最終話 赦された罪


 夜の帳が下り、暗黒の空を澄んだ星々が彩る。夏の夜空を、屋敷のバルコニーから仰いでいた2人の姫君は――0時が近づく時計の針に目を移した。


「……情け無いったらないね。ありえないのに。ありえないに決まってるのに。私、まだ期待してる」

「そんなこと、ありません。私も……同じですから」


 1年前。こんな世の果てに等しい、巨峰の丘で暮らすようになる前……下界の街で、平和に暮らしていた頃。茶髪の姫君は、今日の誕生日に自らの主人に花束を渡すよう、想い人・・・に告げていた。

 だが。自分の恋心を封じてまで叶えようとした、大切な幼馴染の恋路は――世界の意思により、阻まれてしまった。邪悪な一族とされた彼女達は、もはや想い人と同じ世界で暮らすことはできない。この最果てに追いやられた今となっては、花束はおろか再会さえ決して叶わないのだ。


 ――そこまで、分かっていながら。それでも、姫君達は諦めきれず。

 0時が迫り、誕生日の終わりが迫ろうとしている、此の期に及んで……想い人の来訪を、待ち続けているのだ。


「……ありがとうね、利佐子。皆から見捨てられた私のために……ここまで、付いてきてくれて」

「何を今更。私とお嬢様は一蓮托生です。例えこの身が果てようとも、利佐子は生涯、お嬢様の味方ですよ」

「……うん、うん……」


 啜り哭く黒髪の姫君は、日を追うごとにやつれ、眼からも生気を削ぎ落とされているように見えた。その姿は幼馴染の胸を締め付け――なんとしても自分が支えねば、という想いへと駆り立てていく。

 その小さくか細い腕で主人の身体を抱き締め、決して孤独ではないと励ます姫君。そんな彼女に支えられていることを実感し、黒髪の姫君は悲しみとは別の涙を目元に貯めていた。


 ――すると、その時。


「……!?」

「えっ……ど、どうしたの」

「何か、います」


 小さな姫君は、咄嗟に主人を庇うようにバルコニーの前面に立つ。何事かと目を瞬く黒髪の姫君は、その細い背中を心配げに見つめていた。

 一方、茶髪の美姫の瞳には――草原の先に生い茂る林の、不自然な揺らめきが留まっている。風の揺れでは、ない。


「お嬢様、屋敷の中へ隠れてください。危険な生物かも知れません」

「えっ……!? こ、ここには猛獣なんかいないって話じゃ……!」

「今や私達は悪の一族。何者かに狙われても不思議ではありません。……さぁ、早く!」


 やがて茂みの中から、ゆらりと人影が進み出て来た。月の灯りは林に遮られており、夜の薄暗さもあって全貌までは伺えないが――断崖絶壁に囲まれたこの秘境に来れるという時点で、すでに只者ではないことは明らか。

 しかもヘリのローター音など全く聞こえなかった。ならば考えられるのは、自分達の存在を狙うイリーガルな勢力。もしくは、伊犂江グループに怨みを持つ犠牲者の遺族。


 だとすれば、元会長の娘が狙われることは必至。ゆえに茶髪の小さな姫君は、屋敷に備えられていた猟銃を手に、毅然とした表情を浮かべているのだ。


「……止まりなさい! それ以上近づくなら、撃たざるを得ませんよ!」


 やがて林を抜けた人影が、月灯りに照らされていく。風に靡く草原を歩む彼の者に銃口を向け、小さな姫君は主人を背に叫び出した。

 だが、人影は姫君の警告など意に介さず、真っ直ぐに草原を歩み屋敷を目指し続ける。


 ――黒のボディスーツや、紅いマスクにプロテクター。額から伸びるツノ。風に揺れる白マフラー。そんなヒーロー然とした容貌を前に、少女達は思わず震え上がってしまった。

 この丘まで逃げ延びた自分達は、いわば悪の残党。その生き残りを駆逐し、正義を実現するための刺客というならば……ヒーローのような姿であることにも説明がつく。


「り、利佐子……!」

「……例えヒーローが相手でも! 私達が、許されざる悪であるとしても! それでも私は、伊犂江優璃様の、たった1人の幼馴染です!」


 だが――黙って「粛清」されるわけには行かない。小さく、それでいて勇敢な姫君は、自分の手を汚してでも大切な者を守ろうと引き金を引く。

 しかし、乾いた銃声が響き渡っても……銃弾を浴びたはずのヒーローは、蚊が刺した程度にも感じず歩み続けていた。その様に畏怖するあまり、少女は膝をついてしまう。


「あ、あぁ……」

「利佐子っ……!」


 やがて。ヒーローは草原から高く跳び上がると――月夜の空に弧を描き、バルコニーに着地する。いきなり眼前に現れた彼を前に、茶髪の姫君は恐怖のあまり銃を落としてしまった。

 そんな幼馴染を、黒髪の姫君は懸命に抱き締め、庇おうとする。毅然とこちらを睨む彼女の瞳を、紅いヒーローは静かに見つめていた。


「……狙いは私でしょう! 私なら、どうしたって構わないから……利佐子には手を出さないで!」

「……」

「……?」


 そう叫びながら、茶髪の美姫の小さな身体を抱くその姿は、妹を庇う姉のようだった。そんな彼女を、ただ静かに見つめるばかりのヒーローの様子に、2人は徐々に不審な表情になっていく。


「……そうやって、今までずっと……2人で支えあって来たんだな」


「――ッ!?」


「えっ――!?」


 そして、撃たれても凄まれても、微動だにしなかったヒーローが。ようやく口を開いた時。

 忘れるはずのない、想い人の声を聞き――2人の美姫が同時に瞠目する。そこで黒髪の姫君は、彼の首元に巻かれた白いタオルに気付いた。


 マフラーのように靡いていたそれは――1年前、自分が愛する少年に渡した、ただひとつの贈り物だったのだ。


「……ごめん、遅くなって。誕生日、おめでとう」


 次の瞬間。紅い仮面を脱ぎ捨て――月夜の下に、黒く艶やかな髪を靡かせて。ヒーローはその素顔を露わにし、彼女達と共に生きる1人の少年として。


 ――ついに。再会を、果たすのだった。


「……ぁ……!」

「あ、ぁ……!」

「皆から、寄せ書きが来てる。皆も、君達のことを心配してたんだよ」


 素顔で彼女達と向き合う少年は、手にしていた寄せ書きを渡す。だが、放心状態となったまま彼を見つめる美姫2人は、感涙で顔を台無しにしていた。


「それと……伊犂江さん」


 しかし、それに構うことなく。少年は、背に隠していた百合の花束を――同じ名を持つ黒髪の少女に、捧げるのだった。


「遅くなったけど……これ。オレなりの、気持ちだから」


「……あ、すか……くんっ!」


 ――その瞬間、時計の針は0時を指し。彼女の誕生日は終わりを告げた。


 そして、17歳を迎えた黒髪の美姫は――涙を頬に伝せながら、感極まった表情を浮かべ、少年の胸に飛び込んでいく。その瞳は今までの日々が嘘のような、溢れんばかりの生気に満たされていた。


 ◇


 ――2039年4月。

 満開の桜に彩られ、桃色の自然風景に囲まれた喫茶店――「COFFEE&CAFEアトリ」には今、珍しい客人が訪れていた。


「……今日から、なんですよね」

「えぇ、今日からです」


 翡翠色のブレザーに袖を通した、透き通るような肌を持つ1人の少女。黒いポニーテールや桃色のリボンが特徴の彼女は、コーヒーを嗜みながら「旧友」の「帰り」を待ち続けていた。

 そんな彼女を、カウンターに立つ亜麻色の髪のウェイトレスが、微笑を浮かべて見守っている。彼女もまた、黒髪の少女と同じ「旧友」を待ちわびる1人なのだ。


「やっぱり、あの人は凄いです。本当に、彼女を連れ帰って来てくれたんですから」

「……でも、その人自身は海外まで墓参りかぁ。せっかくなんだから、あの子のウェイトレス姿も見ていけば良かったのに」

「これからいっぱい、見せつけていけばいいんです。彼女もきっと、そのつもりですよ」


 黒髪の少女が、「旧友」の想い人が不在であることに不満を抱く一方。亜麻色の髪のウェイトレスは、にこにこと笑いながら、これからの毎日に期待しているようだった。


 ――やがて。扉が開かれ、来客を告げる鈴が鳴る。


「……あ、あの。長い間お休みしちゃって、ごめんなさい。これからまた……よろしくお願いします」


 そこに現れた、1人の少女。黒髪のボブカットを春風に靡かせる、水晶のように透き通る肌を持った彼女が、2人の前に現れた……その時。


「お帰り……優璃っ!」

「お待ちしてました! さぁ、今日からまた一緒に……頑張りましょうっ!」


 待ちわびた「旧友」との再会に、歓喜するように。2人は満面の笑みを浮かべながら、彼女を迎え入れるのだった。


 ◇


 ――青く澄み渡る空の下。そこに広がる墓標の群れが、今日も生者を迎え入れていた。

 その中の一つ――「Sophia Parnell」と刻まれたその墓標に、百合の花束が添えられる。命日に捧げられた純白の献花は、春の風を浴び、静かに……穏やかに、揺らめいていた。


「……神父様。ソフィアはもう……悲しんではいませんか」

「さぁね……天上は遠く、高いからね。それは私にもわからない」

「……そうですか」


 墓標の前に膝をつき、祈りを捧ぐ少年の後ろで、神父と呼ばれる初老の男性は、静かに十字を切る。ここに眠る少女の御霊が、幸せであると祈るように。


「だがね。幸せには違いないと、私は思うよ。今もこうして思い続けてくれる人がいるなら……いつか、また、生まれ変わる時。君のようにあの子を大切にしてくれる人が、きっと現れるさ」

「……いつか、その人に会うことがあれば伝えてください。あの子を幸せにしてくれて、ありがとう……と」

「約束するよ。……さぁ、次は君の番だ」


 やがて少年は立ち上がり、神父と向かい合う。最後に別れた日から数年を経て、逞しく成長したその体を、老いた男は優しく抱き締めた。


「……今生を生き抜いたあの子の分まで、幸せにおなり。君の罪はもう、赦された」

「……はい」


 少年もまた、神父の広い背中を抱き――やがて名残り惜しむように、少しずつ離れていく。


「……じゃあ、お元気で」


 そして、その一言を最後に。少年は踵を返し、この場から立ち去っていく。墓地の外に停めていた紅いバイクに跨り、颯爽と走り去るその瞬間まで――神父は、少年の背を見つめ続けていた。


「……もう、懺悔の言葉もいらない。この花に込められた想いこそが、全て。そうだろう、アレクサンダー君」


 少年の姿が完全に見えなくなった後。神父は、足元に添えられた白き献花に視線を落とす。

 ――それは、この墓標に眠る少女の兄が、今日のために育てた花であった。遠い国の地で育まれた花々が今、海を越えてここに捧げられたのである。


 そして今。懺悔と贖罪を果たした人々が、今日という日を歩みだしていく。そのために犠牲にしてきた幸福を、取り戻すために。


「全ての罪は……赦された」


 彼らには――その資格があるのだから。


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