第131話 ■「他領の状況を整理しよう1」

 十二月も終わりが近づいた頃、少し遅れてフレカ・アーシャ・ミスティのメイドトリオが戻ってきた。


 半年の引継ぎであれば十月頃には戻ってくる予定であったが二ヶ月の遅延となる。

 というのも、メイドトリオもとい諜報のスペシャリストである彼女たちには、戻ってくるついでに別件で周辺の貴族達の状況調査をお願いしていたのだ。


 バルクス伯は、何度も説明したように南方を魔稜の大森林。

 西方を亜人の領域であるグエンサリティスファルンテ、通称グエン領に接している。


 けれど勿論、その二ヵ所だけが接しているわけではない。

 北方と東方も他国、いや、他領が接しているのだ。


 まずは北方に接しているのは、エウシャント伯領。

 かつては子爵領であったが、三年前にオルク子爵領の領有権を取得し伯爵家に格上げされたそうだ。


 そして北東に接しているのは、ルーティント伯領。

 僕にとっては因縁の場所であり、中央へ至る場所でもある。


 そして東方に接しているのが、ボーデ伯領となる。

 伯爵家としてはトップクラスの広大さを誇るものの、多くが痩せた土地という話だ。


 同じ王国内の貴族とはいえ全てが仲良しこよしと言うわけではない、むしろ領有権を巡って争っている事も珍しくない。

 特に近年は後継者争いの代理戦争とも言われるほどに領有権の争いが頻発しているのだ。

 僕にとっては他国っていう認識の方が近いかもしれない。


 と言うことでバルクス伯にとって敵になるのか味方になるのか、はたまた中立なのかを見極める必要がある。

 三人の報告を聞くため、バインズ先生、リスティ、ベイカーさん、アリスも集まっている。


 あ、ちなみに最近はアリストンの事はアリスって呼ぶようになっていた。

 最初は顔を真っ赤にしながら平静を装っていた――あれはあれでかわいかった――アリスも大分慣れたようだ。

 彼女自身もアリスと呼ぶ様になって以降、本来の素顔をかなり見せるようになってくれている。


「それじゃ、調査内容を報告してもらえるかな?」


 僕の問いかけに三人は頷く。


「それでは、まずエウシャント伯領について報告します」


 最初にフレカさんが口を開く。


「エウシャント伯領……ですか、これはこれは分不相応な立場になられたようで」


 辛辣しんらつな呟きが会議室に響き渡る。

 その声は決して大きくはない、だがそこに含まれた感情……憎悪の量は計り知れない。


「アリス、エウシャントに何か含むところがあるのかい?」


 僕はその声の主、アリスに問いかける。

 それにアリスは、微笑む――ここ最近は少なくなっていた作り物の笑顔で――


「いえ……ただ……母のお墓がある場所ですので……」


 その言葉に含まれた意味を僕は理解する。


(私の母親がかつて、ある貴族によって殺されたからです)


 その言葉にすべてが集約されていた。それは普段の僕であれば同情していただろう。

 けれど執務中である以上、僕は領主として相対する必要がある。


「アリス、どうする? 君が一執務官として職務を全う出来そうにないのであれば退席してもらうけど?」


 その言葉にアリスは深呼吸を数度、そして少し硬さは残るものの本来の笑顔を向けてくる。


「申し訳ありません。エルスティア様。お見苦しいところをお見せしましたがもう大丈夫です」

「うん、大丈夫そうだね。それじゃフレカさん、続けてもらえるかな?」


「はい、かしこまりました。

 エウシャント家ですが、現在は第一王女ルーザリア派に属しています」


 『現在は』と注釈をつけるのは、貴族によってはより有利な派閥に鞍替えをする者もいるからだ。

 大概はそんな貴族は嫌われる。けれど勢力図を変える弾にもなる。

 だからこそ水面下で引抜が繰り返される……だけど僕からしたら正直、鞍替えを頻繁にする貴族の気持ちが理解できない。

 この後継者問題が解決した際、恐らくそんな蝙蝠こうもりは切り捨てられるというのにね。

 それは歴史が証明していることだ。


「三年前にオルク子爵領の領有権を取得しましたが、オルク子爵家は第二王子ベルティリア派でした。

 そのため、現在はさらに北方の第二王子派のベーチュン伯爵家と一触即発の状況です」

「ってことはその状況が好転しない限り、バルクス家にはちょっかいをかけてくることはなさそうかな?」

「……そうですね。もしくは味方にしようと動くことも考えられますが……」

「なるほどね」


 最近、分かってきたのだが末姫派のバルクス伯家は、どこも味方にはならないけれど、どこも積極的に敵対してこない。

 かなりハンドフリーな動きをする事ができる。

 だからこそ、後継者争いに関わる無駄な浪費を気にすることなく内政改革に奔走できるわけである。


「エウシャント家について何か意見はありますか?」

「ベーチュン伯爵家と一触即発との事でしたが、戦争にはなりそうですか?」


 僕の質問に合わせてベイカーさんがフレカさんに尋ねる。


「いえ、あの辺りは派閥が複雑に絡み合っています。

 どこかと戦闘状態になればその間隙かんげきを縫われる可能性があります。

 ですのでおいそれと動くことができない状況です。

 現状は中傷のし合い……といった感じでしょうか」


「逆に言えば、一度戦争になれば複数の貴族を巻き込む戦争になる可能性がある。と言うことでしょうか?」

「……最悪の場合」


 どうやら僕の伯領の北方地域は『ヨーロッパの火薬庫』のような状態のようだ。


「エルスティア様、であれば何名かをエウシャントとベーチュンに潜らせたほうがよろしいかと」

「エル、私も賛成です。もっと要員がいれば他の貴族にもというのはありますが……」


 アリスの提案にリスティが追従する。

 諜報員の潜入は同じ王国内であってもほとんどの領主がやっている事だ。

 とはいえ、中枢部まで潜り込ませる事は滅多にない、一市民として生活しながら市民の間の噂話を仕入れる程度となる。

 まぁ、市民の噂レベルも馬鹿にできないくらい確かな情報もあったりするけれどね。

 それを取捨選択できる才能が諜報員には必要になる。

 ちなみにこのメイドトリオであれば場合によっては中枢部まで潜入できるそうだ。

 すごいな、メイドトリオ。


「そうだね。そのあたりの人選はバインズ先生にお願いします」

「了解だ」


「それじゃエウシャント家については様子見と言うことでいいかな?」


 それに皆は頷く。


「それでは次はボーデ伯領についてですね」


 次はアーシャさんが口を開く。


「ボーデ伯爵家は、積極的に推している派閥はありません。どちらかと言うと第三王子イグルス派というレベルです」


 なるほどファウント公爵の協力者と言うことか。

 とはいえ、積極的な派閥争いに参加していないというのは珍しいかもしれない。


「ボーデ伯爵家は、後継者争いよりも近年続けて発生している魔物災害への対応で手一杯という感じのようです」

「魔物災害?」

「はい、二年前に四度、昨年は二度、本年は五度、魔稜の大森林からの中規模な魔物襲撃により村が三つほど壊滅的な打撃を受けたと……」


 バルクス伯の東方に位置するということはボーデ伯領も南方を魔稜の大森林に接している。

 過去の歴史上、大規模な襲撃はバルクス伯に限られてはいるものの中小規模の魔物襲撃は魔稜の大森林に接する封領であれば年に数度発生する。


 バルクス伯は前提が大規模襲撃への警戒だから南方は長年の成果により要塞化されている。

 なので中規模程度では都市への被害はほぼない。


 ごくまれに飛行タイプの魔物によって被害が出る事もあるが、早期警戒により対応は可能となっている。

 父さんの負傷も飛行タイプの魔物により襲撃された村への早期対応の時で、領民に何名かの負傷者は出したものの死者はゼロであった。


 だがバルクス伯以外だと警戒網は不完全で度々後手に回ることが多い。

 なんせ大規模襲撃がないのだ。金食い虫と言っても過言ではない要塞の建設と保全のために限られた予算を削るほうが難しいのだ。

 常時可能性があるバルクスだからこそできるのだ。中央からの補填もあるしね。


 ボーデ伯は、近年の襲撃による傷跡の修復だけで手一杯ということだろう。


「気になったんだけれど、本当に魔物の大規模襲来はバルクス伯のルートしかありえないの?」


 これは常々思っていたことだ。


 『大規模襲来はバルクス伯のみ』


 確かに過去の記録に残る四度の大規模襲来はバルクス伯への攻撃だった。

 けれど本当にそうなのか? もし魔物に知恵がある物がいれば、僕たち人類の意識をバルクス伯に集中させておいて南東の領土から一気呵成いっきかせいに侵略するのではないだろうか?


 僕の疑問にリスティとアリスは少し考え込む。


「そうですね。ありえないとも言えますしありえるとも言える。正直なところはそんな感じでしょうか?

 ですが、政治とは可能性と費用との折り合いが重要です。

 大規模襲撃の可能性とそれを防衛するための要塞や軍の整備費用。

 それらを領主がどう見るか? です。


 そして歴々のバルクス伯以外の魔稜の大森林に接する領主は可能性に対して見合わないと判断してきたということです。

 国からの命令であればまだしも、他領の者が口を出すと言うのは難しいところです」


 そうアリスは答える。

 なるほどね、他領の領主が口を出すと言うのは内政干渉に近い。

 僕自身も絶対にありえると言えない以上、何もできないというわけだ。


「エルが気にしているかは理解しています。

 ですが、エルの領有地で無い以上、何もできないというのが現実です。

 我々としてはその何かが起こった時、どうやってバルクス伯領を守るか。それが重要なのです。」


 僕の目的と何を懸念しているかも知るリスティも答える。


「それは要塞がということも合わせて。だよね?」


 その疑問にリスティは頷く。


 ―― マジノライン ――


 第一次世界大戦後から第二次世界大戦にかけてフランスとドイツの国境に構築された対ドイツ要塞線の名である。

 莫大な総工費をかけ構築された要塞線は確かにドイツ軍の侵攻を止めた。

 いや、ドイツ軍はマジノラインに対して積極的な攻勢をかけることはなかった。

 

 資金不足と外交問題で構築できなかったベルギー国境からドイツ軍は侵攻したからである。

 俗に言う『アルデンヌ奇襲』である。


 侵攻を許した結果、フランス軍の防衛ラインは決壊。マジノラインは無用の長物となったのである。


 もし、バルクス伯以外から大規模襲撃を許した場合、その状況と同じになる。

 ルーティント伯との領境にも要塞はあるけれどそれもバルクス伯への侵攻を想定したものだから役に立つかは微妙だろう。


 僕たちは対抗案を検討する必要があるということなのだ。


「まず要塞を過信しない。それが分かっているのであれば大丈夫だと思いますよ。エル」


 そうリスティは微笑む。


「うん、ボーデ伯家についてはとりあえず優先度は低いと考えてもいいだろうね。

 それじゃ最後に……」


「はい、ルーティント伯領についてお伝えします」


 ミスティが口を開くのであった。

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