第209話 ■「罪の清算」

「おー、これが天然アスファルト……瀝青れきせいか」


 僕は目の前のガラス瓶に入った黒い液体を見ながら呟く。


「はい、バルクス領とルーティント領を色々探して見つけ出しました」


 メイリアはそうどこか誇らしげに語る。

 僕が常々考えていた道路の舗装において最も期待していたのがアスファルトの発見である。

 アスファルトはメンテナンスが大変なので街道は難しいだろうけれど街中であれば十分に検討の価値がある。


 もし原油を見つける事が出来れば、減圧蒸留装置で作った減圧残油をそのまま製品アスファルトとして使用することが出来る。

 けれど未だに純粋な原油を見つける事が出来ていない中で純度が落ちる天然物とはいえアスファルトを発見できたのは僥倖ぎょうこうである。



「メイリア、天然アスファルトが見つかったってことは、原油も……」


 天然アスファルトも多くの場合、原油が地表近くで揮発性を失った後の残りだ。

 つまりは天然アスファルトがあるところに原油がある可能性もある。


 世界最大級の天然アスファルト湖と呼ばれるトリニダート・トバゴのピッチ湖も原油が揮発した重いアスファルトだそうだ。


「その可能性はありますが……申し訳ありません。今の掘削技術だと調査掘削にも時間が……」

「あー、そうか……火気厳禁だから魔法による掘削もできないか」


 この世界の掘削技術は未だに手掘りだ。

 僕が開発した『ダイナマイト(仮)』の魔法も発動する際にどうしても小さな火花が出る。

 土相手なら問題ないけれど可燃性の原油だと大惨事になってしまう。


「まぁ、そこは出来るペースで問題ないよ」


 僕は笑ってメイリアに返す。


「でももし原油が見つかれば、色々なことが大きく動き出すからね。楽しみだなぁ」


 原油が見つからなかった事を考慮して、僕はベルに魔力を利用したエンジン。そう『魔導エンジン』の試作をお願いしている。

 魔導エンジン……うん、心がわくわくするネーミングである。


 元々、アインツが率いる鉄竜騎士団のコンセプトは、高機動力での要所早期占拠だ。

 当面は軍馬やミルスを活用するけれど、いずれは機械化を考えていた。その目処が立つということになる。

 ただ魔導エンジンの場合、魔力を使うからどうしても使用者が限られてしまう。

 魔力枯渇で失神して大事故になんて目も当てられない。それは普及の妨げになるだろう。


 それに比べれば、原油から精製されるガソリンを使用した内燃機構は誰もが利用することが出来る。

 ただ原油も資源問題になるからある程度の制御は必要だろうけれどね。


 ガソリンエンジンと魔導エンジンの両輪で考えることが出来ればバルクスが大きく発展する原動力になりえる。

 ま、魔導エンジンもようやくスタートしたばかり。さすがに二・三年でどうにかなるというほど簡単な話ではない。


 先ずは何をするにもお金を稼がないと……

 その後も幾つかの確認をして一旦落ち着きを見せた後、メイリアが口を開く。


「あ、あの! エル様」

「ん? なに、メイリア」


 僕の問いかけにメイリアは一呼吸置く。そしてその顔は真剣そのもの。


「私は、私はエル様のお役に立てているでしょうか?」

「そんなの当たり前だよ。ベルとメイリアのおかげでどれだけ助かっているか」


 僕としてはむしろベルよりもメイリアのほうを高く評価しているといってもいいだろう。


 なんてたってベルはギフトを持っている。言い方は悪いがこれまでの多岐に渡る開発は期待通りといってもいいだろう。

 それに対してメイリアは自身の努力でここまでやってきているのだ。


 もちろん、新たな技術の枠組みを作るのはベルのほうが優れている。

 けれどメイリアの長所は弛まぬ努力に裏づけされた持続力だろう。ベルが作り出した枠組みを実現させる才能は天性のものだ。


「それは、それはっ! …………」

「メイリア?」


 切羽詰ったかのように口を開いた後、言葉を発しなくなったメイリアに僕は問いかける。


「私の罪が許されるほど……でしょうか……」

「っ!」


 その言葉に僕は思い知らされる。彼女が未だに十年前の罪に悩んでいたということに。

 僕としては、男爵家への縁を切るという形で既に許した……いいや、そもそもが彼女に対して恨んですらいなかった。


 あたりまえだ、あの頃の僕たちは十歳かそこらの子供でしかなかったのだ。

 親の罪を子が償う必要などあるはずも無い。けれど僕の立場上、親の罪とメイリアを隔絶させるために辛い選択をさせたのだから。


 けれどメイリアは未だにその事を罪悪感として抱いていたのだ。それに気付くことが出来なかったのは僕の失態だ。


「……ごめん、ごめんね。メイリア」


 だから、素直に謝罪の言葉を口にする。


「い、いえ! エル様が謝ることでは」

「いいや、これは僕の落ち度だ。僕はあの時、メイリアを断罪した時にもう君の罪は許したと伝えたつもりだったんだ。

 いや、そもそもメイリアに罪があったとすら思ってもいなかったんだ。けれど今までメイリアの気持ちに気付けなかった。

 いまだに苦しんでいたことに気付けなかった」


「エル様……」

「メイリアの罪はあの時既に許されていたんだ。そしてあの時、メイリアと友達になりたいと言ったのは僕の素直な気持ちだよ。

 だからもう一度伝えるよ。『メイリア、僕達の親友になってくれないかい?』」


 それは十年前にもメイリアに告げた言葉、彼女が感じていた罪悪感。僕がそれに気付くことが出来なかった失態。

 それをもう一度やり直すための言葉。


 あの頃、子供だった僕たちもこうして大人になった。けれどまだ二十歳。この世界の寿命を考えればまだ五分の一でしかない。

 これからでもやり直すだけの時間は十分にある。


 僕の言葉にメイリアは俯く。そして再び顔を上げる。

 そこに浮かぶのは――笑顔。


「はい、お友達になりたいです。ただのメイリアとして」


 それはあの時と同じ返し。この言葉に僕は理解する。あぁ、やっとメイリアと横に並び立つことが出来たのだ。と――

 そう思いに耽っていた僕にメイリアは相対する。


「そして、ただのメイリアとしてお伝えしたいことがあります」

「伝えたいこと?」


 メイリアは一つ深呼吸をすると、僕に今までのどの笑顔よりも綺麗な笑顔を向ける。


「メイリア・ベルクフォードはエルスティア様をお慕いしております。他の皆にも負けないほど深く強く。

 私を、私をエル様の妻にしていただけませんでしょうか?」


 それは普段のメイリアからは想像も出来ないほどの力強い言葉。

 自分の罪を清算することが出来たことで心から溢れる自信に満ちた言葉。


「はい、喜んで」


 だからこそメイリアの素敵な笑顔に目を奪われていた僕の口からは、なんの抵抗も無く快諾の言葉が零れるのだった。

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