第85話 ■「知恵を出し合おう」
十月になり秋も真っ盛り、木々も紅葉で色鮮やかになってきた。
ベルに真実を伝えて以降、暇があれば僕とベルは前世の技術についてじっくりと話し合うようになっていた。
そこで改めて感じるのはベルの習得力の速さと賢さ。
現代日本に生きてきていた僕にとっては当たり前すぎて上辺しか理解していなかったことを、別の見地から考察してくる。
それについてベルを褒めた際、クスクス笑われながら
「それって、エル様の魔法に対する取り組み方と同じじゃないですか」
と返され、なるほど確かにと思った。
僕には魔法、ベルにとっては前世の技術は知ることが無かったものだ。
それを知らなかった事の自覚……いわゆる『無知の知』というやつか?
それが思考の土台にあるからこそ、知る者……いや知っていると錯覚している者とは別の見地でそれを考える事が出来る。
その結果が今まで僕が生み出してきた魔法の数々だ。
前世に無かった魔法と技術がベルの中で交わった時、何が生まれ出るのかが楽しみですらある。
――――
「エル様は、神様からこの話を受けた際、自己強化では恐らく失敗すると思われたんですよね?」
ベルが僕が神様と会った時の話を始める。
まぁ、ただの雑談ではあるけれどね。
「そうだね。前世では一部で異世界転生っていうジャンルの読み物が流行っていたんだ」
「それって、今のエル様と同じような状況ですね」
「うんそうだね。そのジャンルで主流だったのが自分に対してのチート……自己強化だったんだ」
そう、前世ではアニメでも少しずつではあったけれど異世界転生物が増えだした時期だった。
「なるほど……わかりました。
そのジャンルが浸透している場合、転生者はまずは自己強化を選びかねない。
ただ自己強化は最終的には普遍的……いずれテンプレ化してしまう。
それでクリア出来る事を神様が意図するか?という事ですね。
自己強化はどれだけ強力でも行使できる
同時多発的な物事への対応が出来ませんから」
「うん、僕も同じ考えだよ。だから自己ではなく人類全体としての強化を
目指したほうがいいんじゃないか? って考えたのさ」
「そうですね。私もその方がいいような気がします」
いやぁベルは賢いから楽でいい。一を聞いて十を知るというやつだ。
「その場合、国家もしくは王国内部での問題発生の可能性がありますね。
としますとやはり政に長けた人材の所在確認が急務かもしれませんね」
ベルには既に統率に優れた人材は、リスティだろう事は伝えている。
ベル自身もほぼ間違いないだろうと太鼓判を押してくれている。
もし能力を持っているとしたら同い年なわけだけど、王立学校はほぼ一通り見ていないと目星はつけている。
やっぱりバルクスに帰ってから出会う運命なのかもしれない。
……そうして僕達は議論を進める。
まずは僕が進める農業改革について――――
「農業改革についてなのですが……ノーフォーク農法は難しいかと」
「えっ? そうなの? まいったなぁ」
ノーフォーク農法、いわゆる輪作というやつは転生物だと農業改革の筆頭とも言っていい方法だ。
だから僕も単純にノーフォーク農法を導入すればいいや位に考えていた出鼻をくじかれた感じだ。
「あ、いえ、いずれの導入であれば問題はありません。
幾つかの問題点でバルクス伯の体力として考えますと
「ふむ、というと?」
「まずは資料によりますと四輪、例としては『オオムギ→クローバー→コムギ→カブ』を一年ごとのローテーションで植えるとあります。
クローバーの代わりにそれ以外の栽培牧草を、カブの代わり家畜飼料としてジャガイモを生産したともあります」
「ふむふむ」
話には出たけれど、実際にはこの世界にはジャガイモは存在しない。
うん、いつか神様にお願いするからそれまでは辛抱だ。
「最初の問題は導入時、一時的とはいえ農民の収入が見た目では減少する事です」
「うん? なんで?」
「現状、自分の土地を
これは土地:百をオオムギ:三十三、コムギ:三十三、休耕:三十三と割り振る事になる。
その場合、順調に収穫できれば六十六の収穫がある事になる。
特に麦類は土地に対してかなり多めの収穫を見込むことが出来る。
だからこそ主食として定着しているんだけどね。
「それに対してノーフォーク農法は
その場合、主食となるオオムギ・コムギの収穫量が減る事になります」
つまりは土地:百をオオムギ:二十五、コムギ:二十五、クローバー:二十五、カブ:二十五に割り振る事になる。
とすると主食の収穫量は五十となり十六の収穫量が減る事になる。
「けど、クローバーは春から秋にかけての家畜の飼料、カブやジャガイモを冬場の飼料とすれば家畜の量を増やせるというのが利点だったよね」
そう、現状の三圃式は冬場の家畜の飼料確保が出来ないのだ。
なので冬が近づけば家畜は適正な数まで
殺された家畜の一部は保存食や革として有効活用されるけれど、あくまでも農耕家畜であって食料家畜としての価値は低くなる。
その結果、家畜の数は増えずに、労働力としても微増を維持となる。
ノーフォーク農法が取り入れられた理由の一つが農耕家畜の冬季の飼料確保だ。
農耕家畜が増えればそれは耕作面積を増やすことに繋がる。
それは収穫量の増加に直結するのだ。
「もちろん、その利点はわかります。
ですが農民にとっては将来の投資よりも、今の食い
「つまりは、導入時は減税もしくは何らかの補償ありきという事かな?」
「はい、エル様はいずれ伯爵になられますから。そう決断する権限があります。
ですが……」
「現状のバルクス伯の収入を考えると現実的ではないという事だね」
そう、どんなに良い制度でも転換期を耐えきれる体力が必要となる。
贔屓目に見てもいまのバルクス伯にはその体力は無い。
「それ以外にも土地の権利問題があります」
「土地の権利?」
「バルクス伯に限りませんが農民の多くは『混在地制』をとっています」
混在地制と言うのは農地を農民の共有財産として管理し農民に細かく管理させる制度になる。
ここで問題になるのが土地の肥沃度で不平不満が出ないようにするために土地が相互に複雑に入り組んでしまう事になる。
例えば、Aさんの土地の中にぽつりとBさんの土地が内包されているってことはざらにある。
ノーフォーク農法の様な高度農法をする場合、土地が点在しているのはメリットを潰すことになってしまう。
「ノーフォーク農法を行うには区画整理する『囲い込み』が必須です。
ですが、バルクス伯は農地と農民のバランスが悪く囲い込みを行うと多くの農民が職を失う事になります。
そう言った人達の不満はバルクス伯にとっては問題となりますから」
「そうか、最悪反乱を起こされるか。
うーん、そうすると農業改革は難しいのかな?」
僕は頭を悩ませる。内政の充実と安定が無ければ軍の強化は難しい。
『富国』無くして『強兵』は成り立たないのだから。
「いえ、そんなことはありません。
確かに三圃式を導入していますが、若干異なる部分があるんです」
「と、いうと?」
「えっと、この世界では家畜の排せつ物が肥料になるという発想が無いんです。
休耕というのは本当にただ放置している。と言っていいんです」
「えっ? そうなの? じゃぁどうやって地力を回復させているの?」
「魔法ですね。土地の地力を回復させる魔法が一般魔法にあるんです。
ですけどその魔法を行使してもらうのはかなりお金がかかってしまう。
資金力のない多くの農家は放置による僅かな地力回復のみになります。
ですから年が経つほどにどんどん収穫量が落ちていくことになります。
それでさらに魔法行使のお金が払えないという悪循環に陥るんです」
なるほど、魔法がある事による科学発展が遅れている弊害か。
土地が痩せ収穫量が落ちるからさらに農民を投入してどうにかしようとする。
そこで農地と農民のアンバランスも発生しているのか。
「という事はまず目指すのは休耕地の有効活用による収穫量の安定かな?」
「はい、収穫量が安定すれば不要な農民が増えます。
溢れた農民に伯爵家主導で区画整備した農地を与え『囲い込み』を実施すればいずれはノーフォーク農法への転換もスムーズになります。
区画整備を行う農地はアインズ川流域にまだ余るほどありますし」
以前、アインズの丘に行った際に見たアインズ川流域に広がる手つかずの土地を思い出す。
魔物や賊の危険性を考えると農民だけで開拓する事は難しいだろう。
だからこそ伯爵家主導というわけだ。
お金はかかるだろうけれどそれは将来、何倍にもなって帰ってくる。
「休耕地の有効活用は今からでも始めたほうがよさそうだね。
父さんに詳細を伝えようと思うんだ。手伝ってくれるかい?」
「はい、もちろんです。エル様」
問いかける僕にベルは笑顔で返す。
今まで一人で考えていた時に比べて、物事が大きく動き出した。
そう感じながら――
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