第二十話

 ―――コンコン


「グレンです」

「入りなさい」

「失礼します」


 許可が出たので、昨日も来た姫様の書斎へと足を踏み入れる。中には机に向かう姫様とクロエのみ。

 どうやら既に仕事中のようだ。大量の書類に目を通しながら、ハンコを押し何かを書き込んでいる。こんな朝早くから大変だな。


「ちょっと待ってなさい。今これを片付けるから」

「はい」


 うーん、それにしても綺麗だよな。見た目もだがそれよりも纏う雰囲気だな、そして瞳。昨日も思ったが、常に何かしらの信念を宿した熱をその瞳に携えている。彼女の瞳は何を見、そして何を見据えているのか。


「……ジロジロと何?乙女を無遠慮に見るのは感心しないわよ」

「申し訳ありません。何の書類が気になったもので」


 確かに少々見過ぎたな。何と言うか、らしくないミスだ。

 誤魔化すように彼女の手元にある紙束に目を向ける。


「サブリナからの報告書よ」


 姫様の領地か。確か国内一の大きさだが、辺境故に問題が多いんだったな。この書類の多さも納得だ。


「大変そうですね~」


 わざとらしく他人事の様に振る舞う。


「……」


 狙い通りジトッとした視線が向けられる。若干イラついてもいる様だ。

 暫く俺を睨むと、一枚の紙を差し出してきた。


「貴方にこれに関する意見を求めるわ。異世界の知識を持って役に立ってご覧なさい」

「私にも知っている事と知らない事が有るので、必ず役に立つとは言えないのですが」


 そう言いつつ、書類に目を通す。

 ここで役に立てれば俺に対する信頼値も上昇するだろう。今後の活動の際に、スムーズに協力してくれる様になるかもしれない。

 だがこれは一種の賭けだ。ここまでの展開は姫様の怒気を除いて、ある程度狙った通り。後は貰った書類の内容次第で、俺の持つ知識が使えるか否かだが……。


「どうなの?無理なら無理でも良「そうですね」」


 姫様の言葉に被せる様に、口を開く。

 幸い書いてあるのは農業に関しての事。これなら問題ない。賭けに勝ったようだ。


「まず収穫量の低下に関してですが、天候などが例年通りである以上原因は恐らく地力の低下でしょう。この報告を見る限り、一年中何かしらを育てているようですね。これではダメです。畑、土も生きている以上働かせ続ければ疲弊します。休ませる必要があるでしょう。そこで混合農業を提案させていただきます。作物栽培と家畜の飼育を組み合わせたものですね。それとなく似たような事はしていたようですが、今回はそれを一つの農業形態として確立します。内容としては三圃式農業を基本とし、農地を三つに区分します。食用穀物・飼料作物・休耕地ですね。食用穀物は麦類、飼料作物はトウモロコシや根菜類になります。そして休耕地に家畜を放牧する。これらはローテーションを組んで、要するに順番に入れ替えて耕作することで地力低下を防ぐことが出来、さらに休耕地に放たれた家畜の排泄物が肥料となり土地を回復することも出来るようになります。ついでに家畜のエサの栄養バランスの見直しと、腐葉土も作れるようになった方が良いですね。そうなると―――」

「ちょ、ちょっと待ちなさい!」

「はい?」


 唖然といった表情を浮かべた姫様がそこには居た。


「今のは、今言った事はちゃんと役に立つの?」

「勿論です」

「でまかせ等じゃないのね?」

「はい、私の世界にもある農法です」


 家の死んだ祖父クソジジイが趣味で畑をやっていたからな。修行と称して毎日手伝わされた。趣味の範疇を超えた本格的な農業を、一切機械を使わず。


『日本人が持つのは侍の魂では無く、農家の魂である』


 とか何とか言っていた。侍から殺し屋となった夜桜一族の男が。


「少しでも役に立つ知識が貴方の中に有れば、と思っての事だったけど思った以上の収穫ね」

「早朝、ヴィクトリアさんに叩きのめされてから周りの目が冷たくてですね。後々の事を考えると恐ろしかったので、殿下の役に立つ事が出来て良かったです」


 カエデと別れてからここに来るまで何人かとすれ違ったけど、彼女達の眼は絶対零度の如く冷たかったからな。少し泣きそうになったし。


「ふふふ。期待以上よ。貴方を引き抜いて正解だったわ」

「光栄です」


 やはり自分の行動が人に喜ばれるというのは気持ちが良いな。予定通り俺に対する評価も上がったようだし、良い事尽くめだ。

 そう言えば今頃、孤児院の幼女達がシチューを食っている頃か。帰ってからも良い気分になれそうだ。顔が緩みそうになるな。


「クロエ、紙とペンを」

「畏まりました」


 クロエの用意した紙に農業に関する事を分かり易くまとめていく。その際ケチを付けられない様に、附随して生まれるであろうデメリットも明記する。トラブルの元になりかねないからな。

 そして時折、他の産業に関する報告書にも意見を求められるので、答えられるものには出し惜しみなく答えていく。流石に全ての報告書に触れられるわけではないが、この短時間でかなりの信頼を得られたと考えていいだろう。

 これで多少は見る目も変わるだろう。クロエも一緒に居て良かった。姫様の側近の懐柔は優先事項だしな。難易度が高すぎるけど。

 さらに姫様の役に立つ迷い人として、確固たるポジションを確立したと言っても過言ではない。後は餌にが掛かるのを待つだけである。


 ペンを走らせること小一時間。

 気付けば畑に関してだけでは無く、畜産や養蜂に関する事までまとめていた。少し張り切りすぎた。


「グレン様、質問宜しいですか?」


 姫様の手伝いに徹していたクロエが、いつもより真剣そうな無表情で問い掛けてくる。どうやら報告書に関するものでは無いようだ。


「はい。構いませんよ」

「グレン様の世界の人達は、皆がこのような知識を持っているのですか?」

「あははは。流石にそれはあり得ませんよ。専門知識ですからね。ただ私の居た国は環境が整っていましたから、基本的に誰もがそれらの知識を得る機会は持っていましたね」


 図書館然り、インターネット然り。場所も方法も揃っていた。


「ではなぜグレン様はこんなにも博識なので?見た所農家と言う訳でも無いようですし、不自然では?」

「あー、勤勉だったからという事にしておいてください」


 喋り過ぎたかな?

 クロエさんが警戒しまくってる。

 誤魔化し方も雑だったかもしれない。でも、農業関係はジジイの影響だがその他は仕事関係だしな。喋る訳にはいかない。


「……では他にはどんな知識を?」

「そうですねー……殺戮兵器だとか破壊兵器の作り方とかでしょうか」

「っ!?」


 お。初めてクロエさんの表情が動いたのを見た。ほんの僅か目を見開いただけだけど。


「世界を支配できるかもしれませんね。殿下、どうですか?」

「必要ないわ。それに嘘でしょ?」


 おや、即答だ。まあ、そうだろうね。ここで欲しがられたりしたら幻滅だ。


「嘘と言うよりかは冗談ですかね。お蔭でクロエさんの驚く顔が見られました」


 お蔭でクロエさんからの評価が下がりました。表情は変わってないが怒気が凄まじい。


「はぁ、おちょくるのは良いけど私達を試すような真似は止めなさい。不愉快よ」

「申し訳ありません」


 小さい不興を買ったが、話が反らせたから良しとする。


「それにグレン、貴方他にも嘘吐いてる事あるでしょ?」

「他にもですか……心当たりが無いのですが」


 嘘です。沢山心当たりがあります。

 嘘を見破られたって感じでは無いな。いきなりどうしたのか。


「私の勘が囁くのよ。嘘を吐いてるって」

「……勘ですか」

「これが結構当たるのよね」


 糾弾と言うよりは、確認みたいな感じか。素直に話すなら良し、話さないならそれも良しといった風の。


「思い当たりませんね」


 どちらにせよ、今は話すつもりは無いので白を切る。


「そう。ならそれはそれで良いわ。でも気を付けなさい。私の貴方に対する評価は高いから、多少の嘘は何とも思わないわ。行き過ぎたものは許さないけどね。でもトリアやクロエ達は違うわ」


 そこでちらりと傍らのクロエに視線を送る。


「この娘達は私の事を一番に考えてくれる。だから場合によっては問答無用で切り捨てられるわ。貴方は私にとって必要な人よ。つまらない事で死ぬのは許さないわ」


 必要な人。勘違いはしない。姫様は俺を必要な人材として見てくれている。

 この人は一々俺を喜ばすのが上手いな。チョロくなったせいかもしれないけど。だけどこのまま姫様に忠誠を誓ってもいいような気がしてきた。

 こんな人だから騎士団の人達も、姫様に付き従っているのだろう。仕えがいがあるから。


「そこまで評価して下さっているとは……分かりました。このグレン、今しばらくは殿下に誠心誠意仕えさせて頂きます」

「……そこは生涯じゃないの?」

「あははは。一応ヴィクトリアさんとの約束もありますので」

「はぁ。そうだったわね」


 その会話を最後に再び書類と向き合う。結局警戒させるだけになってしまった、クロエの視線を感じながら。

 だがそれも長く続かない。

 ―――バタバタバタッ、コンコン


「失礼します!!」


 酷い慌て様のメイドが入ってきたからだ。

 そのメイドは姫様の傍まで行くと、何やら耳打ちする。


「……お父様が?分かったわ、通しなさい」


 一礼し部屋を出ていくメイド。

 一体何なんだ?


「グレン、お父様が貴方に会いたいそうよ。迎えが来てるわ」

「へ?お父様?……国王陛下?」


 何で王様が?俺まだ何もしてないぞ。

 あぁ、嫌な予感がする。

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