第334話 ●「ライン平原の戦い4」

 塹壕から顔を出していたエウシャント軍の兵たちは、完全に気を抜いていたというわけではない。

 もちろん、ここまでバルクス軍を(彼らとしては)撃退し続けているがゆえに心に余裕が生まれていたことは否めないだろう。


 だが彼らが顔を出していたのは彼らの経験上、弓矢も魔法も射程距離外であるためである。

 実際はバルクス軍の魔術師は、地獄のような訓練(毎日ぶっ倒れるくらいまで魔力消費を強いられる)により、彼らが届かないと考えるこの距離であっても八割方の精度で攻撃することはできるエリート部隊に変貌している。


 その事実は、リスティたち軍上層部にとって秘匿すべき情報であるがゆえに魔法による反撃は極力行われていない。

 故にラスティアら極一部を除いてエウシャント軍は、彼女の思惑にはまる形でバルクス軍を過小評価していた。


 バルクス軍が前面に持ち出した不明な物体から一斉に炎が上がり遠方から近づく風切り音を聞いても、その距離故に届くはずがないと決めつけていた民兵の多くはその直後の地獄絵図への犠牲者となる。


 前方一メートルほどに着弾したその物体は、大きく爆発。

 そこからもたらされた爆風と鉄の破片は、完全に気を抜いていた彼らを瞬く間に肉片へと変えていく。


 三十基のその物体――榴弾砲から打ち出された三十発の榴弾。たったそれだけで一瞬にして百六人の死者と二百五十名の重軽傷者を生み出した。

 その結果がもたらしたのは、エウシャント軍の大恐慌であった。


 ――――


「着弾。誤差ゼロコンマサン。想定内です」

「報告よし。次弾装填準備。装填後順次砲撃三連」

「次弾装填。順次砲撃三連。了解しました」


 測量士からの報告にリスティは淡々と返す。その命令を伝えるために測量士は駆けていく。

 そんなリスティの右手を誰かがやさしく握りしめる。

 横に顔を向けるとそこには、少しだけ泣きそうな優しい笑顔を向ける義理の弟であるクイの顔。


「リスティ義姉さん。この命令を許可したのは僕だから。一人で背負い込まないで」


 クイの言葉に初めてリスティは、自身が色が白くなるほどにきつく拳を握りしめていたことに気づく。


「……ありがとう。クイ。

 駄目ですね。今回の戦いは先のルーティント解放戦争とは異なり少なからぬ民への犠牲が出ることを覚悟していたんだけどね」

「この地で多くの民兵にバルクス軍の脅威を身を持って知らしめる。

 それが延いては北部貴族連合を早期瓦解させることができる。ですよね」

「北部貴族連合の領土は、ルーティント領の三倍弱。正攻法で攻めていては長期戦となる。

 それは長く領地を離れることが難しいバルクスにとっては不利。故に初戦にて兵の心を完膚なきまでに叩き折る必要がありました」

 

 そう語りながらリスティは前方へと視線を向ける。そこには恐慌とともに武器を放り投げるかのように逃げ出すエウシャント兵たちの姿が見える。

 あのようになると如何ほどの名将であろうとも軍を即時に再編することは難しいだろう。


「初戦から騎士団を中心として迎撃してくることを期待したのですがね。そうは上手くはいかないわよね」


 騎士は戦うことを生業として給金をもらっている職業軍人。

 つまり実際にはそこまで重くは考えていないかもしれないが戦場で死ぬ覚悟があるものだ。

 だから人の命の重さに差がないとはいえ一人の死に対してのリスティの精神的な負担は軽くはなっただろう。


 もちろん、リスティも初戦からエウシャント側が騎士を出してくることは無いと予想していた。

 こうして義理の弟とはいえ近しい関係となるクイに吐露することで精神的な安定を図っているのだ。


「……さて、三連射後にエウシャント側の動きを見て次の行動を決めます。

 クイ、恐らくここでの戦いは終わりでしょう。すぐにでも軍が動けるように準備をお願いします」


 リスティは一つ深呼吸をした後、クイにそう告げる。その面持ちは普段の凛としたものである。


「はい、了解です。リスティ義姉さん」


 その表情にほっとしたような表情を浮かべながらクイは返すのであった。


 ――――


 バルクスにとって銃や大砲による兵科を構築するにあたり悩みの種となったのは、火薬を作る際に必要となる硝酸カリウム――硝石の入手であった。

 バルクスの温暖多雨な気候は農業に関しては有利であったが、水によって容易に流出してしまう硝酸カリウムを自然界から入手することに関しては不利に働く。


 そのため、厩肥をもとに製造がすすめられたがその量は微小で、ルーティント解放戦争は、蓄積していた硝石の六割を消費するほどの状況であり、戦争後期は出来るだけ銃や大砲の使用を控えていたのが実際のところである。


 その状況が大きく変わったのが二つ。

 一つは、二年ほど前に作られた魔物レーゲンアーペを使った下水処理施設である。

 レーゲンアーペによる下水処理施設は、首都エルスリード他の主要都市の衛生状況を改善させるだけに止まらず、思わぬ副産物を生み出した。

 レーゲンアーペが汚水土を食べることにより排泄される栄養豊富な土の中に硝石も含まれていたのである。

 その製造量は、厩肥から一年以上かけて作り出す量の五十倍にもなり、それにより火薬の製造量は大幅に増量することになる。

 

 さらに追い風となったのは、魔陵の大森林の開拓である。

 予算を鑑みながら南方への警戒網の拡充と、新資源の発見を目的とした開拓も併せて行われている。


 魔陵の大森林の呼び名から勘違いされやすいが、実際には大森林はバルクス領との境に広がる森林帯から名づけられたにすぎない。

 その森林帯を抜ければ、その森林帯を遥かに凌ぐ広原や砂漠地帯が広がる。その気候も高温少雨であることが多い。


 そしてその気候に期待した結果として昨年、大規模な硝石が埋蔵された洞窟を発見する快挙をもたらす。

 ほかの貴族からすればゴミ同然の無色結晶は、エルたちにとってはダイアモンドに等しい輝きであった。


 もちろん、魔陵の大森林の領域内であるから魔物に襲撃される危険性が高いため常時、採取することは現時点では難しいが、レーゲンアーペからもたらされる硝石をベースとして不足分を賄うという形で火薬の安定製造が可能となった。


 併せて大砲の開発も進められた。ルーティント解放戦争では時間的余裕からできなかった後装式の榴弾砲の開発に成功。

 ルード要塞などの主要な防衛施設への配備と並行して今回の戦争に計四十基が投入されている。


 要員数は六名。最大有効射程は六キロ。第一次世界大戦にてイギリスの主力野砲として活躍した十八ポンド野砲と同等のスペックを誇る。

 今回初実戦となるためテストを兼ねての使用となるが、概ね良好な結果である。


 ある意味オーバースペックの兵器の投入がこの戦争に……いや今後の戦争に何をもたらすのかは今はまだ不明である。

 だが、確かなことが言えるのは、産まれかけた塹壕戦というバルクスにとって不利となりうるドクトリンの産声が、この兵器の成果により遠のいたことであった。

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