第263話 ●「アルーン会談7」

「それにしても、エルスティアよ。そなたとは何かと縁があるものだな。

 初めて会ったのがイグルス殿下が暴漢に襲われたのを治療するための薬草探し。そして末姫やアクス男爵家の事。そして此度の事」

「はい、最初に会ったときには私は伯爵公子。そして今は辺境侯。時というのは予想もつかぬ出来事と出会えるものです」


 アルーン約定が結ばれた後、ささやかながらも宴が催された。

 準備できた食べ物やワインは公爵に振舞うにはいささか質が良くは無かったが、ファウント公爵たちは文句を言うことも無く、参加してくれていた。


 そんなお互いに少しお酒が回ってきた頃に公爵が僕に語りかけてきたのだ。


「ところで私には男子が三名。女子が四人おってな。上の女子三人は既に嫁ぎ末娘は今年で十四になる」

「そうなのですか。さぞや公爵のように利発なご令嬢なのでしょうね」


 僕の言葉に公爵は笑う。


「贔屓もあるだろうが、我が子の中でも抜きんでて聡明であろう。そこのリンクロードなど道端の石よ」

「酷い言い様だなぁ。ま、否定は出来ないけどさ」


 公爵の言葉にリンクロードは苦笑いしつつも注がれたワインを美味しそうに飲み干す。

 その姿からどうやらリンクロードもその末娘を溺愛しているようだ。


「そうですか、それはファウント公爵家は安泰ですね」

「これほど聡明な子。嫁ぎ先には家格と才能に優れたところを。と考えておるのよ」


 …………うん? 何か雲行きが怪しくないか?


「私としてはエルスティア……いやバルクス辺境侯とより深き縁を結びたいと考えておる。

 そなたの妻の末席に我が末娘はどうであるか?」


 公爵のその言葉に僕の酔いは一気に醒める。それと同時に強力なプレッシャーを二箇所から受ける。

 ……いやだなぁ。リスティ様。アリス様。そんな僕にしか分からない怖い笑顔を向けないでくださいよ。美人が台無しですよ?


 それを知ってか知らずかリンクロードが笑う。


「ハハハ、麗しの妻が二人もこの場にいるのに、そんな提案したらエルスティアが困るだけじゃないか。珍しく酔ってるのかい?」


 おぉ、助け舟ありがとう! リンクロード様!


「ふふ、かも知れぬな。よくよく考えれば末姫の怒った顔が目に浮かぶわ」


 いえいえクリス様は、優しいお方なのでそこまで怒ることはありませんよ。はい、そこまでは。


「それよりさ、エルスティアには弟君がいるんじゃなかったっけ? そうだよね。エルスティア?」

「ほう、そうであったか。その弟君は幾つであるか?」


 ……あれ? なにやら別の方向に雲行きが?


「はい、弟の名前はクイ・バルクス・シュタリア。今年で十五になります」


 その僕の言葉に公爵はにやりと笑う。そこで僕は気付く。公爵の真の目的を。


「なんと、であれば我が娘と年も近くて良いではないか。エルスティアよ弟君の妻に我が娘はどうであるか?」


 それは提案の形をしてはいるが、僕には拒否という選択肢が無いのである。


 貴族同士の縁談というのは両家の結びつきを強めるだけではなく、下級の貴族にとってはその力を強くするための手段である。

 ゆえに多くの場合、縁談というものは立場の低いほうが立場の強いほうに対して側室や妾として娘を提案するのだ。

 勿論それに対して賛成するも反対するも立場が強いほうが選択権を持っている。


 一方、今回のように上位。つまりは公爵が侯爵にたいして縁談を申し込むということは滅多に無く。それゆえに下位――つまりは僕だ――が拒否することは上位の面目を潰すことになるのでよほどの理由が無い限り難しい。

 しかも恐らく最初の会話で『アクス男爵家の事』と僕の借りをちらつかせているのだ。これはアリスやリスティでも難題であろう。


「ありがたいご提案です。ですが公爵様の息女を迎えるとなりますと我がバルクス家もそれなりの準備や調整が必要となります。

 また我が弟は学生の身にてバルクス領にはいない状況。本人や家族と相談させていただきたいのでご回答は今しばらくお待ちいただけますでしょうか?」


 それが僕に言える最大限の要求。


「であるな。そなたの両親や家族ともよく話し合い、よき返答が貰える事期待しておるぞ」


 そうファウント公爵は満面の笑顔で答えるのであった。


 ――――


「申し訳ありません。ファウント公爵の手に私たちもまんまと引っかかってしまいました。

 いけませんね。エルスの側室の話をされただけで動揺してしまいました」

「まぁ、元々公爵からの縁談を断ること自体が難しいからね。二人には何か妙案はあったかい?」


 ファウント公爵たちが野営地に戻った後、僕たちは苦笑いと共に口を開く。


「そうですね。色々と理由をつけて回答を先延ばしにして、ファウント公爵の気が変わることに期待……でしょうか?」

「勝算は?」


 僕の質問にアリスは笑う。それが勝算が限りなくゼロである事を物語っていた。

 いや、王国貴族である以上、王国貴族の縛りから逃れるのは難しいのだ。

 その縛りがあるからこそファウント公爵は提案してきたと見て間違いない。


「元々、無理だったのならさ。貸し借りを帳消しに出来たって前向きに考えようか。

 さてと、クイや母さん達に相談するとしてクイとマリーのバルクス帰還はいつ予定だったっけ?」


 貴族社会では当主である僕の決定に対してよほどのことが無い限りクイや母さんといった親族であっても拒否出来ない。

 それほどまでに当主には領内における権限とそれに伴う責任があるのだ。


 とはいえ、僕としては家族全員でちゃんと話し合って結論を出すべきだと思うし、それがシュタリア家のマナーだと思っている。


 クイとマリーには、前年末で学校を退学してバルクスに帰還するように連絡していた。

 できれば十八歳まで学園生活を……と考えていたけれど、中央がきな臭くなってきたため避難という意味もある。

 それに二人にはやってもらいたい事もあるのでなおさらだ。


「今年に入って早々に屋敷を引き払ったと報告が。ふふ、よっぽど早く親愛なる家族にお会いしたいのでしょうね」

「僕としても一日でも早く会いたいのにさぁ。気が重い問題をくれたもんだよ」


 僕のぼやきにリスティは苦笑いする。


「それで、と……アリス」

「申し訳ありません。ファウント公爵の末娘の情報はほぼ無いですね。情報収集は早急に始めます」


 僕が確認したいと思った事にアリスは残念そうに答える。

 まぁ、流石にアリスでも全てが全て準備できるとは思っていない。

 実際問題、長男や次男あたりであれば、次期当主候補ということで調べる意味はあるが、末っ子かつ男尊女卑の王国で女性となると優先順位はかなり低い。


 今からでも収集を始める体制が作れるだけでも僥倖であろう。


「とりあえず、ファウント公爵との大まかな会談は終わったから僕はエルスリードに戻っても問題ないかな?」

「そうですね。後の交渉は私で問題ないでしょうし、騎士団についてはリスティの領分ですので」


 うんうん、適任者がいるのであれば僕は無駄な茶々を入れずに事後承認だけでいいだろう。餅は餅屋だ。


「それじゃ一週間ほど魔物たちの動きを確認してから帰るとするかなぁ。ユスティも一緒に戻るよね」


 今回のファウント公爵との会談ではお留守番役となっていたユスティに尋ねる。


 どうやら、アリスとリスティだけがファウント公爵に『エルスティアの妻』と認識されたのが悔しいが、会談という重々しい場所にいる事を自分が拒否した所為でもあったので、誰かに文句を言うことも出来ず機嫌が悪い。

 こうして四人だけで集まった中でも殆ど会話に参加しないほどである。


 正直なところ、公爵に妻と認識されなかったから何かあるのかということが僕には分からない。女心はげに難しい。

 にも関わらずアリスとリスティからはユスティをフォローしろ。というような視線をビシビシと感じる。理不尽である。


「……今回、私殆ど役に立たなかったけど帰ってもいいのかな?」


 おっと、ユスティにしては思っていたよりもへこんでいた。そんなユスティに僕は微笑みかける。


「もちろんだよ。それに役に立っていないわけが無いじゃないか。君が傍で守っていてくれる。

 それが僕にとってどれだけ安心して気が楽になるだろうか。

 今回のファウント公爵との会談が無事終わったのだってそういった煩わしい事を気にしなくて済んだからだよ」


 僕の脳内で、自分自身のくさい台詞に転げまわる姿が浮かぶがそれを無視する。


「……それ、ホント?」

「本当ですよ。ユスティ。あなたがいるから私やアリスも会談に集中できたのだから」


 そう助け舟を出してくれたリスティが僕に向けてくるのは、よくやったという表情だ。ご満足いただけて何よりです。


「……そっか、私も役に立ってたんだ。よかったぁ」


 あ、この子チョロインだ。じゃなくてユスティはほっとしたように笑う。


「それで、どうする?」

「もっちろん、一緒に帰るよ。エル君の身辺警護が私の役目なんだもん」


 そう笑顔で答えるユスティに皆苦笑いするのだった。


 これから数日後、僕たちの元に知らせが到着する。

 それは僕たちにとって初めての喪失を意味する事になるが、この時の僕たちには予想だにすることは出来なかった。

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