第261話 ●「アルーン会談5」

 アルーン要塞から北東に六キロ。

 そこには大小様々なテントが建つ。そこに掲げられた旗には赤と黒で塗られた二匹の獅子。

 エスカリア王国において十四根源貴族の一つにして第二位の位置にあるファウント公爵の家紋。

 そして赤塗りの獅子は当主がこの場所にいる事を示している。


 アーネスト・ファウント・ロイド公爵。その人である。

 今年で五十六となるにも関わらず、その風貌は十ほどは若く見える。

 この世界の人間種。とくに生命活性魔法の恩恵にあつい貴族ともなれば百歳を越えることも珍しくない事を考えればようやく半生を迎えたといえるだろう。

 もちろんそれを遥かに凌ぐ亜人も多いので種族としてみれば短命とはいえるだろうが……


 いまでこそ『南方の黒獅子』と呼ばれるが、青年期までは貴族社会の中でも公爵公子である事を除けば、そこまで抜きん出た存在ではなかった。

 いや、今だからこそ皆は理解していた。爪を隠していただけなのだと。


 ファウント公爵家の長子として生を受けた彼は、貴族学校に在学中はまさに中の中の成績で決して目立つことは無かった。

 そんな中、表向きは公爵公子らしく上級貴族の次男や三男をスカウトしていたが、裏では下級貴族、平民の優秀な人材を積極的に集めた。

 ――その中には、いまや彼に常に付き従う執事である宿屋の三男坊であったロイドの姿もあった――


 そして目立つことなく卒業した彼の名前が最初に一躍有名となったのは今から三十四年前の第六次帝国南征。帝国との最後の戦争の時である。


 当時、帝国最強といわれた部隊を壊滅。八つの首級をあげたのである。これにより帝国は継戦能力を失い。王国との不可侵条約を結ぶこととなる。

 それ以降、爪を隠す事をやめた彼の活躍は『南方の黒獅子』と呼ばれるまでになったのである。


 そんな彼が野営地に戻ってきた際、留守をしていた部下達は驚きをもって迎えた。

 普段は威風堂々。言い方を変えれば堅物であるファウント公爵が非常に上機嫌だったのだ。

 その事は後に語り草になるほどであった。


 ――――


 戻ってきた四人は、一番立派なテントに入ると思い思いの席に座る。

 この四人だけの時には肩肘張ることなく話すことのが彼らのスタイルである。


「アーネスト様、ご機嫌でございますね」

「レザリンド、そなたはエルスティア達との会談は楽しくは無かったのか?」

「確かに魔物の事など知らぬことが聞けたのは有意義ではありましたが、アーネスト様のように手放しで喜べる状況ではありませんでしたので」

「なんじゃ、詰まらんの。普段の馬鹿どもの相手をするよりも歯ごたえがあって面白いというのに……そうは思わぬかリンク?」


 ファウント公爵はそう自分の息子に話を振る。

 その視線の先にいるリンクロードは微笑んだまま……いや、エルスティアたちと会談したときから雰囲気は一変していた。


が気に入っていた理由。なるほどよく分かったよ。面白いねエルスティアは」

「ふふ……であろ?」


を見た奴らは大概、本人達は上手く誤魔化しているつもりなんだろうけどさ。バレバレなんだよね。

 僕を軽んじて見てるのがさ。

 まぁ、こっちもそう見られたほうが扱いやすいからね。わざとそう演技しているわけだけどさ」

「ふん、何を言うか。あれもお主の本質であろう?」


 そういうファウント公爵の言葉に、リンクロードは肩をすくめるが反論はしない。


「だけどエルスティアは違った。驚いたのも最初だけ。後はただのファウント公爵の息子として扱ってきやがった。

 エルスティアがそんななんだ。部下達も僕を軽んじてきやしない。まったく扱いにくいよ。

 こんなのはキスリング宰相と会ったとき以来だ」


 そう悔しそうに言うリンクロードの顔は、だがむしろ嬉しそうですらある。


「それで。リンクよエルスティアをどう見る?」

「親父と同意見。絶対敵に回しちゃ駄目だ。今ここにいる有象無象の貴族たちを切り捨てたとしてもね」

「それでいて味方にもならぬ。くくく、より欲しくなるわ」

「うんうん、だねぇ」


 そう楽しそうに話す親子にレザリンドが口を挟む。


「……それならば今のうちに芽を摘んでおく事がアーネスト様にとって利となるのでは?」


 その言葉にファウント公爵とリンクロードは顔を見合わせ……大声で笑う。


「ハハハ、面白いっ! すごく面白いよレザリンド。堅物だと思っていた君からそんな面白い言葉が出てくるなんてさ」

「リンクロード……様?」

「それで? どうやって摘もうか? 武力でかい? おいおい、見ただろ? あの騎士団の規格外の強さをさ。

 こっちの騎士団なんて接敵する前に全滅だな。

 それじゃ暗殺? ハハッ、あの『黒髪の魔女』の諜報網をどうやって抜ける?」

「黒髪の魔女……エリザベート・バルクス・シュタリア」


 黒髪の魔女という言葉に、ロイドが呟く。


 エルスティアたちが知る由も無かったが、エリザベート・バルクス・シュタリア。

 エルスティアの母にして天才……いや天災というべきか。

 彼女が築き上げた諜報網を中央により近い人間で知らないものはいない。そして彼女に付けられた異名は『黒髪の魔女』


 家督が息子に移ったことで大人しくなった……と願いたいが、諜報網は未だ健在であろう。

 現にファウント公爵も自分の身の回りに彼女の諜報員がいてもなんらおかしくないと考えているほどだ。


 彼女の逆鱗に触れればまさに草木一本残らないほどにズタボロにされるだろう。家族の事となれば殊更に。

 バルクス家とは事を構えない。それはバルクス家を『ルステリアが如ごとき誇り持ちし番犬』と賞賛するのと合わせて彼女の存在が大きいのだ。


「万が一、黒髪の魔女の指の隙間から抜けたとしてどう殺す? 相手は『アストロフォン殺し』と呼ばれるほどの魔法の天才……いや、こっちも天災だな。

 そんな人間を誰が殺せるって言うんだい?」

「そ、れは……」


 リンクロードの言葉にレザリンドは続ける言葉を失う。

 最初に彼が言った芽を摘んでおくという事を彼自身が望んでいたわけではない。

 あくまでも選択肢の一つとして提示したのだ。それはリンクロードやファウント公爵も百も承知だ。

 そんな彼だからこそ公爵家の執務長官を任されているのだから。


 だがこうしてリンクロードが言葉にすることでそれがいかに無謀なことであるかを皆が共有したのだ。


「レザリンドの提案を私の中で真っ先に排除したのが、まさにリンクが申した問題点ゆえよ。

 我々にとって幸いであったのが、エルスティアがバルクス家そのもの……中央の覇権に興味が無いということ。

 こちらが敵対しなければ敵対しない。中央の無駄にプライドだけが高い無能な貴族よりも有益よ。

 現にこちらが外交権を認めない事を理解しつつも求めてきよった。こちらの言質を取るためにの」

「特別とか王国に反旗を翻すつもりはありません。っていう保険までつけてね。いやはや、お互いが出さざるを得ないカードを有効に出し合う会談。こんなに楽しかったのは久しぶりだね」


 ファウント公爵の言葉にリンクロードも続ける。


 その二人の楽しそうな顔にロイドは一つため息をつく。まったく親子揃ってよっぽどエルスティアたちを気に入っているらしい。

 もちろんロイドもエルスティアたちに対して負の感情は無い。むしろ過去の出来事から好意を抱いている。


 だが、南方の黒獅子と恐れられる彼がここまで他人に興味を持つのは何時ぶりであろうか。

 彼の学生時代からの付き合いであるロイドも数えるほどしか記憶に無い。

 そしてその数えるほどの記憶の中で、極稀に彼の脇が甘くなったのを思い出す。


「黒獅子が寝首をかかれませぬようにご注意を」


 相手はエルスティアだから問題はないであろうが。念のため、ロイドはそう嗜めるのであった。

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