第320話 ●「王国の斜陽」

 帝国や連邦に住む国民に王国の印象を聞いたらまず出てくるのが「一年を通して温暖な気候で住みやすい」という意見だろう。


 一年の三分の一が凍土に閉ざされる帝国や南部に存在する砂漠地帯から吹き込む熱波によりしばしば日照り被害を受ける連邦にとっては、一年を通しての温度差が平均十五度と寒暖の差が少ない王国の気候は羨ましい以外の何物でもないだろう。

 その温暖な気候を背景に王国は農作物によってその国力を強大にしてきた背景がある。


 特に中央に位置する首都であるガイエスブルクはその気候の恩恵を最大限に享受してきた都市である。

 夏は最高で二十八度ほど、冬は最低でも十八度と非常に安定しており、四季の風情をあまり感じることが出来ないという難点はあるがそれを遥かに超える立地である。


 だが、王国歴三百十六年八月二十一日。どんよりとした雲に一面を覆われた首都ガイエスブルクは、晩夏であるとはいえ気温は十三度と歴史上経験したこともない異常気象となっていた。

 それはこれから訪れる王国の未来を暗示するかのようであった。


 ――


 アウンスト・エスカリア・バレントン。

 エスカリア王国二十四代国王である彼について、後世の多くの歴史家が共通で記したのは『無能』であろう。

 彼の治世については、大きな改革もなければ大きな失政もない凡庸なものでありそこについては一定の評価をする者もいる。

 一風変わった歴史家の中には、第十二王女であるクラリス・エスカリア・バレントンをエルスティア・バルクス・シュタリアの元に降嫁することを認めたことを評価する者もいたが、大半が功罪相半ばするという見方が強い。


 彼を評価するにあたって誰もが最大の罪としたのが、終生に渡り次期後継者を公言しなかったことであろう。

 なぜ彼が公言しなかったのかについては、多くの歴史家の研究材料とされた。


 少なくとも四十代までの彼は『小覇王』と呼ばれる才気にあふれる名君であり、暗愚といっても差し障りないようになったのは五十歳の時に患った病名不明な大病を境にするとされる。

 この大病については多くの憶測がある。性病や暗殺毒による後遺症といったところが有力な候補とされるが未だに回答は得ていない。


 彼が五十歳になった時点で、長男であるルーザスは二十五歳。次男ベルティリアは二十一歳。三男イグルスは十三歳。

 その時点で一度でも公言していたならば、後世における八十一年の彼の生涯に対する評価は『凡庸』で済んでいただろう。


 そんな彼が今やその命の炎を尽きようとしていた。

 豪華なベッドに横たわる彼の四肢は既に長期にわたる寝たきりにより枯れ枝のように細く、呼吸もすでに弱弱しく浅い。


 その周りにいるのは、入室を許された僅か七名。


 国王付主治医、兼治癒魔法師のハロイド・バイカー。

 第一王子ルーザス・エスカリア・バレントン。

 第二王子ベルティリア・エスカリア・バレントン。

 第三王子イグルス・エスカリア・バレントン。

 筆頭公爵であるウォーレン公爵

 第二公爵となるアーネスト・ファウント・ロイド公爵。

 そして第三公爵であるイストアール公爵。


 未だにこの国の重鎮であるキスリング・レイート・ベルクスト宰相は眠りについたままで立ち会うことは出来ない。


 一方でその他の一族――特に第一王女となるルーザリア・エスカリア・バレントンたちも入室を懇願した。

 だが『神聖なる国王の病室に女子供が立ち会うは不浄である』という男尊女卑の塊のような理由でベルティリアによって認められることは無かった。

 それは次期後継者からルーザリア達を強制的に締め出すことも意味していた。


 そして今、ベルティリアは国王の枕元の席に座り、国王代理という立場でその場をルーザスやイグルスに譲ることは無い。

 それはあまりにも狭量であったが、その事に彼の後ろ盾であるウォーレン公爵は気付かない。

 いやイグルス派の強力な突き上げに心の余裕が無かったのだ。


 『崩御する王の枕元にいる者が次期後継者であることの宣言』


 それがウォーレン公爵とベルティリア共通の妄執であった。


「最善を尽くしましたがこれ以上の治療は国王陛下の御体にあまりにも酷なこと。

 どうぞ、寛大なるご決断を……」


 その事を知ってか知らでかハロイドは左手を国王の胸に当て、治癒魔法を使いながら最後の診断結果を口にする。

 それは医師による治癒継続の終了を求める最終通告。


「うむ、『許す』」


 そのハロイドの言葉にベルティリアはすぐさまに口を開く。一歩先んじられた事にルーザスは悔しそうに顔を歪める。

 その二人の言葉と表情に既に父親の今際の際であることへの子供としての哀愁のかけらもない。

 ただその言葉を誰よりも先に自分が発する。それが自分にとって有利に働くと信じて……

 

 その中で一人。イグルスは兄二人の攻防を意に介すことなく、そのやせ細った父の左手を両手で優しく包みながら眠ったままの父の顔を悲しそうに見つめる。


 その光景にファウント公爵とイストアール公爵は小さくため息を吐く。

 やはりルーザスとベルティリアは王の器ではない。それを再認識したのだ。


 別の見方をすればイグルスのその様子こそ王位に対する覇気が無いとも取れるだろう。

 だがファウント公爵やイストアール公爵にとっては、国王に覇気など不要なのだ。

 ただ凡庸に国を治めてくれる者こそが既に老成し、上級貴族による執政システムが完成したエスカリア王国には必要なのだ。


 長男であるルーザスから発せられると思った言葉がベルティリアから発せられたことにハロイドは動揺したのかチラリとファウント公爵に視線を送る。

 国王の主治医として極力政治に関わることを避けてきたハロイドであってもこの場で実際に力を持つものが誰なのかは分かっているのだ。


 そのハロイドの視線に誰にも気づかれないようにファウント公爵は小さく首肯する。

 それによりハロイドは小さくため息を吐き。一度左手を国王の胸から離して新たな魔法を詠唱する。


 それは死に行く者の痛みを無くす――安楽死用の魔法であった。


「八月二十一日。午後二時十八分。ご崩御でございます」


 ハロイドの宣言が、第二十四代アウンスト・エスカリア・バレントンの治世の終了を。

 そしてエスカリア王国の歴史上初めて……そして最後となる王位を巡っての後継者争いの戦端が開かれたことを意味したのであった。

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