第40話 ■「伯爵と男爵」

 ベルに入れてもらったお茶を飲みながらポケッとする事、三十分。

 扉がノックされ、僕が答えると扉が開く。


 衛士に案内されて三十代前半の女性と僕と同じくらいの女の子がいた。


 女性の髪は目が覚めるほど燃えるような赤。

 女の子も同じような赤髪だからおそらく女性の子供だろう。

 しかも両目が赤色と黒色のいわゆるオッドアイという珍しさだ。


「なっ!」


 急にバインズ先生が声を上げる。

 その声に驚いた様子もなく女性は気品よくお辞儀をする。


「エルスティア様、お初にお目にかかります。

 メルシー・アルク・ルードと申します。

 こちらは末娘のリスティア・アルク・ルードと申します」


 メルシーと名乗った女性の紹介にあわせてリスティアと呼ばれた女の子もお辞儀をする。


「初めまして。エルスティア・バルクス・シュタリアと申します。

 ……あれ? アルク・ルード? どこかで聞いたような?」

「エルスティア伯爵公子、それはそうです。私の名前ですから」


 記憶をたどっていた僕にバインズ先生が答える。

 うん?敬語?


「メルシー、お前が伯爵公子をここで待つようにお願いしていたって事か?」

「はい、そうですわ。伯爵公子には申し訳ありません。

 夫が、ご迷惑をかけていないかがとても心配でしたので……」


「あのなぁメルシー、男爵家が伯爵家を待たせるなんて前代未聞だぞ……

 ……申し訳ありませんエルスティア伯爵公子

 我が妻メルシーは元々平民の出ゆえ、

 貴族としての礼儀に至らぬところがございます。

 今回の無礼、ご容赦いただければ……」


 普段のバインズ先生とは打って変わって男爵家当主として謝罪をする。


 僕とバインズ先生は、先生と弟子であることは間違いない。

 普段であれば十分それで問題ない。


 だけど今、バインズ先生は伯爵家と男爵家として接してくる、

 これに対してはちゃんと礼節を以て応じる必要がある。


「アルク男爵夫人の行為、バルクス伯爵公子として謝罪を以て許す」


 その一言に、バインズ先生は謝礼で返す。

 メルシーさんも今までのやり取りで本来まずい行為をした事を理解し、同じく謝礼を返す。


「衛士の方、ここまでのお二方の案内ご苦労でした。

 下がってもらっても結構です」

「はっ、それでは失礼させていただきます。

 何かございましたらそちらのベルでお呼びください」


 僕の退出許可を得て、一礼して衛士は部屋から出ていく。

 そこで僕は一呼吸置く。

 今ので伯爵家と男爵家としてのやり取りは終了だ。


 そこで誰かの視線に気づく。

 うん? なんだかリスティアという女の子から睨まれたような?

 もう一度、リスティアのほうを見たけれど、その時には普通の顔になっていた。

 ……気のせいだったかな?


「それにしてもバインズ先生が結婚しているなんて知りませんでしたよ。

 しかもこんな可愛らしいお子様までいるなんて」

「あのな、エル。俺だって三十七だぞ子供の一人や二人はいる。

 お前の剣術訓練が終われば、どういう形にしろガイエスブルクに

 戻ってくる事になるからな。だから単身でバルクスに行ってたのさ」

「なるほど、そうだ、改めて自己紹介を。

 僕は、エルスティア・バルクス・シュタリア伯爵公子です。

 そして彼女はイザベル・ピアンツ・メル男爵公女です」

「初めまして。イザベル・ピ、ピアンツ・メルです」


 ベルは言い慣れてないから少し噛み気味に自己紹介をする。


「この度の無礼お許しを。メルシー・アルク・ルードと申します」

「よろしくお願いします。

 メルシーさん、バインズ先生にはとてもお世話になってます」

「そう言っていただけると。安心します」

「これからもよろしくお願いしますね。

 それでバインズ先生、今日はこれからどうされます?」

「すまんが、家の状況が気になるから一旦戻っても問題ないか?」

「はい、問題ないですよ。それではまた明日合流するという事で?」

「あぁ、それでいい」


 ということで、バインズ先生とは明日のスケジュールのすり合わせをした後、別れる。

 僕とベルは控えていた衛士の人の案内でバルクス伯館へと向かう事にした。


 ……ふぅ、さすがに疲れたからお風呂に入ったら寝たいもんだ……


 ――――


 一年ぶりに帰ってきたガイエスブルクは、ほとんど変わっていなかった。

 まぁ、一年で見違えるほど変わるなんてそうそうないが。


 アルク男爵家も旅立つ前とほとんど変わっていない。

 だからこそホッとできる。

 この家での俺の指定席である椅子に座り大きく息を吐く。


 そこにリスティがやってくるが、どうもご機嫌が悪い。


「どうした? リスティ。機嫌が悪いな?」

「お父様、あのエルスティアという少年は何なんですか!

 伯爵公子なのは分かります。

 でも私と同い年なのにお父様にあのような大きな態度で接するなんて!」


 その娘の怒りに逆に俺は、エルに悪者の役目を押し付けちまったな。

 と反省する。


「リスティ、悪いがむしろエルのあの発言のおかげで俺たちは助かっているんだ」

「え? それはどういう?」

「あの場には誰がいた?」

「あの場……お父様、お母様、私、エルスティア伯爵公子、それとイザベル男爵公女……ですか?」

「いや、もう一人いたはずだ」

「もう一人……、あっ衛士!」


 そこで俺は、お茶を一度すする。

 本当は、ワインでも飲みたいところだが帰ってきたばかりだから我慢だな。


「ああ、そうだ、あの場には第三者の衛士がいた。

 もし衛士がいなければ、俺が『すまん』と謝ればエルは

 『別にかまいませんよ』と言っただろうな。

 伯爵公子とはいえ、そこらへんにエルはこだわりはないからな」


 それを聞きながらリスティは考え込んでいる。

 この子は聡い子だ。おそらく結論は出ているだろうが、改めて俺は口にする。


「だが、あの場で俺が男爵家当主として伯爵公子に謝罪しなければ

 それを見ていた衛士はどう判断したと思う?

 上位の爵位である伯爵家を自分達の都合で足止めした。

 アルク男爵家はバルクス伯爵家を軽んじている。と見るだろうな。


 逆に言えばバルクス伯爵家は男爵家にすら軽くみられるような家なんだと……

 リスティも知っていると思うが貴族社会は常に

 他家をおとしめようという風潮がある。

 特にマイナスイメージの話は一気に拡散するだろう。

 あの衛士から漏れるという確証はないが、逆に漏れないという確証もない。

 だからこそ、エルは男爵家当主からの謝罪に対して、

 伯爵家として不問にすると宣言したんだ」


 それを聞きながらリスティは次第に泣きそうな顔になる。

 少し言い過ぎただろうか?

 いや、貴族社会ではちょっとしたことが命取りになる。


 正直に正確に伝えておく必要がある。


「お父様、私、どうしよう……」

「うん? なにがだ?」

「そんなこともわからずに私、伯爵公子の事、にらんでしまった」


 なるほど、この子なりに父親への扱いが許せずに態度に出てしまったのだろう。


「リスティはそれについて謝りたいのか?」

「……うん、許してもらえるかどうかわからないけど、

 でも謝らないといけないと思う」

「よし! ならば明日父さんと一緒についてこい。一緒に謝ってやる」

「え、でもこれは私のせいだから……」


 俺はそう言うリスティの頭を撫でてやる。この子は聡い。

 そして優しい子だ。


 まったく、レインフォードの事を親バカだと思っていたが、俺も相当らしいな。


「エルの事だ。お前だけが謝ったら逆に恐縮してしまう。

 ならば俺も一緒に謝れば笑って許してくれるさ。

 それに、お前もエルやベルと同じ学校に入るんだ。

 お互いギクシャクしたままとか嫌だろ」

「お父様、うん、ありがとう」


 礼を言うリスティに俺は笑いかけ


「それよりもだ。リスティ、久しぶりに会ったんだぞ」


 と両手を広げる。

 それを見たリスティはやっと笑顔になって俺の懐に飛び込んでくる。


「お帰りなさい! お父様! ずっと会いたかった」


 俺にとって最高の言葉をくれる。あぁ、帰ってきた。


 そうしてやっとバインズは実感するのであった。

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