第147話 ●「ルーティント解放戦争7」

 それはラズリアにとっては理解できない出来事であった。


 ルーティント伯の領民である民兵二万がことごとくバルクス軍に投降したのである。

 それは飼い犬に手を噛まれたも同然。

 だが、彼には分からない。

 支配される者が支配する者を裏切るという行為自体が。


「おい、これは一体どういうことだ。

 兵力では我々が圧倒していたはずだぞ」


 ラズリアは周囲の部下に詰問するが、答えられる者はいない。

 いや、答えると同時に自身の命が絶たれる。そんな予感があるのだ。


 この戦いは既に決着がついた。こちらの圧倒的な大敗北で。

 これでまだ相手方に大被害を出していたならば、まだなぐさみもあった。


 だが、今まで収集した情報によると負傷者はいたとしても死者はゼロである。

 一方こちらは、黒騎兵隊に千二百強の死者と六百弱の重軽傷者。


 民兵二万にいたってはごっそりと消滅し、バルクス側に二万の増援があったも同然の状態になっている。


 単純な兵力差で考えれば、バルクス軍二万六千三百対ルーティント軍四千。

 一対四の戦力差が僅か五時間の戦闘で六対一に逆転していた。

 (エルには民兵を今後の戦闘に動員するつもりは無かったが……)


 夏ゆえに十七時でも周囲は明るいが、後二時間もすれば日が暮れてくる。

 本日の戦闘は終了したという伝達は両軍から既に相手に送られている。

 同国の貴族間の戦闘においては夜襲は野蛮であるという考えがあるので本日の戦闘は完了となる。


 残存している騎士兵によって黒騎兵隊の戦死者の収容が行われている頃だろう。

 死体を放置することによる腐敗や伝染病の恐れがあるのでその日の内に収容することが望ましいのだ。


 戦死者を調べることで不可視の攻撃の正体もわかるかもしれないが、即時その情報を有効活用できるかどうかは不明だ。


 まず彼らは明日の……戦闘継続かモレス要塞への撤退かを決める必要がある。

 それでも皆が皆、口を開くことがためらわれていた。


 理由は一つ。

 もし撤退を提案したとしてラズリアが容易に受け入れないだろうと考えていたからだ。

 なにせ最初にモレス要塞への撤退を提案したボルドー騎士団長は、その場でその地位を奪われたのだから。


 今では、ボルドーは部下の末席にまで下げられている。

 部下達にとっては内心複雑なものがある。


 汚職や縁故採用が蔓延はびこっているルーティント伯でも第一騎士団団長は実力、人格共に優れていなければなる事は出来ない。

 そしてボルドーの人格、才能は彼らのよく知るところだ。

 彼が騎士団長だから第一騎士団に、という希望を持っている騎士も少なくは無い。


 ラズリアが伯爵になるよりも十年も前から騎士団長を務めていたボルドーを地位を剥奪されたからといって無碍むげに扱うことは出来ようはずも無い。

 言葉には決してしないが、後から血族というだけで上司となった子供に、自分が気に入らないからと長年の功労者を首にしたことに納得できていなかった。


 皆が沈黙する中で手をあげるものが一人。


「……また貴様か、ボルドー」

「失礼ながら申し上げます、ラズリア様。

 既にこの場での戦いは我々の大惨敗でございます。

 モレス要塞に一度お退きください」

「またそれか、しつこいぞ。我々ルーティント軍に撤退の文字は無い」


 ラズリアは話を切ろうとするが、ボルドーは続ける。


「モレス要塞は対魔物を想定としておりますが、対人に関しても難攻不落。

 モレス要塞に篭り再度態勢を立て直せば勝機はございます」


 ボルドーは口でそういいながらも楽観論だな。と心の中で笑う。

 黒騎兵隊もそうだが、物量で何とかしようとした民兵による突撃も聞いた話では攻撃を何らかの方法で無力化されたという。


 どちらも原因が不明な時点でどう転んでもこちらに勝機などありはしないのだ。

 それでも時間を確保すれば、バルクス伯との交渉の機会も出てくる。


 かなり相手に譲歩しなければならないだろうが、それでもルーティント伯の領民の大部分を救うことも出来るだろう。


 ――だが


「……俺に、この俺に要塞に篭れというのか貴様!

 バルクスの駄犬に怯えていろと!」

「確かに一時の恥となりましょう。

 ですが、このまま無謀な戦いを続け残りの騎士兵四千も失うこととなれば伯領の維持が適いません!」


 そのボルドーの嘆願にさらにラズリアは顔を紅潮させる。


「黙れボルドー! 二度と私の前に姿を見せるな!

 いいか! 明日、夜明けとともに騎士兵による総攻撃をかける!

 何人たりとも投降、逃亡は許さんぞ!」


 その言葉に……


「……ここまで……ですな」


 ボルドーは嘆息する。そして……


「……失礼!」


 ボルドーは一気にラズリアへと距離を詰め自らの剣で……

 いや、剣の柄をラズリアの腹の急所に正確に打ち込む。


「ガッ!!!」


 ラズリアは奇声をあげ、そのまま昏倒する。

 ボルドーはその倒れこむ体を支えると


「ラズリア伯爵閣下! 御不予ごふよ

 すぐさまモレス要塞へと撤退する!」


 そう大声で指示をだす。


「ボルドー団長……」


 床に静かにラズリアを寝かせたボルドーの背後から、元部下である第一騎士副団長ベイクが声をかけてくる。

 その地位を剥奪された自分に対して今までと同じように語りかけてくる副団長に苦笑する。


「家臣でありながら当主に手を出した。

 それはいかなる理由であっても許されるべきではない。

 だが、故郷に妻も幼い子も残しているのでな。死ぬわけにもいかん。

 すまんが、私はルーティントを出奔する。

 妻には私に何かあった場合、領外の頼るべき場所を伝えてある。

 そこに逃げるように伝えてくれ」

「……かしこまりました。本来であれば当主に手を出した逆賊を捕らえるべきなのでしょうが……

 ……いえ、ラズリア様には抵抗したため殺したと伝えておきます。」

「すまんなベイク」


「それで、ボルドー団長は何処へ?」

「さてな。……いや、一度、バルクス伯爵に会ってみるのも良いかもしれん」


 その言葉に副団長は青ざめる。彼の中に浮かんだのは騎士としてあるまじき行為。


「…………ボルドー様! まさかっ!」

「ベイク、慌てるな。暗殺などという卑怯なことをするつもりは毛頭無い。

 ただ、バルクス伯爵の人となりを知りたいのだ」


「……安心しました。それから……もうしわけありません……」

「何がだ?」


「本来であれば、我々がラズリア様を諌めねばならなかったにもかかわらず、ボルドー団長に全ての責を……」

「気にするな。どうせこの戦い勝利していたら座をルプルギアあたりに奪われていたのだ。

 ……逆にすまぬ。もしかしたらルーティント伯の最後をお前達に背負わせることになるやもしれん」

「……いえ、私も機を見てバルクス軍に投降することとします」

「そうか……いや、今はラズリア様が目覚める前に撤退を開始する必要がある。急げ!」

「はっ! それではお元気で!」


 ベイクは元上司に最後の敬礼すると、撤退の準備を進めるため部下達と共に部屋を出て行く。


「……それではお別れです。ラズリア様」


 気を失っているラズリアに声をかける。その姿に今更ながらに気付かされる。

 そうか、この人はまだ十七歳の子供だったのだ。と


「……出来ることならばルーティントの未来を明るきものに」


 それは恐らく儚き夢。されど願わずにはいられなかった。


 ラズリアが再び意識を取り戻したのは、モレス要塞へと撤退する馬車の中であった。


 ――――


 カモイの戦いをまとめた資料には、ルーティント伯第一騎士団団長ボルドーは戦死または行方不明になったと記されている。

 モレス要塞への撤退自体もラズリア伯爵による指示であったと記される。


 後世の歴史と本来の歴史の齟齬そご

 それこそが歴史を学ぶことの楽しみなのかもしれない。

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