第66話 ■「汚物(レザーリア)」

「エル、今日は俺の師匠の所に行こうと思うんだが、一緒に来るか?」


 ある日の休日、訓練が終わった後にバインズ先生に誘われる。


「付いて行ってもいいのであれば、ぜひ」


 バインズ先生の師匠か、どんな人なんだろう。興味がある。

 元騎士団の師匠であれば、同じように元騎士団の人なんだろうか?


「そうか、ガイエスブルクから一時間ほど西に行ったところにある村に住んでいるから、そこまでついて来てもらうぞ」

「はい、わかりました」


 そういえば、都市の東側は王立学校や中央騎士団寄宿舎、訓練場があるから頻繁に来ていたけれど西側ってほぼ行った事がなかった。

 どんな感じなんだろう?


 こうして、僕とバインズ先生は二人でバインズ先生の師匠の元に向かう。

 ベルやリスティについては、今回は僕だけという事で不参加だ。

 遠出する際には僕の伯家から馬車を出すことが多いんだけれど、バインズ先生のたっての希望でアルク男爵家の馬車で行くことになった。

 何か理由があるのだろうか?


 高級住宅街を抜け一般人が住むだろう住宅街を抜けると東側には無かった巨大な壁が見えてくる。


「先生、あの壁は何ですか?」

「そうだな、このガイエスブルクの暗部……と言ったほうがいいかもな」

「暗部……」


 そして僕達は、門番の厳重な確認(これでも男爵紋があるから軽いらしい)

 を受けて、門を越える。

 その門は今までの穏やかな風景を一変させる境界線のようだった。


 今までの多色の風景から目の前に広がる風景の印象は灰色一色に変わる。

 道ともいえるかどうかも分からない、でこぼこの道の両サイドには、今にも崩れそうな灰色の布で出来た掘っ立て小屋が延々と続く。


 扉は無く中も丸見えだ。そもそも盗まれそうなものすらない。

 ただ、雨風をしのぐための場所でしかない。


 発展途上国や戦争避難民の映像にでてくるような住居よりももっとひどい。

 ショッキング過ぎない様にそんな風景を映さないだけかもしれないけれど。


 人通りは多いが、皆、ぼろきれのような服を着ている。

 この十二月の寒空の中、ほぼなにも着ていないような人もいる。


 日もまだ高いにも関わらず、何らかの仕事をしている風でもない。

 いや、こんなところでどんな仕事をするのか考えつかない。


 所々で道の脇に寝転がっている人は、良く見ると事切れた後にただ打ち捨てられている遺体も混ざっている。

 しかしそれを気にする者はいない。それが日常なのだ。


 衛生なんて全く考慮されていないだろう。

 漂う空気は今までいだこともないえた匂いが充満する。


 僕達の馬車が横を過ぎる際には生気のない目が向けられる。

 そこに混ざるのは、恐怖心?


「先生。これって……」

「ここが、ガイエスブルクにおいて最下層の平民が暮らす……いや、隔離されている『汚物レザーリア』と呼ばれる場所だ。

 本当は師匠の所に行くのであればここを通る必要はなかったんだが、いずれ伯爵公子となるお前には現実として見せておこうと思ってな」


 ここを見て、ガイエスブルクに初めて着いた時、下級平民区のスペースが思っていたより狭かったことに合点がいく。


 僕が今まで見ていた下級平民区は成功した下級平民。

 つまりは、商人を主体とした者達の居住区だったわけだ。


 そしてこの王都において負け組とされる人たちは、この広大な壁で囲われた場所に隔離され、王都を訪れた人間、いや、自分たち権力者の目に入らない様にしていたのだ。


「こんなところは上級貴族はめったに来ない……いや、来る貴族たちの目的は『人間狩り』の為だ」

「『人間狩り』ってまさか?」

「恐らく、エルの考えている通りだ、いやもっと醜いかもしれない。

 遊びで人間を狩るんだよ。まるでウサギやキツネを狩るようにな。

 それに抵抗する術は彼らには無い。

 当たり前だ、抵抗しても反逆罪でどちらにしろ死刑になる。

 ただ、掘っ立て小屋の中で震えながら台風が過ぎるのを待つしかない」


 いやぁ、色々な小説で貴族の蛮行が書かれたものはあった。

 ただ、さすがに現実問題でそんなことをする奴はいないだろ。と思っていた。


 まさか、この世界に実際いるとは「現実は小説より奇なり」ってことか?


「このレザーリアの住民は上級貴族を恐れる。

 また、自分たちを遊びのために殺しに来た。とな。

 だから、今回はお前の家の馬車は使えなかった。


 住民にとってバルクス伯家は未知の存在だ。

 未知の存在は人に不安感・恐怖感を抱かせる。


 アルク男爵家であれば、多少なりとも俺の名前は知られている。

 だから問題にならないのさ」


「なるほど、そう言う事ですか。

 同じような理由でベルとリスティの同行を拒否したんですか?

 これだけ治安が悪ければ貴族の子女なんて何されるか分かりませんし」


「それもあるが、あの二人にはこの風景はショックが大きすぎるだろ?

 お前であれば、ショックは受けても冷静に受け止めると考えてな」

「確かに、ショックではありますね。

 エルスリードは確かに王都に比べれば貧しい街ですがここまで格差は無い。

 そもそも此処の人たちは人として扱われていない」


「ああ、だが此処の人に施しをとかは考えるな。

 此処には何千・何万の人間がいる。

 一人に施しをすれば、それ以外の人間は不公平感を感じる。

 その感情はいずれ恨みとなってその施された一人に向かう。

 助けるには全員に平等に。だ。そんなうまい話はあるはずがない。

 お前は現実を見、そしてその現実は根が深い事を知っておいてくれ」

「はい、わかりました」


 馬車は淡々とレザーリアを過ぎ、王国の外へと続く門にたどり着く。

 そこでも厳重な確認を受けた後に門が開かれ、再び色づく風景を目にする。


 僕はこの日、初めてこの世界の暗部のごく一部を目にしたのであった。

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