第4話 頼みのあいつは訓練中


「美咲が目撃されたのはこのコンビニと、三百メートルほど先の別系列のコンビニだ」


 駐車場の片隅で、雷郷は肉まんを齧りながらあやふやな方角を指さした。


「よく店員さんが覚えてましたね」


「偶然だよ。それぞれのコンビニで姉妹が働いてたのさ。目的もなさそうにうろうろした後、ポケットティッシュを買うっていう行動が同じだったんで覚えてたんだそうだ」


「それ以外の場所では目撃されてないということは、このあたりで落ち合ったってこと?……でも、コンビニの間は何もなさそうだわ」


「そうだね。まあ、ちょっと往復してみよう。何か気が付くかもしれない」


 そう言うと雷郷は紙についた肉まんの皮をはがし始めた。二つのコンビニの間は三百メートルほどで、大きな工場の敷地を挟んでいるせいか、周囲には驚くほど何もなかった。


「だめね。落ち合おうにもこんなところじゃ、相手に伝える目印がなさすぎ……あっ?」


 私はふいにあることを思いつき、足を止めた。


「どうかした?」


「もしかしたら、ここじゃない?」


 わたしが指で示したのは、人気のないバス停だった。


「バス待ちの列でなら、誰かと落ち合っても他人の記憶には残らないわ」


「つまり「何時何分着のバスを待つ列の中にいる」って伝えたってこと?」


「そうやって落ち合って一緒にバスに乗ってしまえば、証言できる人はいなくなる」


「で、例の雑居ビルに近い駅で降りて、後はまっすぐ殺害現場に向かったのか」


「変かなあ。それしか思いつかないけど……」


 私が口ごもりかけた、その時だった。雷郷がふいに「あ……来た」と言った。


「来た?誰が?」


「ちょっと待って……えっ?どういうこと?」


 雷郷は誰もいないバス停のあたりに視線を彷徨わせた後、不思議そうに首を傾げた。


「どうかしたの?」


「うん、今、被害者の意識がちょっと「入って」きたんだけど、バス停に並んでいる人を食いいるように見てたんだよね。待ち合わせの人がいたんなら、すぐ近づくはずじゃない」


「……ということは、彼女は自分を待っている人の外見をよく知らなかったってこと?」


「そういうことになるね。にもかかわらず、彼女と犯人は親しい間柄だった……つまり」


「会うのはその日が初めてだった……あっ、わかったわ。被害者と犯人はきっと、ネットで知りあったのよ。それで会ったその日に殺されたんだわ」


「でもさ、事件後に署で押収した携帯やパソコンには、彼女がSNSで誰かと親しくしてた形跡はなかったんだぜ」


「だからそれはご主人に見られるのを恐れて、でしょ。きっと尻尾を掴まれないようにネットカフェのような場所を利用してたんだわ」


「うーん、そうなるとお手上げだなあ。ネットのできる環境なんていくらでもあるよ」


「捜査を始めたばかりなのに、ぼやかないでよ。同じ店を何度も利用していれば、きっと目撃してる人が……どうしたの?」


「向こうからくる二人組……見覚えがあるんだ」


 雷郷が示した方を見ると、黒っぽいスーツに身を包んだ男性二人組がこちらにやって来るところだった。ビジネスマンふうでもなく、どこか普通ではない雰囲気を漂わせていた。


「あいつら確か、前の事件で捕まえた犯罪グループの一味だな。僕らがボスを捕まえて解散させられたんで逆恨みしてやがる」


「そんな、何呑気な事言ってるんですか。本当なら援軍を呼ばないと」


 短いやり取りの間に、二人組との距離はたちまち縮まっていった。気が付くと私たちは二人組に行く手を阻まれる形で、歩道に立ち尽くしていた。


「すみません、ちょっとそこを避けてもらえませんか」


 雷郷が間延びした口調で言うと、男性のうちの一人が「雷郷だな。いいところで会った」と言った。


「あの、どなたか存じませんが私たち、仕事中なんです」


 私は勇気を振り絞って男性に言った。何とか隙を見つけて援軍を呼ばなければ。


「その仕事のせいで、俺たちは大変な目を見たんだよ……なあ」


 男性が言うと、いくらか上背のある片割れが「まったくだ」と低い声で言った。


「せっかく捕まえたんだ、命までは取らないにしても、多少は痛い目に遭ってもらわないとなあ。……ん?」


 男性はそう言うと、いきなり光る物を取りだした。私は焦った。護身術は一通り身に着けているつもりだが、実戦は初めてだ。ええと、まず袖をつかんで……


 私が頭の中で習った手順をそらんじていた、その時だった。いきなりどさっという重い音がして、すぐ隣にいた雷郷の姿が消えた。


「ちょ、ちょっと雷郷さん、どうしたの?」


「援軍を呼べと言ったのは君じゃないか。……じゃ、後は頼んだよ。おやすみ」


 意味不明の言葉を口にすると、雷郷は驚いたことに歩道に倒れこんだまま寝息を立て始めた。私は目の前が暗くなるのを意識した。これで万事休すだ、援軍どころか救急車だわ。


「こいつ、気絶しやがった。俺たちを熊かなんかと間違えてやがる。おい……起きろっ」


 屈みこんだ男性が雷郷の胸ぐらを掴んで揺さぶり、私が天を仰ぎかけた、その時だった。


「……乱暴な起こし方をしおって。礼儀という物を知らん奴だ」


 雷郷が地の底から響いてくるような声で言うと、むくりと身体を起こした。


「なんだと?ふざけてるのか」


 男性がそう言った瞬間、雷郷の手が男性の袖を掴み、体を捩じりながら立ち上がった。


「……うわっ」


 雷郷が男性の懐にすっぽりと収まった次の瞬間、男性の身体は発条ばねで弾かれたように空中を舞っていた。


「ぎゃあっ」


 歩道に背中から叩きつけられた男性は一言呻くと、その場でぐったりと伸びた。


「……ふん、トレーニングをしてない割には、まあまあだな。それにしても固い身体だ」


 いつもとは異なる口調に、思わず雷郷の方を見た私はあっと声を上げそうになった。雷郷の口元が残忍ともいえる角度で吊り上がり、両目が不気味に赤く輝いていたのだ。


「ら、雷郷さん……?」


「何を言っとる。見ればわかるだろう。雷郷は今ごろ、夢の世界だ」


「雷郷ではない誰か」はそう言うと「雷郷」の顔のまま、禍々しい両目を私の方に向けた。


               〈第五回に続く〉

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