第84話 ■「ベルの誇り」

「ベル、今から少し話いいかな?」


 夕食後、リスティやバインズ先生たちが帰宅した後のベルに声を掛ける。


「はい、大丈夫ですエル様」


 そう言いながらベルは僕のためにお茶を淹れだす。

 結局、貴族になってもベルにとって、お茶を淹れる事は習慣になっていた。

 ベルが入れたのが温度、濃さともに僕が一番好きな状態なんだよね。


 そして僕と自分のお茶を机に置いて対面に座る。

 出会った頃であれば僕の対面に自然と座るなんて出来ただろうか?


 そうか……もう出会って三年以上経つんだよね……

 短いような長いような複雑な感じだ。


 淹れてくれたお茶を一口、うん、美味しい。


「それで、お話と言うのはなんですか?」


 そう言われて、さて、どう切り出すか? に改めて悩む。


 レスガイアさんに話したときは、あちらから話を振ってもらったから話すきっかけとしては楽だった。


「エル様?」


 悩む僕にベルが再度尋ねてくる。

 うん! もう、なるようになれだ!


「ベルはもし、もし僕が前世の……別世界に生きていた頃の記憶を持っているって言ったら信じる?」

「はい、信じます」


 ………………あれ? いま信じるって即答した?


「あれ? おかしいな? いま信じるって言われた気が」

「はい、そう言いました」


「え? なんで? なんで信じられるの?」


 このやり取りをもし傍目から見ていたらとても滑稽こっけいだっただろう。

 僕の言葉を信じると言ってくれた事に僕が混乱しているのだから。


「なぜ信じられるのかと聞かれたら……エル様だから。でしょうか?」


 ベルからはそんな答えになっていない答えが返ってくる。

 それは僕に対する絶対的な信頼。いや下手をすれば依存だ。


 けれどベルが言うと「あれ? そうなのかも?」を思わせる。


 ベルはかたわらに置いていた本を持ち上げる。


 それは新しく読み始めた農業に関しての本

 先日の市場でのやりとりを受けて読みだしたものだ。


「この本。いいえ、この本だけではなく今までの本全て……写本が存在しませんでした。

 活版印刷と呼ばれる技術ですよね?」


 そう、この世界には活版印刷技術はまだ存在しない。

 この世界に存在するすべての本は原本もしくはそれを写した写本だ。

 つまりは原本も含めて全て手書きという事になる。


「それにページ途中に差し込まれるあまりに精巧な絵……いえ、写真でしたか。

 すごい技術です。この世界にはない程に……」


 そう、この世界には活版印刷技術すらないのだ。

 それよりもさらに時代が必要となる写真なんてあるはずもない。


「それに時々でてくる『西暦』『昭和』『平成』といった年号らしきもの王国歴以前にも他国にも存在していません。それに……」

「あー、ストップ、ストップ、降参だよベル」


 うん、ギフト持ちのベルを甘く見ていた。


「そんなにおかしいという思いがあったのに何で今まで言わなかったの?」


 そう、それは疑問。

 人間であればそれだけの分からない事があれば、『不信』『疑念』という感情が浮かんでもおかしくないはず。


「そうですね……ひとつは、私自身のもっと知りたいという欲求が優先されたからでしょうか?」

「あー、なるほど」


 そうだった。ベルはこう見えても知識欲求ヲタクと言ってもよかった。


「もう一つは……」

「もう一つは?」


 ベルは僕の問いかけに、微笑む。


「こうして、エル様からいつか話してくれると。信じてましたから」


 その答えに僕の頬が熱くなる感覚を感じる。

 いやぁ、その信頼が重いよ。けれど嫌な感情ではない。


 うん、であれば僕の話をベルは与太話としてではなく聞いてくれるだろう


 ――そして、僕は話し出す。


 レスガイアさんに話した時と同じような話を。

 それをベルは真剣に、でも黙ったまま聞いてくれる。


「……という事なんだ」

「えっと、つまり私が夢で見たお爺さんと言うのが神様だったという事でしょうか?」


「多分そうだろうね。うん、次の十五歳になった時に会ってみる?」

「会ってみたいような。見たくないような複雑な気持ちですね。

 ……ですが、一つだけ言える事は……」

「うん?」

「私の力がエル様のお役に立てるという事ですよね?」


 僕に向けるのは真剣なまなざし。


「うん、もちろん。君の力は僕が求めたものなんだから」


 それに僕は真剣に答える。

 それを聞いたベルは微笑みながらもボロボロと涙を流し始める。


「よかった……本当に良かった……私はエル様のお役に立てるのですね。

 ずっと不安だったんです。

 平民でしかなかった私をエリザベート様のご厚意でこうして学校に通い、様々な事を学ぶ機会をいただけました。


 でも、そのご厚意に私は何も……何も返せていないんじゃないかって」


 それはベルから初めて聞く本心。


 ベルは優しい子だ。

 親しい人から貰った厚意に報いようと悩み、傷つく程に……


「私はリスティのように戦場でお役にたつことはできません。

 アインツ君やユスティ、メイリアのように戦闘でお役に立つことはできません。


 私はただ、本から知識を得る。それしか出来ない。

 エル様のお役に立つことが出来ない。

 そんな私がエル様のお傍にいてもいいのか。ずっと不安でした……」


 そして、ベルは自分を過小評価する。


 僕がこれまでどれだけベルの言葉に、行動に助けられただろうか。

 けれど、彼女にただそれを伝えても僕の慰めとしかとらえないだろう。

 だから伝える。明確な言葉で。


「そんなことないよ。ベルは僕が神様にお願いした、僕が必要としている『ギフト』を持っているんだ。

 ううん、ベルのたゆまぬ努力が無ければ『ギフト』も意味が無い。

 だからこそ僕はベルに感謝しているんだ。


 これからも、僕のためにその力を発揮してもらわないと困るからね」

「……はい、はい、もちろんです。

 イザベル・メルはこの力、生涯を賭してお役に立たせていただきます」


 ……うん、いまの言葉は聞きようによっては告白っぽいね。

 ……まぁ黙っておこう。ベルの気持ちは十分に分かったのだから。


「うん、それじゃこれからもどんどん知識を得てもらうからね。覚悟しておいてよ」

「はい! もちろんです!この力は私の『誇り』なのですから」


 そしてベルは笑う。僕が大好きな笑顔で……


 ――――


 イザベル・ピアンツ・メル


 後に変わった名前が一般に知られているが、歴史上初めて記載されたのは上記の名前だろう。


 エルへの宣言通り、彼女は生涯を賭して数多の技術・技法を発明する。

 彼女の「エルスティアのため」という原動力は、本人の立場が変わっても生涯において一度も揺らぐことは無かった。


 そしてその功績は「百年程の生涯で技術水準を千年早めた」とも称される。


 一方で数多の武器・兵器を生み出したことも事実である。

 それを持って「殺人兵器を生み出した魔女」と称す歴史家も存在した。

 それは歴史においては事実の一端、イザベルは否定しないだろう。


 だが歴史家は……いや批評家もだが、知らない、気づかない――

 彼女の生み出した技術によって、今自分たちが生き延びている事を。

 生き延びられた自分達が、その理由の一端を批判している事実を。


 得てして歴史家とはそんなものである事を……

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