い残して執務官はリスティアの傍を離れていく。
十分に離れたことを確認した後、リスティアは深くため息を吐く。
「ここでの死者はこれ以降の死者を減らすためには仕方がなかった。そう仕方がなかったのです」
そう目の前に立ち上るいくつもの煙――死者を火葬する火から上る煙――を見つめながらつぶやくのであった。
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