第31話 ■「青き花野に別れ告げ」

 三日後、エルスリードの北門にクリスの出発を見送るために僕たちはいた。


 クリスのたっての希望で集まったのは近しいメンバーだけ。

 父さん、母さん、ファンナさん、バインズ先生、アリシャ、リリィ、ベル、そして僕だ。


 クリスは各々に別れの挨拶をしていく。


 父さんと母さんとは、三日前とは打って変わってまるで家族のように笑いあう。


 ファンナさんとは、産まれたてのルークの頭を優しくなでながら笑いそして、ファンナさんに言われて恐る恐るルークを抱きかかえる。

 

 その顔は七歳ながら、母親の様な安らいだ笑顔だ。


 バインズ先生にとっては、僕の次の弟子との別れになる。

 クリスは青色の魔石が埋め込まれたタリスマンを貰い大事そうに両手に抱え、感謝を告げる。


 アリシャとリリィに両足に泣き付かれて困ったような、でも嬉しそうに二人の頭を撫でる。

 そして、下に引っ張られて屈みこむと二人から両頬にキスしてもらい嬉しそうに二人を抱きしめる。


 そして……


「クリス、必ずいつか……かならず……」


 その後の言葉が続かず涙するベルをクリスはそっと抱きしめる。

 ベルは最初は少し驚いた様子だったが、ベルも後ろに手を回して抱きしめあう。


「ありがとうベル。あなたが友達になってくれて本当にうれしかった。

 私の事をただの女の子として接してくれる数少ない本当の友達……」


(だから覚えておいてほしいの。私の本当の名前を、私の名は……)


 ベルの耳元でそっと呟くクリス。それに驚いたように大きく目を見開くベル。


「そ、そんな、お……」


 声を発しようとしたベルの唇にクリスはそっと人差し指を当てる。


「ベル、これは私の大切なとの秘密よ」


 とお茶目にウィンクをする。それにベルは一瞬ほうけた後、クスクス笑いだす。


「うん、そうだね。クリス。これは私とクリス……大切なとの秘密。

 いつかまた、必ず会いましょう」

「うん、必ず」


 そう言って再び抱きしめあい。そして静かに涙する。

 一通り泣きあった後、どちらからともなく離れ


「バイバイ、またねクリス」

「バイバイ、またねベル」


 と何時もクリスが帰るときのように満面の笑顔で挨拶を交わす。


 そして、最後にクリスは僕のところにやって来る。


「エル、前も言ったけれどこの三年間は私にとって本当に幸せな日々だった。

 エルが友達になってくれて本当に嬉しかった。この感謝はどんな言葉でも言い表せない。

 アインズの丘での誓いが叶うことを願っています。本当に……」


 僕よりも少し身長が高く、本当は泣き虫で、でも今日のこの日まで僕とベル以外には涙を見せたこともなかった女の子。


 僕の最初の親友であり、そして、初めて好きになった女の子。

 許されるなら引き留めたい。けれどそれは彼女を困らせてしまう。

 そんな葛藤がこの三日間ずっと続いていた。


 けどこうして最後の言葉を交わしても改めて感じる。彼女は誇り高き女の子だ。

 彼女にとってここでの生活は非常に楽しかったことは、ひしひしと伝わる。

 けれど、一度としてここに残りたいと言わない彼女。

 その彼女の決意を僕が否定することはできない。


「僕も、クリスと過ごしたこの三年間はとても楽しかったよ。

 いつかまた、必ず会おう…………『大好きだよ』」


 最後はこの世界の誰一人として理解できない言葉日本語

 旅立つ彼女には伝えてはいけない言葉。

 それでも僕は言葉として想いを出しておきたかった。


「え? 最後は何て言ったの?」

「秘密だよ。いつかまた再会したときに教えてあげるよ」


 そう言って僕は笑う。


「もう、何よそれ」


 それにつられてクリスも笑う。それだけで十分だった。


 ――――


 クリスを乗せた馬車は動き出す。


 その後をしばらく双子の姉妹とベルが追いかけてきていたが、馬車のスピードが乗ると徐々に遠くなり見えなくなった。


 今見ることができるのはこの季節に見頃を迎え、平原を青色に染める「ミスティア」の花。

 この花はバルクス領の固有種でありバルクス伯爵家の家紋の一部である。

 バルクス領を抜ければ見ることが出来なくなる。


 クリスには分かっていた。


 どれだけエルやベル達と再会を誓い合っても恐らくそれは叶わないと。

 アインズの木の伝説をベルから聞いた際には、それにすがってしまったけれど。

 いや、伝説が成就して再会したとしてもその時は今とは立場が違うだろう。


 それでも願わずにはいられなかった。

 それほどまでに三年に満たないここでの暮らしは彼女にとってこれからの人生の中でも代えがたい、おそらく最良な思い出だ。


 自分のために泣いてくれる親友ができた、優しい家族ができた、そして……好きな人ができた。

 八歳にも満たないこの恋心を、大人たちは幼少期の可愛らしい恋と言うだろう。

 それでも彼女にとっては、好きな人と過ごす日々は至高であった。


 中央にいた頃、これほど笑い・怒り・泣いたことは無かった。

 おそらくこれからも……その中心にいたのはいつも彼だった。


 その思いを胸に彼女はこれから生きていく必要がある。

 しかも下手をすれば自身の命を失いかねないほどの人生を。


 だけれどこの思い出があれば頑張れる。そう彼女は信じていた。


 知れず頬を涙が伝う。

 それを彼女はまず止めようとして……それが無理である事を知る。

 止めどなく流れる涙をとがめる者は誰もいない。

 彼女は涙が流れるに任せるのだった。

 その彼女をミスティアの香りが優しく包んでいた。


 ――――


 昔からエルスリードから旅立つものは危険と隣り合わせであった。

 実際、この北門から旅立った多くの旅人は道半ばでモンスターに殺された。賊に殺された。

 生きて帰ってくる者がほとんどいない時代もあった。


 そして人々はミスティアの花に思いを込め北門から中央へと続く道の横に広がる平原に植えていった。

 何時しかそれは人々の思いを受け止めたかのように広く自生する。


 そして多くの者が旅立つ秋頃に平原を全て青色に染めるまでになり、観光の名所となった。

 人々はその風景に見惚れ、そしてミスティアの花からの優しい香りに癒された。


 人々の思いを込めたミスティアの花言葉。それは――『再会・約束』――

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