第314話 ■「ニアの本質」
「……ふぅ。当時十歳の子供が相手とはいえ、お父様も存外抜けているところがあるわね」
僕の前で柔和に微笑んでいたニアは、小さなため息とともにそれまで後生大事に抱えていた首飾りを途端に興味をなくしたかのように放り投げる。
カーペットに落ちた小さな音をきっかけにしたかのように、今まで柔和な微笑みをたたえていた表情は、勝気なものへと一変する。
その変わりようにクイ達は驚きの表情をする。
もちろん、皆もニアに関する報告書は読んでいる。だがこれまでのニアの所作からその報告書を懐疑的に見始めていたのだろう。
通信技術が未発達のこの世界においては報告書は見聞きした情報の集約である。だから情報の粒度という意味では荒いことが多い。
クイ達も報告書を全面的に信用するのは危険だな……そう内心で考えていたのだろう。
ところが今、今までのニアから百八十度変化した――これが本来のニアなのだろう――状況に、母さんとクリスやアリス以外はついてこれていない。
うーん、こういったところが皆の良いところでもあり悪いところでもあるのかもしれない。
基本的に皆、基が素直なのだ。片田舎のバルクスで育ってきた皆と陰謀ひしめく中央で育ってきたニアとではこういった時の役者が違う。
僕の場合は、前世での経験や実際に貴族の当主としての経験があったからこそ表面上驚きを出さないで済んでいるに過ぎない。
こういった部分は、母さんや元王女であるクリス。執務長官として対外折衝の経験も豊富なアリスがいてくれるからよかったといえるだろう。
「あら、ガッカリさせてしまったかしら? こんな娘とは思ってなかったでしょうし」
クイ達の、恐らくニアにとっても予想通りの反応にニアは薄く笑いながら言う。それに僕も笑う。
「いや、聞いていた通りの娘だったからむしろ安心したよ。うん、こっちの方が僕は好きだよニア」
「それはそれは、エルお義兄様もリンク兄さまに聞いていた通りのお方で安心しました」
まったく、リンクは僕のことをどう評価――恐らく過大評価だろう――しているのやら。
とはいえ、蝶よ花よと育てられた深窓のご令嬢に神経を使うくらいなら、勝気な娘の方が僕としても気楽ともいえる。
まぁ、僕の周りで勝気じゃないのってベルやメイリア、アリスくらいだ。その三人だってベッドの上では……おっとゲフンゲフン。
「ですが、その……アーグ教の信者でないのでしたら何故アーグ教の教会を建設したいなどと?」
恐らくここにいる殆どが疑問に思ったであろうことをメイリアが床に捨てられた首飾りに視線を向けながら口にする。
「簡単なことよ。エルという人間の見極め。そうよね? ニア」
クリスがそう言うとともにニアへと目線を送る。それにニアは何も言わずに微笑み返す。
「クリス。それってどういうことなの?」
「エルがニアの要望に何ら疑問を持つことなく応えてくれるような人物であれば、裏から操るのも容易ってことよ。ベル」
「さすがにそこまで都合よくいくとは思っていませんよクリスお義姉様。ただお父様の手ごまにしやすいなぁ……おっと」
クリスとベルの会話にニアは自身の口を隠しながら言う。最後の内容を漏らしたのはわざとであろう。
それは暗にクイとニアの結婚の背景にある意図を言ったに過ぎない。そしてそんなことは百も承知ですよね? というカマかけでもある。
十五・六の少女とはいえ、彼女もまた策士『南方の黒獅子』の血を色濃く継ぐもの者だ。
――まぁ、頑張れクイ。
「だがなぜファウント公爵家はアーグ教信者なんて……その……嘘を言っているんだ?」
今までのやり取りを聞いていたアインツが疑問に思ったことを尋ねる。
「それはとっても簡単なことだよ。そうした方が王国中央では動きやすい。だよね?」
「えぇ、エルお義兄様が言う通りよ。逆を言えば王国中央内にはそれだけアーグ教が幅を利かせているということ。
お父様が言うにはここ三十年でそれが顕著になってきた。だからこそファウント公爵家も表面上は信者になった事としたの。
そして公爵家内で実質的な影響力が低い末娘である私を熱心な信者ということにしてアーグ教の疑いの目を向けさせないようにしたわけ。
私としては好きでもない……いや、むしろ大嫌いなアーグ教なんてものを信奉するふりをするなんて苦痛以外の何物でもなかったけど、私がやることにお父様達も多少目をつぶってもらえたからそこだけはほんのちょっとだけ感謝しているわ」
「その言い方ですとファウント公爵もなぜアーグ教がそこまでの権力を付けたのかわかっていないのでしょうか?」
「えぇ、アリストンお義姉さま。その時期から王国に対して多額の寄付金がされていることは分かっているけれど、お父様が内密に調査しても資金の流れが途中でぱたりと途切れてしまう。
アーグ教がどこでそれほどの資金を稼いでいるのかがさっぱりなのよ」
「ファウント公爵ほどの方が調べてですか……」
ニアの言葉にアリスとクリスは神妙な面持ちをする。
「まぁ、私としてはクイ様の所に嫁ぐことでお役御免ってこと。エルお義兄様が教会を作るって言わなくてほんと良かったぁ」
そういうニアの言葉に僕は苦笑いする。この天真爛漫さが本来の彼女なのだろう。
うん、彼女とならこれからもうまくやっていけそうだ。……僕も大概チョロいな。
「少しいいかしら。アーグ教の教会を作る件だけれど。少し前向きに検討してみない?」
「うぇ……」
そんな中でクリスが口を開く。その言葉にニアが心底嫌そうな顔をする。
それにクリスはクスクスと笑う。
「大丈夫よ。ニア。あくまでも対外的に教会を作ったという事実を作りたいだけ。あなたに布教活動をさせるつもりはないから」
「それは嬉しいですが……であれば何故ですか? クラリスお義姉さま」
「一つには、アーグ教に余計な介入をさせないため」
「余計な介入?」
「ここでニアの提案を断ったことがアーグ教に伝わればまた違った方法で介入してくる可能性があるわ。
今までモテてきた男の子が、今まで無関心だった娘に冗談で告白してこっぴどく振られたから意固地になるって感じかしら?」
ふむ、告白された娘がバルクスで告白してきたのがアーグ教ってことか。
人間というのは自分に自信があるほどプライドが高くなる。そのプライドを傷つけられれば是が非でもという考えが出てきてもおかしくはない。
「だからここで小さいながらも教会建設の許可がもらえました。と報告されればまず彼らの面目は保たれるわ。
それ以降の実際の信者数なんて分かりはしないんだから」
アーグ教の本拠地とここバルクスでは天と地ほどの距離がある。距離とは壁にもなるし武器にもなる。
正確な情報が届かない以上、アーグ教からの介入も抑えることが出来るだろう。
「もう一つの理由は、アーグ教内部に『草』を入れたいの」
クリスが言った『草』という言葉に皆は不思議そうな顔をする。それはそうだろうその隠語は僕の前世の言葉だからだ。
『草』。つまりはその場に暮らすことになるスパイの事だ。
「私が生まれた時から王国中枢にまでアーグ教は入ってきていた。あの時は幼くて何も調べることはできなかった。
でも今ならば奴らのしっぽをつかむことが……出来る」
クリスの言葉から漂う悲壮感に皆は言葉を失う。それに気づいたのかクリスはその空気を壊すように微笑む。
「それじゃニア。アーグ教の教義について詳しく教えてくれるかしら?」
そうニアに問いかけるのであった。
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