第三十八話
屋敷内を迷いなく進む。二ヶ月も経てば勝手知ったる場所だ。向かうは厨房。
今日はキャメロン・コナーとの漸くの対面日だ。ヴィクトリアを泣かせてしまってから既に三日は経っている。姫様を初め誰もが“
「失礼しますよ、っと」
「キャッ」
扉の前で洗浄魔法を自身にかけ扉を開けると、勢いよく飛び出してきた人物と軽くぶつかった。
「カミーユさん?」
「あ!マスター!!」
ぶつかってきたのはこの厨房の料理人カミーユだ。料理長・ルフィーナの腰巾着で、初日に声を大にして反対していた者の一人だ。
しかし、今では俺の事を師のように仰いでいる。異世界の料理の知識だけでは無く、作る際の手際などにも惚れ込んだらしい。弟子にしてください!なんて頼まれたが断った。面倒だし、弟子にならなくても教えるし。
ちなみにマスターは当然俺の事だ。色々教えている内に『どうしてそんなに料理に詳しいのですか?』なんて聞かれたから、ふざけて『元の世界では料理マスターだったからですよ』なんて答えたらなぜか感銘を受けたらしく、それからマスターと呼ばれるようになった。当初はふざけ半分だった事もあって恥ずかしかったのだが、最早慣れた。
そして俺をマスターと呼ぶ者がもう一人。
「マスター!今お呼びに行こうとしていた所なんです!」
これまたルフィーナの腰巾着の一人、ケイリーだ。カミーユとは姉妹で、ケイリーの方がお姉さんだ。
「すみません、遅れましたか?」
時間には余裕を持って行動していたつもりなんだが、遅刻してしまったか?もしかしたら孤児院を出る時に、リナ達に時間を取られたのはマズかったかもしれない。
「いえ、大丈夫ですよ。まだ十分ほど時間ありますし。ね!料理長?」
「え?あ、ああ。そ、そうさね。じ、準備が終わったから呼びに行こうとしただけさね」
「そうですか。良かった」
それにしてもここの雰囲気も随分と変わったな。カミーユ・ケイリー以外も俺を慕ってくれている。まるで手の平を返したかのようだが、媚など不快さが無いのでここの居心地は良い。
ただ懸念事項を挙げるとすれば一つだけ。ルフィーナの態度だ。
「それじゃあ、今回の料理は私がメインで担当させていただきます。皆さんはサポートの方よろしくお願いします。ルフィーナさんは助手をお願いします」
「「はい、マスター!」」
「「はい!」」
「は、はいよ」
例の誓約で俺の物になって以降、態度が固いのだ。普段はそうでもないようなのだが、俺を前にすると固くなる。特に酷い事をするつもりもないし今後も料理を頑張ってほしい、みたいな事も伝えているのだが彼女はそれを言葉通りに受け止めていないようなのだ。
まあ、若い男にそう言われてもこの状況で信用は出来ないわな。聞けば料理一筋で、男とは無縁な34年間だったみたいだし。
―――カランッカランッ
何かが落ちたような乾いた音が響く。音の方に視線を向けると、いくつかの調理器具を慌てたように拾うルフィーナの姿が。
「す、すまないね。て、手が滑ったさね」
「はぁ~……」
「っ!」
これ見よがしに吐かれた溜息に、ルフィーナの体がビクッと過剰に反応する。
今のは彼女への呆れもだが、自分自身に対する不甲斐無さの表れでもある。つまり、三十路のくせになにやってんだと思う半面、乙女である事を分かっていながら配慮を怠った自身への怒りだ。
今後の事を考えると、この辺で何とかしておいた方が良いだろう。そうと決まったら即座に行動。ルフィーナの方へ足を踏み出す。
「な、なにさね」
ルフィーナが怯えたように後ずさる。それに構わず距離を詰めていく。
今の俺は姫様の下に来てからいつも浮かべているへらっとした表情では無く、ナンシーを口説いた時のような表情をしている事だろう。つまりはそういう事だ。
「っ!?」
壁際まで追い込まれた彼女の前に立ち、壁ドンの要領で肩の横に手を置く。身長は彼女の方が高いのでやや不格好だが、気にしない。雰囲気で誤魔化す。
「別に乱暴するつもりもないし、料理を取り上げるつもりもない。それなのに、なぜそんなに怯える?」
俺の言葉遣いが荒くなった事に驚いたようで、その目を見開いている。周りもポカンとした表情を浮かべ、姉妹に至っては「カッコいい……」などと呟いている。
「お、怯えてなどいないさね!ただっ……ただ、あたいは坊やの、アンタの物になったんだ!それで何かしようと思ったけど、何をすればいいのか分からなかったのさね!」
そういう事だったのか。怯えていないというのは虚勢だろうが、後半は心当たりがある。時々後を付けられたり、物陰からジッと見つめられていたのだ。あの時は訳が分からなかったが、ようやく謎が解けた。
「何もする必要などないさ」
「で、でも……」
納得できないようだ。仕方ない。
「っ!?」
彼女の頬に左手を添える。
「お前は俺の物だ。この顔も―――」
右手で豊かな胸を鷲掴む。
「この体に、この大きな胸も―――」
掴んだ右手を放し、人差し指を立て深く胸に突き刺すように当てる。
「そしてこの心も―――全て……全て俺の物だ」
「ひゃっ…む、むね……!?」
既にいっぱいいっぱいのようだ。言葉はちゃんと届いているだろうか。
「無理に何かする必要は無い。何かミスをしたら罰を与えてやる。何か成功したら褒めてやる。お前は俺の物なんだからな。だから、いつも通りにしていろ」
「ひゃ、ひゃい……」
「ああ、それと」
ルフィーナの腰に左手を回し引き寄せる。そのまま、突然の事にバランスを崩した彼女の体を支え、自然な流れで耳元に口を寄せる。
「最初に会った頃の強気なお前の方が好きだぞ、俺のルフィーナ」
トドメを刺すようにそう囁いた。
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