第330話 ●「獅子鷹前哨戦」
今、その人物にとって重大な決断を迫られていた。
その人物の前の豪華な机に置かれたのは二通の手紙。
左に置かれた華美に装飾された手紙の差出人は、ベルティリア・エスカリア・バレントン第二王子。
併せてウォーレン公爵。さらにはルーザス第一王子の名もある。
一方で実に質素な手紙の差出人は、イグルス・エスカリア・バレントン第三王子。
こちらには、イグルスの名前以外は記載されてはいない。
その二通の手紙に共通でしたためられていたのは、自陣営に手を貸してほしい。である。
その人物――ルーザリア・エスカリア・バレントン第一王女にとっては、この選択が自分の。延いては最愛の子たちの将来を決定づけるといっても過言ではなかった。
ルーザリアはこの時五十歳。王女というにはやや年増に感じるが、特権階級者の寿命が平民に比べれば長いことを考えれば消して珍しいことではない。
むしろ八十一という年齢で没した先王が歴代の王としては短命に該当するほどである。
とはいえ多くの場合は、高齢を理由とした生前譲位が普通であるため、死没まで王位にあった先王もまた珍しい部類となるのだが。
彼女にとっては、自身の命や他の何に代えても大事と思うものがある。
それは自身の子供である。それは親としては正常でも為政者としては失格であっただろう。
だがその大事なものを守るために彼女は後継者争いに参加していたともいえるだろう。
全ては子供たちの安寧のために……
だがその努力も父親である先王の今際の際の立ち合いを断固拒否されたことで潰えた。
せめて息子だけでもという願いすら一笑に付された。一方で弟であるイグルスは叶わなかったとはいえ仲裁に入ってくれた。
勿論イグルスにも何らかの意図や目的があったであろうが、恩は恩だ。
そんな憎むべき兄を支持するウォーレン公爵は今や逆賊と王都中で呼ばれている。もちろん、たかが市井の噂話だ。
正式な御前会議(御前たる先王は既にいないが……)で決められたことではないから手紙でも未だに自身が正当な王位継承者であると強気に出ている。
いや、その強気こそが汚名を着せられることになった事を気にしている裏返しなのかもしれないが……
そして連名に名を記していることからも、既に王位の目がないルーザスはベルティリアに乗ったらしい。
現在の情勢でいけば七対三でイグルス側の勝ちであろう。ゆえに両陣営から第三勢力であるルーザリアの元に親書が届いたわけである。
いわば自分がこの争いの鍵を握っているともいえる。
まずはベルティリア派に味方した場合どうなるだろうか? 情勢は六対四。いやほぼ五分に近いところまで拮抗させることも可能だ。
それによりベルティリア派を勝利に導くことが出来れば自身の功績は随一といってもおかしくはあるまい。
一方でイグルス派に味方をしたならば、もはや大勢は確実となる。だが元々有利なイグルス派にとっては自身の功績は見劣りする。
現に二勢力から提案された報酬は大きく異なる。
ベルティリア派からは、ファウント公爵を排し、その後継をルーザリアの長子とし、さらにはその他の子どもたちにも伯爵以上を確約するとある。
一方でイグルス派からは、長子には侯爵位。その他の子どもたちには伯爵位もしくは子爵位という内容である。
ベルティリア派の報酬を見た場合、イグルス派は見劣りする。だが冷静に見た場合、事ここに至ってから参戦した自分に対してイグルス派の提案は適正といえる。
むしろベルティリア派の報酬があまりに大風呂敷を広げすぎなのだ。それがベルティリア派の今の状況を如実に表しているともいえるだろう。
ならば、自身の進むべき道はただ一つ…………
――――
「リンクロード様。ルーザリア王女から親書がイグルス王のもとに……」
「こらこら、レザリンド。まだイグルス様は王位を継承していないよ。あくまでも対外的な立場は第三王子のままだぞ」
「は、これは失礼いたしました」
二人の男――リンクロード公爵公子は執務長官であるレザリンドを窘める。だがその口調に真剣みはない。
ただの古くからの親友の会話といった調子だ。そしてレザリンドのそのわざとらしい言葉がルーザリア王女から齎された返答の意味を裏付けている。
「いやはや、どこかの馬鹿王子と違って王女殿下は時勢には聡いようだ」
リンクロードはレザリンドから渡された親書の写しに目を走らせると楽しそうに笑う。
「そうですね。ルーザリア王女は現実的な提案と非現実的な提案の差をよくお分かりですね。
ベルティリアからの提案は確かに王女にとっても魅力的でしょう。ですがそれは長期的に見た場合、いずれ自身を新たなる後継者争いの火種にするだけでしょうから」
ベルティリアからの提案はルーザリア王女を味方に引き込むために切羽詰まった中で大風呂敷を広げたに過ぎない。
しかし王位を手にし、冷静さを取り戻したベルティリアの狭量さからしてまず間違いなく最初に行うのは『対抗勢力の種の排除』だ。
そしてルーザリア王女の戦力ではまず生き残ることは不可能だろう。
それに対してこちらからの提案は、元王家本筋としての家格を維持したまま中央への影響力を排する地位だ。
王家本筋として一本化されるイグルスにとってもルーザリア王女への脅威度は低くなり、それが転じてルーザリア王女たちは生き永らえることが可能となる。
ファウント公爵やリンクロードは野心家ではあるが、殺人狂ではない。
障害になるのであれば時には殺害を含めた排除も行うが、必要なければ生かすことを最優先する。
ルーザリア王女自身がそこまで時勢を読んだかは不明であるが、リンクロードから見れば最善を選んだといってもよいだろう。
「僕としてもこの命令書を使わなくて済むことになってほっとしたよ」
そう言いながらリンクロードは右手に持った封書を傍で揺らめいていた蝋燭に近づける。
瞬く間に灰となっていく封書にしたためられていたのは、ルーザリア王女の全てといってもよい子息の暗殺命令書。
しかもその疑いの目がベルティリアに向かうように用意周到に準備されたもの。
できるならば使いたくはない最終手段を使わなくてよくなったことにリンクロードも内心安堵していた。
「さてと、準備は出来た。それじゃお祭りを始めるとするか」
その気持ちを吹っ切るかのようにリンクロードは笑うと、レザリンドに笑いかけるのであった。
こうして『獅子鷹戦争』の大勢は確定を見る。
そして開戦はこの日から二月後の三百十七年一月四日に起こるのであった。
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