第313話 ■「ニアの要望」

「それでは此処、エルスリードにアーグ教を信仰するための施設。教会を建設することをお許しいただけますでしょうか?」


 ニアから発せられたその言葉に部屋の空気に緊張が走る。

 それをニア自身も感じているだろうにそれを気にすることもなく微笑み続ける。


 まったくもって肝が据わっている。

 僕としてはいずれは白黒はっきりつけなければならなかったことをニア自身から早々に切り込んできてくれて逆に有難い。


「教会……ね。バルクスでは無宗教の領民が圧倒的に多いことは知っているかな?」

「はい、こちらに伺う前に聞いております。ですがそれは領民の方々がアーグ教の素晴らしさを知らないからです。

 強引に布教を行うつもりはありませんが、布教により増えると思われる信者の心の拠り所となる場所が必要なのです」


 ふむ、若干妄信者のニュアンスが含まれているがニアが言っていることは間違ってはいない。

 バルクスは信仰の自由を保障している。だから宗教の教会を建築することも許可されている。


 とはいってもバルクス領では無宗教が圧倒的多数を占めているから保証も何も無いというのが現実だ。


 後に領地となったルーティント領については、本来はアーグ教が最大勢力ではあったがそれは貴族や官吏たちによる強制であり、ルーティント解放戦争の折にほぼ一掃されている。


 現在のルーティント領の管理は、バルクスから派遣された執務官が中心となっていて未だに貴族は置いていない。

 近い将来にルーティント伯となるだろうクイに子爵や男爵位は決めてもらう予定である。

 危険な思想や信仰を持つ人材は避けられるだろうから、強硬な教義を持つアーグ教信者は対象外となるだろう。


 平民にいたっては強制から解放され本来の信仰対象であった土着信仰を信仰しているものが多く、教義も穏健であるため規制していない。


 そのためルーティント領でも今やウスリア教やアーグ教の信者も極少数派である。

 むしろ強制されていたことで悪感情を持つものも多い。

 ……本当に政治が絡んだ際の宗教というものは厄介である。


「バルクス領はともかく、ルーティント領はアーグ教の信仰を強制されていた過去があります。アーグ教に対する反発を考えますと……」


 僕が考えていたことをアリスが口にする。その言葉にニアは少し悲しそうな表情をする。


「それは……悲しいすれ違いですね。アーグ教の素晴らしさを十分に伝えることが出来なかったこと大変心苦しいです。

 もちろん住民感情を逆なでるつもりはございません、まずはエルスリードから少しづつでも誤解を解いていきたいと思います」


 あくまでも教会を作ることを進めたいように見えるニアは、ある種の妄信家のようである。けれど……


「なるほど……ニアがここエルスリードにアーグ教用の教会を建設したいという事。よくわかったよ」

「お聞きいただきありがとうございます。エルお義兄様」


 そう微笑みながら深々と頭を下げる。公爵家の令嬢でも頭を下げるんだなぁと場違いなことを考えたりする。


「それでさ。ニア」

「はい、なんでしょうか?」

「それは君が本当にしたいことではない。そうだよね?」


 そう僕は切り出すのであった。


 ――――


「申し訳ありません。エルお義兄様がおっしゃっている意味がよく分からないのですが?」


 僕の切り出しにニアは動揺したでもなく返してくる。


「ニアが……いや、そもそもファウント公爵家が熱心なアーグ教信者である。そんなわけがないんだ」

「…………」


 その言葉にニアは肯定も否定もしない。ただ今までと同じように柔和な微笑みを向けてくるだけだ。


「エル君。それってどういう事?」


 その沈黙をユスティが疑問として切り裂く。


「バインズ先生。一緒にファウント公爵家を訪れた時、僕が言ったことを覚えてますか?」

「ん? ……十三、四年前のことだぞ。流石に覚えてないな」


 そりゃそうか、あくまでも雑談レベルでの内容だ。


「ファウント公爵家に訪問した際に通された部屋の壁全体に鉄板が埋め込まれていた事です。

 おそらく魔法による暗殺を回避するために」


「……あぁ、そういえばそんなこともあったな。警備兵の武器も殴打系の武器だったか?」

「はい、そうです。おそらくその部屋だけではなく至る所で鉄板が埋め込まれていたでしょうね」

「……だが、それがどうかしたのか?」


 それを聞いてもクリスやリスティを除いた皆は未だにピンと来ていない表情をしている。


「忌み鉱。そういう事ですね」

「ご明察」


 リスティがぽつりと呟く。それに僕は返す。


「本当にファウント公爵家が熱心なアーグ教信者であればあり得ないんだよ。忌み鉱とされる鉄を使うことはね。

 もしアーグ教信者になる前に壁に鉄板を埋め込んでいたとしても公爵家の財力があれば除去することなんて容易だ。

 いや真っ先に対処して公表することがアーグ教への忠誠心を見せる絶好のチャンスだ」


 アーグ教のボルス副司祭長が来て以降、気になってウスリア教。特に過激派ともいえるアーグ教について勉強した。

 その中で感化されて信者に……なんてことが起こるわけもなく、ただただ違和感ばかりが募ることになった。


 『ウスリア教』の歴史は長い。とはいえエスカリア王国建国の時には既に存在した。という資料が大半を占め明確な起源を記載した資料は一般に流通している資料には無い。


 まぁこういったものは、この世界では別に珍しいことではない。

 学校が貴族学校に集約されている弊害かそもそも過去の歴史を探求することを命題とする考古学が未発展であるからだ。

 古代の歴史については、恐らく王都の国立図書館のごく一部の者しか入室できない場所にしかないだろう。


 その中でもアーグ教は王国歴二百六十年頃に誕生したとされる。つまりは五十年ほどと歴史が浅い。

 根源宗教が存在したとはいえたった五十年ほどの新興宗教が今や王国・帝国・連邦の上層部が信仰する宗教の座にまで上り詰めているのだ。

 改宗と一言でいうのは簡単だが、実際に実現することは極めて困難である。

 でなければ元の世界で宗教を巡っての戦争は起こりようもないのだから。

 そう考えるとこのスピードは異常と言わざるを得ない。


 元々、ウスリア教は『魔法は生活を潤す中でも最上の手段である』という魔法至上主義を掲げている。

 それでも魔法を阻害する鉄は出来るだけ使用しないようにしようレベルの教義である。


 それを『忌み鉱』と名付けて完全なる淘汰を教義としたのがアーグ教である。

 正直、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いレベルの徹底ぶりだけど、無宗教の僕としてはどう付き合っていくか? が大事になるわけだ。

 だからこそ……


「確かにファウント公爵家がアーグ教の信者になった時、武器や日常品の鉄製品を捨てたと記録には残っている。

 けれど肝心要な屋敷に施された魔法阻害用の鉄板については何らの処理もしていない。

 いや、そもそもその事実さえ故意に隠ぺいされている。そうだよね?」


 そう僕は、未だに穏やかな微笑みを向けてくるニアに問いかけるのであった。

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