花乃栞里の魔法少女生活。
煮豆シューター
1.もう魔法少女を信じるような歳ではない
――どうやら私は夢を見ているらしい。
時は、少し前に遡る。
少し前と言っても、本当に少し前だ。時間にして一分くらい前になる。
忘れ物はないか。身だしなみは恥ずかしいものではないか。
今日から高校一年生になる栞里は、初登校という晴れ晴れしい舞台に向けた準備の最終確認を行っていた。
そしてそれらの確認を終えると、新しく始まる日々に胸を踊らせながら、意気揚々と玄関に向かった。
「やあ」
「…………?」
だが扉を開けた瞬間、栞里の目に入ってきたものはいつもの景色などではなく、玄関前で仁王立ちをしたレッサーパンダだった。
それだけならまだいい。
……いやまあ、まったくよくないが。この時点ですでに意味不明なのだが。問題はさらにあったのだ。
最初こそ、鳴き声を聞き間違えただけかと思っていた。
レッサーパンダの鳴き声が、人の声のように聞こえただけなのだと。
「君、魔法少女に興味ないかい?」
だが次に続いたその流暢な可愛らしい声で、栞里はさきほどの声が幻聴でもなんでもなかったことを悟った。
そして栞里は無言で素早く扉を閉じ……冒頭に戻る、というわけである。
(……昨夜、睡眠はじゅうぶんに取ったはず……ちゃんと朝ご飯も食べたし、顔も洗った。頭はスッキリしてる。寝ぼけてるわけでもない……)
冷静に自分の体調を分析してみるが、特に異常があるとも思えなかった。
(やっぱりレッサーパンダじゃなかった……のかも。猫とか狸とかを見間違えたと考えた方がしっくりくる。なんかしゃべってたように聞こえたのは……そう、塀の向こうとかその辺で誰かが話してたのがレッサーパンダの声に聞こえただけ)
しゃべっていた理由づけに関してはやっつけ仕事も甚だしかったが、実際にレッサーパンダがしゃべる可能性と比べてみれば、そんなやっつけ理論の方が確率が高いのだからしかたがない。
偶然見間違えて、偶然聞き間違えた。
どんなに考えてみても、それが一番信憑性が高い答えだった。
そして野生の猫や狸なら、多くの場合、人間に見つかれば一目散に逃げていくはずである。
あの時、栞里は玄関の前にいたそれと確実に目が合った。だとすれば、もう扉の向こうにはいない可能性が高い。
そう結論を出した栞里は、自分の正しさを証明するためにも、再び玄関の扉を開いた。
「ちょっと! いきなりドアを閉じるなんてひどいなぁ。魔法少女だよ? 魔法少女。女の子なら誰しもが一度は憧れ――」
バタンッ! かちゃり。
(なんだあれ)
まごうことなきレッサーパンダだった。
そして間違いなくしゃべった。幻聴でも聞き間違えでもない。
その口を動かして、動物本来の鳴き声とはほど遠い、人間の子どもじみた高い声で魔法少女がどうのと確かに口にしていた。
(やっぱり、夢?)
頬を摘んで、ぐにーっ! と、力の限り引っ張ってみる。
痛い。普通にめっちゃ痛い。
じんじんと痺れが残る頬から手を離す。
(……信じられないけど……夢じゃなさそう。あの人語を話すレッサーパンダは確かに存在していて、魔法少女がどうだとか意味のわからないことを言ってる……)
魔法少女。
その名の通り、魔法、またはそれに準ずる不思議な力を行使する少女の総称だ。
華やかな衣装を纏い、悪を討つ正義の味方。
昔から日曜の朝などには魔法少女を題材としたテレビアニメがよく放映されていて、栞里も幼い頃は目を輝かせて見ていたことを覚えている。
そう、テレビアニメだ。
魔法も魔法少女も、それらはあくまで想像上の産物に過ぎない。
現実には存在しないのだ。
(……レッサーパンダがしゃべるのもおかしいけど……こっちはまだ現実味がある)
この世界は広いもので、人間の言葉を覚え、人間と似た発音で発することができる動物も存在する。
鳥類、インコやオウムなどが良き例だ。
そしてインコやオウムに限らず、元より彼ら鳥類は人間と同様に鳴き声の発音やその連なりで独自の文章を形成し、それを用いたコミュニケーションを取っていることが研究で確認されている。
一説によれば、インコやオウムが人間の言葉を覚えるのはそれを仲間の言葉として認識しているからだそうだ。
だとすれば、あのレッサーパンダも同じような存在である可能性はじゅうぶんに考えられる。
突然変異、あるいは遺伝子組み換え……そんな感じで、人間の言葉をしゃべることができる声帯を手に入れた特殊なレッサーパンダなのだ。
あんまりにも突飛なSFじみた妄想だったが、少なくとも魔法少女の実在なんかよりは現実味がある発想なのではないかと栞里は思う。
「ちょっとちょっと、おーい! なんで二度も締め出すのさー!」
栞里が未だ玄関の向こうにいるだろうSF生命体をどうするか迷っていると、バンバンと扉が叩かれ始める。
「僕のこと見えてるし、声も聞こえてるんでしょ? じゃないとこんな反応しないし! 開けてよー! ねー!」
(……次開けたら中に入ってきそう)
しゃべるレッサーパンダの目的がなんなのかはわからない。
だけど確かに言えることもある。
それは、このレッサーパンダが人間と同等の知性を備えているということだ。
なぜならこのレッサーパンダは、発音まで含めて人間の言語を使いこなしている。
ただオウム返しするだけのインコやオウムとは明らかに違う。人間の言語の仕組みを完璧に理解し、自分の意思で言葉を考えている。
だが相手は人間じゃない。レッサーパンダだ。
すなわち野生動物……ならばレッサーパンダの狙いは、野生動物らしく捕食狙いだと考えるべきだろう。
人間の言語を匠に使っているのは、おそらくは人をおびき寄せるための罠だ。
魔法少女という単語を口にすることで、それに憧れる
きっとこれまでも、こうやって何人もの少女を手にかけてきたに違いない。
なんて卑劣なのだろうか!
……普通のレッサーパンダは基本的に草食だったはずだけども、今玄関の外にいるのはレッサーパンダの形をした別のなにかだし、本来のレッサーパンダと同じ定義には当てはまらないだろう。
「もー、なんでこうなるのさぁ……せっかく新しい資格者を見つけたのに。これは君にとっても悪い話じゃないんだよ? 今なら期間限定でスペシャルにプレミアムな魔法少女になれるんだ! だから開けてよー、僕の話を聞いてー」
(……これ以上、このレッサーパンダもどきの被害を出すわけにはいかない。真実に気づいちゃった以上は、私がここで悲しい犠牲の連鎖を終わらせなくちゃ……!)
栞里は片手に持っていた学生鞄の持ち手をギュッと握りしめる。
そしてゆっくりと
(体格は、見たところ三〇センチもなかった。力もそこまで強くないはず……私一人でも、うまくやれば対処できる)
かちゃり。
錠が解除されたその音は向こうにも聞こえたようで、扉が叩かれていた音がピタッと止まった。
きっと今頃この扉を隔てた先では、あのレッサーパンダもどきが扉が開く瞬間を今か今かと待ち構えている。
(さあ、いざ尋常に……勝負!)
すべきことを頭の中で反芻し、深呼吸をすると、栞里は取っ手を押して一気に扉を開いた。
――がちゃ。
「あ、やっと開けてくれ――」
「成敗!」
「――ぐぇっぶばはぁ!?」
扉を開けて即座に、取っ手を持っていた方とは逆の手に持っていた学生鞄を素早く振りかざす。
結果はクリーンヒット。
隙間から家内に入ってこようとしたレッサーパンダに見事攻撃を当てることに成功し、押しつぶされたレッサーパンダは潰れたような悲鳴を上げた。
いざ尋常に勝負とか言っておきながら全然尋常でもないまごうことなき不意打ちだったが、気にしてはいけない。
「……やった?」
一応、突然起き上がって逃げ出す可能性も考慮して二撃目の準備をしつつ、慎重にレッサーパンダの状態を確認する。
……どうやら気絶しているようだ。完全に気を失って脱力している。
「よし」
もし栞里が小学生や中学生だったなら、あるいはこのレッサーパンダもどきに騙されて、その毒牙にかかってしまっていたかもしれない。
だが本日が入学初日とは言え、あいにくと栞里はもう高校生なのだ。魔法少女なんて言葉に釣られるような年頃ではない。
しゃべるレッサーパンダの誤算……それは自らが人間以外の動物であるがゆえ、人間の加齢による思考体系の変化を考慮できなかったことであろう。
(とりあえず、このレッサーパンダみたいな未確認生物は交番に届けておこう)
栞里は一度家の中に戻ると、押入れから大きめのサイズの鞄を持ってきて、レッサーパンダっぽい未確認生物を中に入れる。
そしてそれをスクールバッグと一緒に担ぐと、今度こそ玄関の外に足を踏み出す。
「行ってきます」
一言だけそう呟いて、玄関の扉と鍵を締める。
入学式、間に合うかな。
そんなことを頭の端で思いつつ、栞里は意気揚々と交番に向けて歩き出した。
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