第98話 ●「凶刃」

 三月十日のエスカリア王国によるベルカリア連邦への宣誓布告から既に四か月が経つ。

 

 布告当初、ベルカリア連邦からエスカリア王国への抗議および外交交渉の打診があったものの完全に無視される。

 

 ベルカリア連邦にとってはエスカリア王国からの宣誓布告は予想外であった。

 これは外交部の失策と言ってもいいだろう。

 

 領土の侵犯行為はベルカリア連邦が主体となっており、過去三十年に限ればエスカリア王国からの侵攻はゼロ。

 その事実ゆえに『王国からの侵攻はあり得ない』が外交部の固定観念となっていたのだ。

 

 ベルカリア連邦は実質、数十の小国が連邦制をとっているに過ぎない。

 その制度も隣の大国、エスカリア王国に対抗するためと積極的な連邦制ではない。

 つまりはそれ以外の自治については、各国での対応となる。

 

 それは不測の事態に対する柔軟性を欠く。エスカリア王国参謀部もそれを狙っての電撃作戦に出たのである。

 

 それは半分成功し、半分失敗する事になる。

 

 エスカリア王国軍はベルカリア連邦の防衛第一陣をほぼ被害を出すことなく陥落させることに成功した。

 だが、その後に不測の事態が発生した。

 

 ウィスト地方を大雨が襲ったのである。

 その雨は量もさることながら二週間という長期に渡り続く。

 

 それによりウィスト地方の道は泥濘ぬかるみ、川は氾濫。エスカリア王国軍の侵攻を大きく妨げた。

 その泥濘もここ最近の晴天により解消。

 

 ようやく侵攻を再開できるまでになったが、ベルカリア連邦にとっては貴重な時を稼ぐことに成功していた。

 

 とはいえ、エスカリア王国軍もただ指をくわえていたわけではない。

 動くことが出来ない軍兵はその時間を使い大規模な屯田を完成させる。

 それは四十万の軍であれば兵糧を賄えるほどの規模であった。

 

 今回投入された軍は、三騎士団の九千人と民兵二十万であるため、余裕でまかなう事が可能である。

 これは既に、ベルカリア連邦制圧後の内政対策を見越しての事である。

 

 今後の農作については各地から農民を集め投入していく事になり戦争が長期化した場合の体制も整いつつある。


 また、参謀部もベルカリア連邦の切り崩し工作を実施した。

 ベルカリア連邦は先にも言ったように小国の連邦制だ。

 各国の思惑が複雑に絡みあい、決定機関は決して一枚岩ではないのだ。

 小国にも強い国・弱い国が雑多に混ざる。決定機関の人材は主に強い国の出身者で固められている。

 

 それに弱い国が不満を持たないはずもない。

 その不満を持つ国に対して伯爵位の厚遇を持って領土を安堵させる。と懐柔かいじゅうを図ったのである。

 

 それに気付いたベルカリア連邦の上層部により懐柔作戦は、結実前にとん挫した。

 だが連邦の国同士に疑心暗鬼を抱かせるという副次目的は成功し一定の成果を上げた。

 

 時を稼がれたとはいえ軍の規模は三対一。

 全体的な戦況は依然としてエスカリア王国の圧倒的な優勢のままである。

 

 ――――

 

 七月二十一日 ベルカリア連邦領ウィスト地方 ウィスタントン砦

 

 この砦は初期攻勢により第五騎士団がほぼ無血で陥落させた後、そのまま駐屯地として使用されている。

 

 その一室に男が一人。


「ベルカリア連邦のみならず周囲にも警戒されたし……まったく黒獅子も心配性だな」


 黒獅子――ファウント公爵から送られてきた手紙の一文を読み男は苦笑する。

 

 イグルス・エスカリア・バレントン、その人である。

 エスカリア王国第三王子にして御年三十一。

 

 父である国王の若かりし頃に最も似ていると噂される。

 ただその似ている部分が『小覇王』と呼ばれるほどの才気も。とはいかなかった。

 

 イグルス王子は、頑張って良く言えば全てを平均してこなす。悪く言えば凡庸である。

 

 だが、『大敗北を犯した王子』と揶揄やゆされる長男や、武術一辺倒の次男に比べればマシ。

 それが貴族たちのいつわらざる評価であろう。

 

 ファウント公爵も次期国王候補を取捨選択したらなんとなく残っていた……というのが本音であろう。

 

 だが、エスカリア王国のように安定した(実際に安定しているかは別として)国であれば名君は必要ない。

 凡庸でも失点なく国政を行ってくれればいいのだ。

 

 イグルス王子の優れたところは、自身の分をわきまえていた事であろう。

 そう言った意味では、確かに次期王としてはもっとも向いているといえる。

 今回の遠征も彼はここまで失態なく事を進めている。

 

 今、彼の家臣はほぼ出払っている。明日からの進軍開始に向けての準備を行っているからだ。


「しかし、ファウントの付けてくれた家臣は良く働く。帰国した後にでも感謝を告げねばな」


 名臣がいれば、自分はでしゃばる必要が無い。今回の遠征も自分は軍のシンボルでしかない。

 このまま第五騎士団を中心とした先陣が敵を倒せば、相対的に自分の評価が上がるという事だ。

 それに対して不満も憤りも感じない。

 

「若いころには父に『覇気が無い』と怒られたものだがな……」


 そう、ルーザス兄やベルティリア兄、ルーザリア姉に比べれば、覇気と言う部分が足りないのだろう。

 かといって、『覇気とはなにか?』が自分自身さっぱり分からないのであるが……


「まぁいい。明日から周囲が忙しくなる。今日は早々に眠るとするか。」


 寝床に向かうイグルス王子の耳に扉の外から突如くぐもった声が聞こえる。

 扉の外には衛兵が二人ほどいたはずだ。


「衛兵! 何かあったのか!」


 イグルス王子は外の衛兵に向けて大声で聞く。

 しかし、衛兵からの応答はない。

 

 その代わりに扉が静かに開き始める。

 その隙間から真っ先に見えるは鈍色の光……その光から何かの液体が絨毯じゅうたんに落ちる。

 その液体は瞬く間に絨毯に深紅の染みを生み出す。

 そしてその後に続く黒い影、顔も黒い布で覆われ目元しか見ることが出来ない。

 どう解釈してもそれは招かれざる客である。

 

 イグルス王子は咄嗟とっさに携帯している聖遺物『青鳥のさえずり』を発動させる。

 これは周囲の騎士に自身の危機を知らせる事が出来る。

 

「何だ貴様。ルーザスかベルティリア、いやルーザリアの差し金か?」


 イグルス王子はそう問いかけながら剣を構える。別に回答が返ってくることに期待はしていない。

 援軍が来るまでの時間稼ぎでしかない。

 

 それに黒い影――いやどう考えても暗殺者か――は鼻で笑う。

 それは本当に僅かな動き、だが今までも命の危険に遭遇してきたイグルス王子はその動きを見逃さない。

 

(ふむ、どうやら違うらしいな。)


 この暗殺者は腕はあるようだが、態度に出てしまう分、暗殺者としては失格だ。

 であれば可能なだけ情報を取り出そう。

 

「いやベルカリア連邦の差し金かな。」


 それには動かない。だが、イグルス王子の勘がそれも違う事を告げる。

 

(では何処だ? 皆目見当が……いや、ファウント公爵が前に懸念していた正体不明な何かか?)


 以前、ファウント公爵から聞いた事がある。

 どこかの勢力が台頭しようとすると何かの力によってそれがとん挫すると。

 だが、もしそうだとしても咄嗟の事でどう攻めるかが流石に思いつかない。

 

「今から死ぬものに関係なかろう」


 暗殺者はそう呟き今まで持っていたナイフ(衛兵を殺した際に使用したのだろう)を捨て、新たなナイフを取り出す。

 そのナイフは銀の輝きだけではなく液体特有の光も放つ。

 その液体が何であるかは考えるまでもない。

 

(いやはや、毒付きとは念の入れようだね。)


 イグルスは状況がさらに悪くなったことに苦笑いする。

 ここは砦内の中央部に位置している、ここまで大きな騒ぎになることなく侵入してきた暗殺者の力量と自身の力量を考えた場合、とても無傷とはいかないだろう。

 

 イグルスも自分が凶刃の手にかかる可能性を常に考え、事前に毒素の弱い毒を体内に入れて免疫を高めている。

 さらには対毒用の聖遺物も所持しており、即死レベルの毒であってもかなりの時間に渡って中和する事が出来る。

 

 暗殺者は、そのナイフを構えイグルスへと迫る。

 イグルスも懐に入れまいと自らの剣で反撃を試みる。

 

 合わせる事、十合。

 時間にしても二分も掛かっていないだろうが、イグルスには何時間も経ったかのように感じる。

 

 その中でも暗殺者が自分より剣の腕が一枚も二枚も上手であることを実感する。

 相手は急所を狙う必要はない。ただ刃を体に当てさえすればいいのだから。

 その事がさらに相手を有利にさせる。

 

「まったく、ベルティリア兄程ではなくとも、もう少し真面目に剣術を習っておくべきだった」


 そう独り言つひとりごつ


 その時、外の廊下を遠くからいくつもの足音が近づいてくる音が聞こえだす。

 その事にイグルスは少し安堵し、暗殺者は焦りを生む。

 

 それは普段であればイグルスに有利に働いたであろう。

 だが、一つの不幸が生まれる。

 

 暗殺者と対峙しながら横に移動したイグルスは何かを踏みバランスを崩す。

 それは暗殺者が捨てたナイフ。

 

 その隙を逃すことなく暗殺者はナイフを一閃させる。


 咄嗟に身を守るために出た左腕に僅かな……ほんの僅かな赤い線が生まれる。

 

 それを確認した暗殺者の目が細まる様をイグルスは見る。

 その刹那、暗殺者はイグルスに背を向けると窓へと突進していく。

 そして窓を破り出て、すぐさま姿を消す。

 

 それと同時に十名近くの騎士が部屋に飛び込んでくる。

 その中にはファウント公爵が付けた騎士もいる。

 

「イグルス王子! 大丈夫ですか!」


 イグルスは喋ろうとして……舌がしびれつつあることに気付く。


「ナイフ……毒……公爵に……連絡……後は……任せる……」


 その中でも簡潔に伝えると、イグルスの意識は深い闇に落ちた。

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