第10話 セルレーンという女。

 赤子はラクシャーサが面倒を見て、二人で外へと遊びに言っていた。

 もう二歳程度に成長し、自分で歩くまでにもなっている。

 この調子だと、一ヶ月後には大人になっているかもしれないな。 


 それ以外の俺達は、交代して眠っている女の看病をしているが、丁度俺の番に女が目を覚ましたのだった。

 目覚めた女はやはり錯乱して、大騒ぎしているのだが…………


「早くあの子供を殺してえええええええええ! 殺してえええええええ!」


 子供の将来を話し合える状況ではない。

 やはりこの女には子供を受け入れられないらしい。


 それも当然だろうか。

 あの猿に酷い目にあわされ、母になる覚悟すら出来ず、その身から魔物の子を産み落としたのである。

 これでは受け入れる方が難しいだろう。


 兎に角落ち着かせるように、俺は彼女を宥め、話を始めた。


「おい落ち着け。あの子が害をなすようには見えないぞ。一度ちゃんと見てやったらどうだ?」


「あれが人の子の訳が無いでしょう! あれは魔物、魔物なのよ! 殺してよ早く!」


 この状況では、母親になるという選択はなさそうだ。

 二人を一緒にしていては、今後どうなるのか分からない。

 今はこの子の為にも、引き離すべきだろう。

 

「あの子供の事は任せておけ。君が心配しなくてもいい。それより、まずは名前と所属を教えてもらおうか」


「…………私、私は……セルレーン。神殿騎士隊のセルレーン・ファイヤバード……です…………」


 神殿騎士隊と言えば、俺達下っ端部隊よりも数段格上の隊だ。

 その人数から戦績まで、俺達とは比べるべくもないだろう。

 数々の難しい任務をこなし、いまだに任務を失敗したと聞いたことがない。 


 ああ、だからこそ俺達に任務が与えられたのかもしれないな。

 普通なら自分の隊でケジメをつけたいだろうが、そのプライドにより、任務の失敗を無かった事にしたのだろう。


 自分達が成功出来ないから、俺達がこの任務を成功させるとも思っていなかったと。

 だから、俺達がもし失敗し、帰る事も出来なくなっていたのなら、このセルレーンは俺達の隊に名前を連ねられていたのだろう。 

 

 つまり…………大隊長の奴は、やっぱり俺達を生贄にしようとしてたんじゃないか?

 俺達は国の大きな組織に入っているのだ。

 弱ければ足切りされるということか…………


「俺はマルクスだ。神英部隊を率いる、マルクス・ライディーンという。何か欲しい物があるのなら、取って来てやるぞ」


 セルレーンは俺の顔を見て、悲しそうに震えながら、小さな声で欲しいものを言ったのだった。


「あの…………貴方に頼みがあります。私を……抱いてくれませんか。あんな化け物に慰み者にされただけじゃ嫌なの。最後に貴方の体で私を癒して…………」


 どうにも魅力的な提案をしてくれる。

 顔も体も俺の好みだが、今その頼みを聞いてはやれない。

 セルレーンは最後にと言ったのだ。

 国に使える女のセルレーンが、あの法を知らない訳がない。


 国に戻れば自分が死ぬと知っているのだろう。

 そんな悲しみだけの女を抱ける訳がない。

 だから俺はその提案を受け入れなかったのだ。


「悪いが、その願いは聞いてやれないな。もしどうしてもしたいのなら、次に来る男にでも言ってやるといい。たぶんあいつなら二つ返事で聞いてくれるはずだ」


「…………やっぱり、魔物なんかに襲われた私じゃ嫌ですか…………」


「それは違う。君は十分魅力的だ。俺だって抱けるならこの手で抱きたい所だ。だがな、国に帰っても君は死なない。あの子供は俺達が処分するし、君のことは森で一人彷徨っていた。そう言ってやるさ」


「でも私は…………」


「助かる道があるんだ。生きて居れば挽回する機会もあるだろう。本当に体を許せる男も現れるかもしれないぞ? だからな、一度生き延びる道を選んでみたらどうだ?」


 彼女は俺を見つめ、瞳を潤ませている。

 これ程の美女の誘いを断るとは、少しもったいなかったな。


「…………交代の時間だな。じゃあ俺はもう行くぞ。もう少しだけ時間はあるから、考えてみるといい」


「待って! 私に……生きる勇気をくれませんか。 …………キスだけでいいですから…………」


「…………分かった、君がそれで生きられるというのなら…………」


 ベッドに座る彼女を抱き寄せ、その腰に手を回すと、俺はその顔を覗き込んだ。

 銀の髪は美しく、濡れる瞳は潤んでいる。

 ほんのりと染まる頬に、俺の唇を求めているのだと感じてしまう。


 息遣いが聞こえる程にその顔が近づかせると、彼女は瞳を閉じて顔を少し傾ける。

 このままもう少し見て居たい程に美しいが、あまり待たせすぎるのも悪いだろう。

 俺はゆっくりと桃色の唇に近づくと、そのまま自分の唇を触れさせた。 

 二つの唇が重なり合い、ほんのひと時の沈黙の時間が流れた。


「「………………」」


「…………少しは勇気を与えられたか?」


「…………ええ、貴方への想いが私を生かしてくれそうです」


「そうか、そいつは良かった。じゃあ、また後でな」


「……はい」


 ラグナードへの帰りの時間。

 二台目の馬車を用意した俺は、セルレーンを一人乗せ、ラグナードへと戻ろうとしていた。

 襲われた彼女の為にと言えば聞こえがいいが、実はあの子供を見せない為である。


「さあ、俺達の町に、ラグナードへ帰ろうか」 


「はい、マルクス様!」


 さま、とは……随分と好かれてしまったらしい。

 …………美しい彼女に好かれるのは悪い気はしないが。


「君の方が格上なんだ。マルクスでいいさ」


「いえ、そういう訳にはいきません。私の命の恩人で、唇を許したお方なのですから。だから、マルクス様と呼ばせてください!」


「…………まあ、君がそれでいいのなら好きに呼べばいい。では今度こそ、ラグナードへ帰還するぞ!」


 まず俺の馬車が先頭に、続いてドル爺の運転する馬車が進み始めた。

 セルレーンは俺の席の横へ座ると肩を預け、ラグナードへの帰路を進むのだった。

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