第88話 ●「カード3」

 ――その日の夜


 ファウント公爵は、私室で一人、ワインを飲む。

 そのワインは公爵が飲むには少し似つかわしくは無い。


 一般市民でも少し無理をすれば買える程度の値段のワインだ。

 裕福な商人であれば、公爵のワインよりも高い物を飲んでいるだろう。


 もちろん、公爵家には目が眩むほどの高価なワインは何本もある。

 だがそれらは来客や宴の際に他者に公爵家の権力を見せつけるための道具でしかない。


 ファウント公爵は私生活ではどちらかと言うと質素(あくまでも貴族としては……だが)を好む。


 この私室も過度な芸術品は置かれてはいないが、職人たちの技術の高さを感じさせるような家具が幾つか置かれる。


 その私室の扉がノックされる。

 そしてファウント公爵が何も答えないにもかかわらず一人男が入ってくる。

 それは無遠慮といえるが、ファウント公爵は気にする様子もない。


 彼にとっては、それがいつもの事だからだ……


「それで爺、エルスティアという子をどう見た?」


 そう聞かれた爺――公爵家の執事であるロイドは少し考える。


「そうですな。一言で申し上げれば……『馬鹿』でしょうか?」


 その答えにファウント公爵は笑う。

 ひとしきり笑った後、再度ファウント公爵は口を開く。


「そうか、馬鹿か。なるほど、言い得て妙だな」

「はい、旦那様がお好きになるような馬鹿でございます」


「その馬鹿を利用する事は出来ると思うか?」

「……いいえ、難しいでしょうな。さすがは『番犬の子』

 こちらの考えなど容易く噛み砕いてまいります。

 旦那様も同じお考えでしょう?」


「あぁ、どうやらこちらの狙いを察したようでな。

 さっさと中座していきおったわ。

 まぁ、必要としていた言質げんちはプレゼントしてもらった感じかの」

「今回の手柄を自分一人のものという風にうそぶくようであれば今後も駒として使えましょうが……」


「まぁよい、とりあえずこちらと敵対しない。

 それが分かっただけでも十分だ」


 そう、バルクス伯が敵対しない。それが分かっただけでも十分なのだ。


 王家・公爵・侯爵にとって、バルクスという地は特別な意味を持つ。


 魔物の巣窟である魔陵の大森林を南に接し、亜人が治めるグエン領が西に接する云わば王国にとっての最重要防衛地点と言える。


 もちろんそれ以外にもどちらか一方と接する領はある。

 だが歴史上、魔陵の大森林からの魔物大規模襲撃はバルクス領からの侵入が殆どである。

(まぁ、他領はそれでも幾度も滅びているのだが……)


 その対抗手段として、バルクス領にシュタリア家を置く。

 それこそが最善策というのが公爵・侯爵家共通の認識であった。

 言ってしまえば、バルクス領にシュタリア家を置いてあるからこそ他の些事さじにかまけられるのであるが……


 シュタリア家はファウント公爵にとっても不思議な一家である。

 優秀な当主の排出率は、うらやましいを超えて異常ともいえる。


 王国の歴史上、記載があるだけでも四度。

 記載が無い物は数知れず、魔物大規模襲撃という亡国の危機に立たされた。


 だがそのタイミングを見計らうかのようにバルクス伯当主は優れた人材を輩出し、王国軍が到着する前に多大な犠牲を出しながらも魔物を食い止めていたのである。


 特に王国歴179年の戦いは、バルクス伯の全人口の三割を失ったと言われる程凄惨な戦いだったと言われている。

 その数々の活躍は英雄譚としても語られ、その雄姿を持って


『ルステリアがごとき誇り持ちし番犬』


 と呼ばれるわけであるが。


 だが、彼らに共通していたのはそれほどの能力を持ちながら外への野心を持っていなかった事であろう。


 現に彼らはその事件の後、家督を譲り歴史の表舞台からは消えている。

 中にはグエン領に移り住み、一族の娘と結婚し王となった。

 なんていうおとぎ話まで存在するほどである。


 そして、今回のエルスティアの活躍……

 過去のシュタリア家の偉人を彷彿ほうふつさせる。


 もちろん、エルスティアの父、レインフォードも何度も酒を酌み交わし話をした事があるが優秀な男だ。

 だがレインフォードの場合は、規格内の優秀さ、とでもいうのだろうか?


 けれど息子のエルスティアは仲間の力を借りたと言っているが、それでも十歳でアストロフォンを討伐するのは規格を外れている。


 直に彼にあったが、やはり今までのシュタリア家と同様、野心は薄い。

 もしくは余程うまく隠しているのか?


 ファウント公爵の脳裏に暗い影が差す。


 シュタリア家に規格外の人物が誕生する――――

 それは裏を返せば、王国に、いや世界に危機が迫っているのではないか?


 そしてそのトリガーの一つになりえるのは、今自分たちが行っている余りにも愚かしい後継者争いであろう。


 ファウント公爵自身、いや他の公爵家もそうだろう。

 後継者争いがここまで長期化するとは想像したものは皆無であったろう。


 公爵十四家が推す後継者が全て違うとは思っていなかったのだから。

 ようやくここにきて長男・次男・三男・長女に絞られてきたが、どこも頭一つ抜け出す。という状況にはなっていない。


 いや、そうなりかけた時、何故か派閥に問題が発生し対応している間にその機会を失っているのだ。

 まるで、神が出る杭を打つかのように……


 何者かによる介入も考慮したが、調査が後一歩というところで霧散する。

 ……すでにその何者かは貴族社会全体にはびこっているのでは……とバカバカしい事を考えさせるほどに。


 しかも、すでにどの派閥も後継者争いから降りる事は出来ない。

 それだけの資金、人材を投入しているのだから……

 誰もが今までベットした掛け金を取り戻そうと必死だ。


 だが、彼らも一歩間違えた時の王国の分割を恐れる。

 内乱は他国に漬け込む隙を与えるも同然だからだ。


 表立っての対立を避けるため、現状の後継者争いはどこも決定打を失い、暗礁に乗り上げてしまっている。


 今回の事件はその打開に使えるのでは?


 という思惑をファウント公爵が事前に潰した形となる。

 今回の事件はあまりに劇薬すぎるのだ。


 今回の事件の実害は確かにファウント公爵派のみだった。

 だが避難した生徒は有力とされる四派全ての支援貴族の子女がいたのだ。

 全ての派閥どころか、場合によってはガイエスブルクへの被害もあり得た。

 それは内部不信を招き、最悪は国を分かつほどに……


 それを回避する奇跡を起こしたのが、四派閥に属さない貴族と平民だったのは皮肉な話ではあるが……


「クラリス王女、か……」


 ふと公爵は、シュタリア家が支援する後継者争いから脱落した末姫を思い出す。

 幼き頃に一度会っただけだが、今でも意思の強そうな目を思い出す。

 現王の若かりし頃を彷彿とさせるような目だった。


 多くの貴族が、旨味のない支援を行う様をさかなにバルクス伯家を馬鹿にしている事は知っている。


 だが公爵・侯爵家は別の見方をする。

 クラリス王女の身の保証のため、シュタリア家が動いた。と

 野心無きシュタリア家が後継者争いに絡んでくる事自体が異例なのだから。


 シュタリア家自身にクラリス王女を王位にという力は無い。

 だが、番犬が支援するという事は公爵・侯爵はまず手出し出来ない。

 番犬を排除するなんて誰が出来るというのか?


 クラリス王女をどこかの貴族が排除でもしようとしたのだろう。

 現に数年間に渡り、身を隠していたという話も聞く。


 公爵自身は情報を入手していないので深読みしすぎの可能性もあるが……


「爺、エルスティア本人とレインフォード宛に感謝の品を送る用意を頼む」

「はい、かしこまりました」


 お辞儀をし、部屋を出ていくロイド


「さて、エルスティア……お主の登場が王国にとって吉となるか凶となるか。

 存分に見せてもらうぞ」


 ファウント公爵のこの思いが、将来、数奇な運命をたどる事をエルスティアは知る由もなかった。

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