第2話 謎めくあいつは雨の中
「わあ、雨だ」
雑居ビルの通用口から狭い裏路地に顔を出した途端、雷郷は叫んだ。
「これじゃ仕事にならないな。……君、ちょっと先に出てくれる?」
渋い表情の雷郷に強いられ、私は仕方なく傘を差して路地に出た。路地と言っても左右は鉄柵で塞がれており、その向こうに見える通りには出られないことがわかった。
「ここですか、その……遺体が発見された場所というのは」
「そ。袋小路の奥、ゴミ捨て場の前で首を絞められて殺されてたってさ。怖いよね」
雷郷はビルから一向に出ようとせず、屋内から声だけで答えた。なんという横着な刑事だろう。私は仕方なく、遺体があったというゴミ捨て場の前まで移動した。
「どう?何か聞こえる?」
「……なにがですか」
「もうっ、被害者の「声」だよ。なんだったら姿でもいいけどさ。背筋がぞっとするような、無念のメッセージとか、聞こえないかなあ」
雷郷の間延びした口調と、怪談めいた内容があまりにミスマッチで私は思わず苦笑した。
「そんな捜査がありますか、先輩。遺留品とか、犯行の痕跡の間違いでしょう」
「馬鹿だなあ、そんな物、とっくに消えてるに決まってるじゃないか。どれだけ時間が経ってると思ってるんだい」
これにはさすがの私も開いた口が塞がらなかった。じゃあ一体、何のためにここを訪れたのだ。まさか肝試しというわけでもあるまい。
「それじゃあ何をすればいいんです?そんなことを言うんだったら先輩、ここに来て捜査のお手本を見せてくださいよ」
溜まりかねて私が抗議すると、ドアの隙間から傘を携えた渋い表情の雷郷が現れた。
「だからさあ「声」だよ「声」。……君。本当に姉貴から推薦されて来たの?」
雷郷はピンクの傘を差すと、渋々と言った体でゴミ捨て場の前にやってきた。
「こうして立ってるだけでもさ、死者の無念って奴が伝わってくるじゃん、身体を締め付けるような、胸が悪くなるような……ああ、ぐ、ぐるぢいい」
そう言うと、それまで木偶の坊みたいに突っ立っていた雷郷が、いきなり喉に手をあてて苦しみだした。霊感?それともお芝居?対応に窮した私はそのまま成り行きを見守った。
「……うっ」
苦しそうにもがいていた雷郷が突然、短く呻くとその場に崩れた。
「雷郷さん!」
私は傘を手放すと、雷郷の傍らにしゃがみこんだ。どうしよう、ええと、呼吸は……
私はまず雷郷の口元に耳を近づけ、胸に手をあてた。どうやら息はしているようだ。
「雷郷さんっ、聞こえますか、雷郷さん!しっかりして下さい」
私が耳元で呼びかけると、雷郷の口が開き、何かを小声で呟き始めた。
「私を見殺しにして逃げるつもりね……。あなたに気を許した私が馬鹿だった……」
意味不明の言葉を呟くと、雷郷は再び沈黙した。もう一度、呼びかけようと私が口を開けかけたその時だった。雷郷の頭のあたりから黒い煙のような物がふわりと立ち上り、見覚えのある形になった。
――雷郷さん……嘘でしょ、そんな不吉な。
私は嫌な予感を振り払うように頭を振ると、できる限りの大声で雷郷に呼びかけた。
「雷郷さんっ、早く起きないとあの世からお迎えがきちゃいますよっ」
すると必死の呼びかけが功を奏したのか、雷郷が瞼を億劫そうに動かすのが見えた。
「ん?……呼んだ?」
「よかった、生きてたんですね。私てっきり……」
「てっきり何だい」
「いえ、あの……雷郷さんの身体から、ちょっと不吉な物が現れたように見えたもので」
「不吉なもの?」
私は自分が見た物を正直に言うかどうか一瞬、躊躇した。
「なんだい、言ってごらんよ。驚かないからさ」
「ええと、その、がい……骸骨です」
「骸骨?」
しまったと私は思った。いくら浮世離れした雷郷でも、さすがにこれは呆れるだろう。
「……よかった、ちゃんと見えたじゃん。やっぱり姉貴が見込んだだけのことはあるよ」
ずぶ濡れのままはしゃいでいる雷郷を見て、私は狐につままれたような気分になった。
「あの……どういうことです?」
「だからさ、見えたんだよ「あいつ」が。今度会ったらちゃんと「見えました」って言うんだぜ。ああ見えてデリケートな奴だからさ」
雷郷はまたしても意味不明な言葉を口にすると、つい先ほどまで苦しんでいたのが嘘のようにけろりとした顔で立ちあがった。
「さあ、これでとりあえずの目的は果たしたな。いったん引きあげようぜ」
「ちょっと、雷郷さん。これのどこが捜査なんですか」
口を尖らせて抗議する私を無視するかのように、雷郷は鼻歌に合わせて傘を回し始めた。
〈第三回に続く〉
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