第180話 ●「元王女の価値1」

 ルード要塞で魔稜の大森林への侵攻の作戦会議が行われている同時刻――


 バルクス辺境侯爵家 執務室


 普段であれば執務官たちが書類の承認を受けるために出入りを繰り返すこの部屋も主不在の今、出入りはない。

 その中で執務を続ける者が一人。


 腰まで伸びた白に近い銀髪を作業の邪魔にならないように後頭部の高い位置で一つに――いわゆるポニーテールにした少女。


 王国の歴史上初の女性かつ最年少の執務長官、アリストン・ローデンである。


「うーん、この数値は……うん、順調そうね。

 こっちの嘆願は……農地の境界線の揉め事か、ハインツさんにお願いしよう。

 こっちは……、エルスティア様の判断が必要ね……」


 呟きながら執務をするのが彼女の本来の癖である。呟くことで自分の頭の中を整理することが出来るという自論だ。

 ただその癖は少し恥ずかしいという自覚はあるので、エルや他の執務官がいるときにはなるべく出さないように注意している。

 その中で執務のスピードと正確さは圧巻以外の何者でもない。


 アリスは気付いていない事だが、実際には気を抜くと無意識のうちに出てしまうのでエルや他の執務官達も知っている。

 皆にとってはそれが彼女の仕事のスタイルなのだろうと理解して何も言っていないだけだ。


 ――


 アリスがエルから彼の正体と自分の能力の話を聞いた時。

 一番最初に抱いたのは感謝であった。


 人によっては自分の才能が人からもたらされた物であると知ったら不快感を抱くだろう。

 だが、彼女にとってはそれは些末さまつなことであった。


 彼女の目的は、自分の母親を殺め父を人知れず慟哭どうこくさせたこの国の体制の変化……いや破壊である。

 その一種の復讐を可能とするかも知れない力をエルがもたらしてくれたのだ。


 感謝こそすれ不快感を抱くことではない。


 そして僅か十九歳で辺境候のバルクス領において執務を行うトップに就任させてもらえた。


 アリスは女性である。

 それは男性上位思想が強いこの世界では大きな足かせとなる。

 それでも大先輩で恩師でもあるベイカーさんの薦めとエル本人の決断により今の座に就けたのだ。


 今でも王国に対する復讐心は残っている。

 けれど今では


 『エルスティア様のため』


 その気持ちのほうが強いだろう。


(執務官として感情に左右されるのは本当は避けるべきなんだろうけれどね)


 頭の中の一執務官としての冷静な自分が今の自分を否定する。

 けれど一方で人として、いや女性としての自分が今の自分を容認する。

 その葛藤をしばしばアリスは感じていた。

 そんな彼女の人間臭さは長所でもあり短所でもある。

 それが短所になる事を自覚することが重要なのだ。


 その時、不意に執務室の扉がノックされる。

 エルが居ない今、執務官たちも訪れることは無いはずだ。


 昼食にもまだ時間があるからメイド達が食事を持ってきたという可能性も低い。


 あれこれ考えているうちに再度扉がノックされる。


「はい、どうぞ」


 誰かも見当がついていないが外で待たせ続けるのも悪い。

 アリスの返答を受け、扉が開かれる。


 まず入ってきたのは手にもたれたティーセット。

 それに続いて一人の女性が入ってくる。

 それは自分の銀髪とは違いシルクのような艶を放つ金髪の女性。


「これは、クリス様! この様な場所まで何か御用でしょうか?」

「アリスさんとは、ゆっくりお話したこと無いなと思って。

 お邪魔でなければ、一緒にお茶でもどうかしら?」


 そう言ってクリスは自身が持つティーセットを少し上に上げる。

 そこに乗るのは確かに二人分のカップとお菓子。


 それにアリスは別の――ベルは参加しないのか。という感想を抱く。

 アリスがクリスの姿を見るときには大体においてベルもしくはエルがそばに居る。


 ベルとクリスの関係を考えればおかしく――たまにちょっと一緒に居すぎじゃない? と思うこともあるが――はない。

 女性同士の友情というのは中々に難しいものだ。


 クリスが現れるまではベルはメイリアと二娘一にこいちという感じだった。

 ところがクリスが現れた後は、クリスと一緒に居ることが増えた。


 メイリアにとっては一番の親友を盗られた感じに見えるのだが、空気が悪くなった感じが無い。

 むしろ、クリスとベルが仲良くしている様をメイリアが優しい眼差しで見ていることのほうが多い。

 友達の幸せが自分の幸せ……という奴だろうか?


(ま、女性同士の友情に私自身が詳しくないんだもんね……)


 どちらかと言うと男社会の中で生きてきたアリスには理解することが難しい案件である。


「はい、少し休憩しようと思っていましたので大丈夫です」


 そう、アリスはクリスからのお茶の誘いを受ける。

 だが、なぜクリスがわざわざ自分とお茶を飲みに来たのか分からないと内心は疑問だらけだ。


 アリスの返答に嬉しそうにクリスは手際よくお茶の準備を始める。

 元王女がメイドの様に準備する様はなかなかにシュールではある。


 こうして始まったアリスとクリスの二人のお茶会。

 基本的にクリスがアリスに対して他愛無い質問をしそれにアリスが答えるという感じで進む。


 アリス自身もいわゆる女子トークというものが分からないので気楽ともいえる。


 一通り話し終え、お互いにお茶を飲むことで僅かに出来た無言の空間。

 さてそろそろ、と声を出そうとしたアリスにクリスが口を開く。


「そうそう、アリスに一つ聞きたいことがあったんだった」

「聞きたいこと……ですか? 結構色々と答えたと思うんですけど何でしょうか?」


 そう聞き返すアリスにクリスは微笑む。


「アリスは本当は私をどうしようと考えていたのかしら?」


 そんな意図も明確ではない質問。

 けれどそれにアリスは全身悪寒に襲われる。


「……えっと、その質問はどういう意味でしょうか?」


 そう返しながらもアリスは確信する。

 今日のこのお茶会はこの質問をする事が本命だったのだ。と


 何ともいえない緊張で喉が渇く。

 それを知ってか知らずかほぼ空になっていたアリスのティーカップにクリスは新たなお茶を注ぐ。


「そのまんまの意味なんだけど……そうね……うん、勅使から主人と王女の婚姻話を聞いた時、どう処理しようと考えたのかしら?」


 その言葉を聞いた時、アリスが抱いた思いは『これが王族か』だった。


 特に内部が乱れている今のような状況では、一つの失敗が即、死につながる可能性がある。

 だから彼女達は洗練される。ちょっとした言葉や態度に潜むメッセージを全て読み解こうと……

 それが王たるもの達の能力。平民出身の自分では一生備えることも出来ない能力。


 それは幸か不幸かで言えば、不幸であろう。

 そんな能力を必要としない生活こそが幸せなのだから。


 今こうして微笑みながらもアリスを見つめる瞳は全ての嘘を看過できるのではないかと思わせる。


 アリスは深くため息をはく。

 クリスのお茶のお誘いを深く疑うこともなく受けた時点で自分は負けていたのだ。

 今更、嘘をついても意味は無いだろう。


 アリスは覚悟を決め口を開く


「……不幸な事故で死んでいただく予定……でした」


 と。

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