第254話 ■「南方の悪夢3」

 年越しを久しぶりにエルスリード以外で迎えた王国歴三百十五年一月二十八日。


 アルーン要塞内を突如として鐘の音が鳴り響く。それは魔物の集団が近づいていることを知らせる第一報。

 その音に、アルーン要塞は色めき立つ。


「避難民の緊急避難にどれだけかかるっ!」

「三十分です!」

「馬鹿やろう! 間に合わん。二十分で済ませろ!」

「了解ですっ!」


「防衛ラインに銃弾の予備をありったけ準備しろ! 物資を惜しむな!」


 要塞内のいたるところで指示が飛び交う。


「いやはや、ファウント公爵の使者よりも先に招かざるお客さまが到着したようだね」


 部屋の外から怒号響き渡る中、会議室に集まった皆に僕は軽口を叩く。

 それに皆は苦笑いする。けれど若干ピリついていた空気は和らいだようだ。


「伝令によると魔物の数は六千五百以上八千未満とのこと。予想接敵時間は今から四十分後です」


 伝令からの情報をリカル副団長が説明する。

 最大八千。それはまさに数の暴力といえる。しかもただの八千ではない。人間の身体能力を凌駕する魔物もいるのだから同等数でぶつかれば人間側はただではすまない。


 それでもここに集まった者たちに焦りは無い。彼らにとってはこの数は中規模襲撃で聞き慣れた数だからだ。


「へー、よくそんなに早く情報が伝達できたね」


 魔物が進撃してきているのがボーデ伯領である以上、バルクス辺境侯が警戒用の施設を勝手に作ることは出来ない。

 それはボーデ伯が執政能力が喪失していると言えどだ。

 そうなるとバルクス側にできることは、王国法でギリギリ認められている偵察部隊を出すことだけ。

 そして魔物の中には騎馬よりも早いものもいる。その中で四十分も前に情報が手に入れることが出来たのはかなりのアドバンテージといえる。たかが四十分。されど四十分だ。

 僕の言葉にリスティが口を開く。


「バルクスは、魔物襲撃のスペシャリストですからね。伝達方法も確立されているんです。

 各騎士団にファンナさんほどではないですが、短距離精神感応者がいます。その人たちが偵察を行うことでより早く情報を入手しているんです」


「あー、なるほどね。でもそれだけ貴重な人材を最前線に送る危険性は大丈夫なの?」

「勿論、危険はありますが魔物については対策が十分に可能ですので。魔物が嫌う臭いを放つ臭袋・魔力検知を回避するための鉄を編みこんだマントなどですね」


 なるほど、先人の知恵という奴か。そういった細かい部分まで聞いたことが無かったから興味深い。

 バルクスには鉄を『忌み鉱』としてみる宗教上の思想が蔓延していないからこそ昔から鉄を積極的に利用していたようだ。


「さてと、今回の戦闘はいずれ他の貴族に知れ渡ることになる。だからこそ僕たちは勝たなければいけない。いや、『より良い』勝ちを得なければならない」


 僕の言葉の意味を理解したのだろう。皆がうなづく。

 『より良い勝ち』――つまりは圧倒的な勝利をもって予測される内乱に楔を打ち込む必要があるのだ。『バルクスは容易に倒せない』という楔を。


 上級貴族には、バルクスは『番犬』として既に警戒する意識はあるが、下級貴族には薄い。『番犬』の異名をネガティブに捉えているからだ。

 そこで下級貴族たちにも本来の異名の意味を知らしめる重要な戦いとなるわけだ。


 僕の話が落ち着いたところでリスティが半歩前に出て説明を始める。


「それでは、作戦の概要を説明します。今回はエルが言ったようにバルクス騎士団にとっては数千の魔物はである事を示す必要があります。そのため、接近戦は原則行いません。

 まずは、魔術兵によりファイアーボールウォールの多重構築による足止めと粉砕を行います」


 僕が作り出し、レイーネの森事件で有効性を確認できたファイアーボールウォールは、バルクスの魔術兵の必須魔法となっていた。

 中級魔法だから魔力消費を考慮して三名で分割詠唱できるように改良もしている。


 こちらの魔術兵は三百人。壁の展開距離とカバーが必要な距離を考えても二~三重程度の展開は出来そうである。


「撃ち漏らした魔物については、銃兵による銃撃を行います。そこからも撃ち漏らした魔物については騎士による迎撃を行います」

「まー、やる事はシンプルだな。撃って撃って倒す。だ」


 アインツの言葉にリスティは笑う。


「恐らく、今回は先遣隊でしょうから構成は下級魔物中心。リカル副団長、報告からも中級魔物がいたという情報は来てませんよね?」

「はい、ダイヤウルフやゴブリン、オークを中心として最大でもトロールが数体と」

「今回は緒戦です。この後こそ本命となりますから極力損害を出さないようにしましょう」


 リスティの言葉に皆頷くのだった。


 ――――


 きらめきがごとく感じる大量の魔力の数に歓喜しながら魔物たちはひたすらに北を目指していた。


 彼らにはルールは無い。いわば獲物は早い者勝ちなのだ。そういった意味では足の速いダイヤウルフは,有利と言えるだろう。

 その隊列は足の速いダイヤウルフが先行することでやや細長くなっていた。


 そもそもダイヤウルフには、仲間間での連携を取ることはあっても戦略や戦術といったものとは無縁。

 ただその美味たる血肉を喰らう。その衝動のみで進んでいた。


 そして東西が山脈で徐々に狭まっていく先に自然物ではない数メートルもありそうな壁を視界に捉える。

 彼らは知る由も無かったがアルーン要塞である。


 ルーティント領とボーデ領の領境は、山脈が大部分を占めている。

 とはいえせいぜいが三百メートル級の山が連なる程度とバルクス領と魔稜の大森林のように踏破が困難というほどではない。


 要塞も不落化というのは難しい。要塞を避けて比較的なだらかな山脈を踏破して後方に回られれば意味を成さないからだ。

 そのため、エルがルーティント領を領地化するまで要塞とは名ばかりの場所であったのは致し方ないであろう。


 それでもここを要塞化することには意味があった。ここを抜かれればルーティントの旧主都ゴルンが目と鼻の先だからである。

 そして魔物は魔力の量に魅かれる。


 ゆえに魔物にとってはこのアルーン要塞を抜けることが最短の距離であるのだ。


 そして彼らの魔力を感知する器官には、その壁の上に幾つかの桁違いの魔力を持つ餌を見つけだす。

 それを喰らうだけで――空腹を満たせるかどうかは別として――数年分の魔力を賄えるほどである。

 それを自分が喰らうこと。それを彼らは夢見る。それが何かも知らぬままに――


 ――――


「なるほど、色々な色が混ざると人間の目には灰色に見えるってのは本当だったんだなぁ」


 迫り来る魔物の大群を見ながら、僕はまったく関係ない事を呟く。

 埃が何故灰色に見えるのか。それは併置的加法混色というものなんだけど……まぁいいや。


 アルーン要塞に密集しつつ向かってくる魔物の数ゆえに全体的に見るとそれは灰色のものが動いているように見えてくる。

 これだけの数の魔物を見たのは、レイーネの森以来だけれどあの時は夜で視界も悪かったしそんな事を考えている余裕は無かった。


 今回は数多くの仲間がいるということが精神的な余裕に繋がっていた。


「どうでもいいけどよ。そろそろ詠唱を始めたほうがいいんじゃないか?」


 そんな魔物の様子を見ていた僕にアインツは背後から声をかけてくる。


 今回は接近戦がほぼ無いということで、鉄竜騎士団は全軍がアルーン要塞の城壁の上で狙撃の配置についている。

 鉄竜騎士団は他の騎士団と異なり全軍が銃火器を携行しているためだ。


「ま、そこらへんの判断はリスティにお任せだよ。僕の場合は無詠唱で直ぐに準備が出来るからねぇ」

「魔法馬鹿らしい言葉だな」

「まったく、当主に向かって失礼な部下だよ」

「へいへい、そりゃ悪ぅございます」


 いつもの馬鹿なやり取りを、いつもを知らない鉄竜騎士団や魔術兵の面々は気が気でない様子で見守っている。


「辺境侯も騎士団長も馬鹿なやり取りはそこまでに。始めます。詠唱を」

「こりゃ失礼」


 リスティのお小言に軽く謝罪して、改めて魔物の大群に目をやる。

 これだけの数がいるにも関わらず。まだほんの一部だと言うことに逆に笑いが出そうになる。


「今ですっ!」


 リスティの指示に合わせて魔術師たちは次々とファイアーボールウォールを発動させていく。

 今回はこの一撃が大事だから魔力の出し惜しみもせずに僕も無詠唱から一際長距離・巨大な壁を造りだす。


 今、戦いの火蓋は切られたのであった。

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