ショート・ショート

柊 魚月

六月の餞

新緑の木々がまぶしくて、思わず目をそらしたくなるほどだった。

僕たちは小さいころからずっとこの場所で過ごしてきた。見慣れた風景、見慣れた初夏の景色、ただそれだけだと思っていた。

暑いねってつぶやく君が手を握ってくる。僕はそれに答えるように赤ん坊のように手を握り返す。愛情を含んだそのぬくもりで、じっとりと手は汗ばんだ。君の手は少し冷たくも感じた。

初夏ではまだまだ暑さは本番じゃないし、蝉も鳴かない。じーんと焼け付く日差しを感じながら、見慣れた風景を歩いていく。街路樹は少しの風でもさわさわと揺れていた。

この道を通るのは何回目だろう?君も僕も同じことを考えてると思う。でも何も答えない。近くにある商店に日用品を買いに行くだけの道のりだ。舗装もされていてそれなりに景観もいい道なのに、なかなか人通りが少ない。町おこしに取り残された場所と言ってもよかった。僕たちにはありがたくもあり通り慣れた道だ。人里離れているということが、こんなに不便というものはない。舗装されているだけでありがたいのだ。

君の手のひらの体温を享受して、溶け合ってひとつになってしまいそうだった。ずくずくに蕩ける熱でどちらがもはや熱いのか冷たいのかもわからない。それでも君は手を離そうとしない。僕よりも頭一つ小さいその表情をうかがうこともできない。笑ってるの?怒ってる?不機嫌になってないかな、何か悩んでないかな。何度ここを歩いても、君の表情を伺い知れたことはない。水色のワンピースにふわりと身を包んだ君の、まとめた髪の毛の間から垣間見えるうなじしか確認できずにいる。

通り慣れた道、歩きなれた風景、まぶしい緑は何度季節を超えてもまたこの季節になると変わらずやってくる。普遍的な日常が愛しくて、思わずそのすべてを抱きしめたくなってしまう。

商店まではあとすぐそばだ。昔ながらの木造の商店は、日用品や食料品までなんでも取り揃えており、老夫婦で切り盛りしている。夏になるとかき氷も販売していて、よく見る「氷」の暖簾が飾られる。それを見るともう夏だなと実感することができて僕は好きだ。さすがにまだまだ6月上旬、暖簾は飾られてはいなかった。

老夫婦はいつもおばあさんが表に座っていて、おじいさんは奥にある部屋でゆっくりとしている。何かテレビをいつも見ているようだった。今日は政治家の不正のワイドショーの音声が聞こえてくる。君はいつも先にずいとお店に入ってから、必要なものを一人で見に行く。おばあさんは僕の顔を見て「いらっしゃい」と笑顔で呼んでくれる。

「いつもありがとうねぇ、今日も暑いね」

くしゃくしゃの表情にさらに皺を刻んで、おばあさんは笑った。僕はこのおばあさんのことはとても好きで、君が先に買い物を済ませている間にいつもおしゃべりしてくれるんだよ。君はそんな僕のことは構わずにささっと必要な買い物を済ませて、おばあさんのところに持ってくる。しゅわしゅわのサイダー、ひんやり冷たいフルーツ缶、いくつかの袋入りの氷。冷たい冷たいと言いながら持ってきて、おばあさんはひとつひとつを計算する。会計を済ませて、荷物は僕が持つ係。おばあさんはまた柔和に笑って「ありがとねぇ」と言ってくれる。おじいさんはテレビを見てる。君はまた僕の手を握ると、「また来ます!」と元気よく言って歩き出す。君に引っ張られて、僕はおじぎをして歩き出す。

歩き出すとじんじんと照り付ける太陽の熱が熱くなっていた。時々太ももにあたる氷が冷たくて僕はくすぐったいよ。君は気にせず家の方向にずんずんと歩き始める。

氷を持っていたからはっきりと冷たく感じる君の手のひら。とても気持ちがよくていいなと思った。表情は相変わらず見えないけれど、うきうきして歩いているような気もする。街路樹は太陽を反射してきらきら光る。僕はまた街路樹から目をそらした。

もう一度、同じ季節を循環しても、この緑は相変わらず緑のままで、悠久の時を過ごすのだろう。君はだんだん年をとって、あのおばあさんみたいに柔和に笑うのかな。僕もだんだん年をとって、あのおじいさんみたいにずっと部屋でテレビを見たりするのかな。今以上のことも想像できないのに、さらにその先なんて誰にも想像つくはずもない。ただ、君ともっと一緒にいたいと思った。

目の前から誰かが歩いてくる。珍しいなと思った。道の真ん中を進んでいた僕たちは道の隅を歩く。犬の散歩をしている女性が歩いてきた。犬はとても大きくて、毛皮をまとって暑いのか、舌をだらんと出して荒い息遣いをしていた。それをじっと眺めてしまう。男の子かな、女の子かな、犬って見ただけじゃ性別なんてわからないのが不思議。犬種もよくわからない。女性は犬のペースに合わせて歩く。慈しんでいるようにも、待っているようにも見えた。楽しそうにも見えて嬉しそうにも見える。女性と犬は僕たちとすれ違い、それきりだった。すると君が急に立ち止まる。

「犬、かわいいよね」

僕はこくりと頷く。犬が欲しくなったのかな、それとも、僕が見ていたことに気づいたのかな。確かにおおきな犬だったけど、つぶらな瞳をしていてとてもかわいかったなと思う。

君は僕を見上げる。君の表情を視界に捉える。君はどんぐりみたいに大きな目をじっとこちらに向けている。固く引きむすばれた唇が、まるで笑っているみたいだった。

「あなたみたいね」

薄い唇がそう伝えてくる。

え、僕、犬みたいなのかな。目をぱちくりとさせていると、君はまた歩き出す。

「そっくりだよ、しっかりとついてきてくれるところ、大きくて真っ黒な瞳でじっと見てくるところ」

そして君はまた立ち止まって、いたずらっぽく笑いながら僕を振り返る。

「そして、ふわって抱きしめてくれるところとか…ね」

その言葉と表情に、心臓を捕まれるような感覚を覚える。愛らしいの向こう側の言葉があるなら教えてほしいくらいだ!でも僕にはそれを伝えるすべがない。君はそれを知ってか知らずか、またクスクスといたずらっぽく笑って、歩き出す。茫然としていた僕もまた歩き出す。

きらきらとまぶしい街路樹の緑が、僕たちのことを包み込むようにぽかぽかと光を放つ。また君の表情は伺えない。真顔なのかな、笑ってるのかな?本当に君は意地悪だね。

何度も通り慣れた道はあっという間に終わってしまう。僕たちの家に着いた。古民家を改装して借りている僕たちの家は、こんな暑い日でも扇風機やクーラーがなくてもひんやりとして気持ちがよかった。玄関の上がりがまちにいったん腰かけた君はサンダルを脱いで親指でひっかけたままひらひらとしている。疲れた時にやる癖だって知ってる。僕は買ったものを上りがまちに置いて、ため息をつきながらそのサンダルを外す。丁寧に並べると君の腕を引いて立ち上がらせる。君は疲れた疲れたと言っているけれど、氷があるのだからじっとはしていられない。君を左手に、荷物を右手に抱えて台所にダッシュした。

古い木造の廊下はどたどた、ミシミシと音を立てる。もう聞きなれた音だ。最初はびっくりしたけれど、音が鳴るような仕組みになっているらしい。昔の人の考えることはすごい。

台所もひんやりと気持ちがよかった。冷たいシンクの上に荷物をのせて、ひとつひとつを袋から出していく。しゅわしゅわのサイダーはまだ冷たいままだ、フルーツ缶も熱を帯びることなくひんやりとしている、氷は少し溶けてしまっていた。慌てて冷凍庫にしまおうとすると君が「形が崩れるから」と言って氷を一旦ボウルに出して、余分な水を抜いてから冷凍庫に入れた。帰り道に結構溶けてしまっているようで、氷はちょっとになってしまった。君を見てると、君はふんと鼻を鳴らして自慢げに笑っていた。さすがだなぁ。

ちょっと古めかしいキッチンで、ふたりでエプロンをつける。君は水色のワンピースの上から赤いエプロンをつけて、髪の毛をまとめなおすと、大きなグラスボウルを取り出す。僕はその間に缶切りでフルーツ缶を開ける。

窓からはまぶしい日差しが入り込んできて、開け放たれたところからさわさわと風が通る。ひんやりと涼しい。

フルーツ缶の中にあるシロップを半分だけ2つのグラスに分けて入れて、残りをフルーツごとグラスボウルに入れた。赤黄色の鮮やかなフルーツが飛び出してきて、グラスボウルの中で踊るように揺れる。それだけでもおいしそうで食欲をそそる。

君はサイダーのふたを開けた。ペットボトルのサイダーはしゅわっと音を立てて呼吸をする。じんわりと泡を立てながら炭酸をはじけさせていた。

君はそのサイダーをグラスボウルの中に注いだ。しゅわしゅわと音を立ててサイダーとフルーツがボウルの中で揺れる。フルーツ缶のシロップとサイダーはしっかりと混ざり合って、ぷつぷつ、しゅわしゅわと融合した。

僕が小さなお玉を持ってくる。君はボウルの中身をかき混ぜないようにそっとお玉を置く。それから残ったサイダーをグラスに残しておいたフルーツシロップにそれぞれ注ぎ分けた。おまけで、冷蔵庫の中から庭でとれたブルーベリーを入れてくれた。透明なグラスの中で、シロップとサイダーが混ざるしゅわしゅわの感覚、そしてその中で溺れるブルーベルーの彩りがきれいだなと思った。

君はマドラーをグラスにさしてくれた。冷凍庫から氷をふたつ出してグラスに入れてくれる。君はボウルの中のフルーツを注ぎ分けるお皿を準備する。僕はまたその間にやることがあって、台所の勝手口から庭に出て、庭にある広葉樹の下にある小さな丸テーブルとロッキングチェアの上の葉っぱや木くずを払ってテーブルクロスをかけた。

君が勝手口から出てきて、フルーツとドリンクを持ってきてくれた。

それをテーブルに乗せると、また僕のほうを見て鼻を鳴らして自慢げに笑う。本当に君はすごいなあ。僕は感心したように頭を撫でると、今度は頬を膨らませてしまった。難しいなぁ。

木の下のロッキングチェアに腰かけると、木陰になっていて少しひんやりとした。それでも太陽光のじりじりと相まってちょうどよく感じる。僕と君はドリンクを持って、小さく乾杯をした。木漏れ日を受ける君の表情がきらきらしていて僕は好きだった。

庭先の緑も太陽を反射してまぶしく光る。少しドリンクを飲んでみると、甘くはあるけど、さっぱりとしていておいしい。サイダーが喉をしっかりと潤してくれた。一緒に流し込んだブルーベルーが口の中でぷちゅっとつぶれて食感が楽しい。

「美味しいでしょ」と君が自慢げに聞いてくる。僕は頷いた。

僕がグラスを置いてボウルの中のものを気にしていると、君はそっと取り分けてくれた。

「これね、フルーツポンチっていうんだよ、知ってた?」

へえ、そうなんだ。僕が首をかしげると、君はまたくすくすと笑った。そんなに変かな。だって知らなかったんだもん。サイダーとフルーツを混ぜただけのかなって思うじゃないか。

「簡単にできるけど、おいしいよ」

君はそういって僕に取り分けてくれたフルーツを渡してくれる。フルーツは小さなお皿の中でゆらゆらとサイダーの海で泳いでいる。気持ちよさそうだなと思った。スプーンですくって食べると、しゅわっとした食感が舌を刺激した。サクランボ、桃、パイナップル、どれも僕が好きな果物だった。

「おいしいでしょー、ハル君こういうの好きだよね」

目を丸くして頷く。さすがだなと思った。僕の食の好みまでわかるだなんて君はほんとにすごいなあ。尊敬しちゃう。

「あなたのことならなんでも知っているよ、例えば、今日私に何か言うことがある…とかね」

思わずむせてしまった。こぼさないように細心の注意を払ってお皿をテーブルに乗せる。ちょっと顔をそらすときに、君のにやにやした顔が視界に飛び込んできた。

しゅわしゅわのサイダーが僕の口の中で存在を誇示する。その感覚まで全部飲み込んでしまうと、僕は大きく深呼吸する。風がふわりと僕たちの間に通る。汗ばんだ体には冷たくも涼しく感じる。

色とりどりのフルーツはまだボウルの中で揺れている。そのどれもがきらきらしていてとても綺麗だ。それを挟んで向こう側にいる君の姿も垣間見ることはできない。

僕はポケットから、ひとつの箱と、ひとつの紙切れを取り出した。

一旦その紙切れを覗き込み、それを読み上げるように口パクをする。僕の呼吸は音を乗せない。君は全然伝わらないのに、それでも君はそれをじっと見つめてくる。にやにやされてると思ったけど、真剣な表情をしていて、僕は唾液を飲み込むように息を飲んだ。

木々のさわさわという風に揺れる音と、グラスの中の氷が音を立てて溶けていく音だけがこの場に響く。文章を目で追っているうちに、君との思い出がだんだんと蘇ってきた。

何度も歩いたあの道で、何度も同じ季節を経験した。君といつまでも一緒にいたい、この道を歩きたいと思った。君はずっと変わらず綺麗だった。春の桜よりも、夏の海よりも、秋の紅葉よりも、冬の雪景色よりもずっとずっと、君は尊くて美しかった。ずっと君の隣に自分がいてもいいのか悩んだ時期もあったけれど、こうやって歩いて買い物に行くとき、こうやって一緒にデザートを作るとき、そして作ったものを一緒に食べる時が本当に幸せなんだ。僕の好きなものをよく知っている君に、もっと僕のことを知ってもらいたい。もっと君のことを変わらずに愛していきたい。

からんからんとグラスの中の氷が崩壊する。フルーツポンチからサイダーの音が消える。気づけば君に抱きしめられていた。暑いよ、と跳ねのけることもできずにじっとりとした君の体温を享受した。また、低い位置にある君の表情は伺えない。たまらなくなって抱きしめ返した。

あのお店の老夫婦みたいでもいいし、途中見かけた女性と犬みたいでもいい。僕たちはひとつのきずなを持ってこうしてそばにいることを実感した。

僕が口をパクパクとさせていると、君が笑顔を僕に向けてくる。

そして僕の手から箱を取り上げると、中に入っているきらりと光るそれと左手を差し出してきた。僕は慌てたように箱の中身を取り出して、太陽に反射するそれを、恭しく掲げられた君の左手の、薬指にそっとはめ込んだ。するりと、まるで初めからそこにあったかのようにそれはぴったりとそこに納まる。

6月の木漏れ日、きらきらとしたある日。風がまたさぁっとふいてくる。

言葉にできない僕の気持ちを読み取ったかのように、君はとびきりの笑顔を僕に向けて、僕の両手を握った。

そして、少し上擦った声で答えてくれたのだ。


「はい、喜んで」


と。

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