悪漢たちとの出立
マイルストームの死が報じられ、
「ベイリー・ラドフォードは、あの男は生きているのですか?」
「ああ、残念だが、俺も、マイルストームも仕留め損なったよ。こうなりゃ誰も手が出せねえ……死神も今夜は店仕舞いみたいだしな」
「悪運の強い……いつか必ず、奴にも敗亡の憂き目を味あわせてやりましょう」
激情に我を忘れかけたシュロークは、ガラッドでさえ辟易させる迫力がある。陽気で口数の多いガラッドもいつもの軽口を差し挟めなかった。
「あんたがベイリーにどんな恨みがあるのか知らないが、ここへ居たらマズいぜ。おそらくマイルストームに支援者がいたことは掴まれてる。いずれ、ここに手が入る」
「また逃げろと?」
「また?」ガラッドは首を捻った。
そこへマゴットが――あの側仕えの女がしゃしゃり出てくる。
「シュローク様。お供します。留まるにしろ逃げるにしろ」
引き歪んだ面貌は以前の美しさが偲ばれるだけに胸を突くものあるが、それについての説明はシュロークから以前聞いた。幼少時の病の後遺症で半身に麻痺があると。マゴットは客のはけた待合室で焦燥のていの主に寄り添って、健気に尽くしているようだ。
(相変わらず主従揃って気が強い)
ガラッドは嘆息する。質素な身なりながら、その衣服の生地や仕立てはなかなかのものだとガラッドは商売人ならではの目線でもってマゴットを値踏みした。
「了解した。で、どうする? もし逃げるなら、今しかない」
「……マゴット、あなたはこの方たちと行きなさい」
意外な方針をシュロークは打ち出した。
「わたしはもう歳です。逃避行はとても……身体も弱っています。それにもう逃げたくないのです。あの盗人ベイリーが来たら唾を吐きかけてやりましょう」
身体の不自由を言うのならマゴットも同じだ。右足を引きずった女と玉座を追うのは快適な旅とは言いかねる。
「悪いが、俺も慈善事業じゃねえ。あんたらの潤沢な資金をあてにしてるのさ。助けるのは金ズルだけだ。使い走りの面倒までみる余裕はねえな」
「ならばこそ、この娘を守るのです」
きっぱりとシュロークは命じた。
「……そうか」ガラッドはようやく得心がいったようだった。「なるほどな、どこかおかしいと思ってたんだ」
「説明は不要ですか。手間が省けました」
シュロークの引き結んだ口には覚悟が伺える。
「ガラッドと言いましたね。この娘を命をかけて守るのです。そして必ず王都に送り届けるのです」
ずっと黙っていたジヴがガラッドの顔をのぞき込む。ガラッドはニヤニヤと相好を崩した。
「あの時だ。ここでお嬢さんが運んできたカップを割ったことがあったな。シュロークさん、あんたは召使いの女を守るみたいに身を乗り出した。厳しく叱り飛ばしたけど、俺はあの一瞬の違和感が拭えなかった。怪我をさせることを恐れたんだと、あとからになって気付いたね」
「……つまりそれは?」とジヴが促す。
「見かけの主従と真実は逆だったってことさ。仕えてるのはこの婆さんの方で、下女に見えるこのお嬢さんこそが貴い身の上のお方だったってことだ」
シュロークは感心したように手を叩いた。
「よくぞ、見抜きましたね」
「素性を隠す必要があったとはいえ、手の込んだ趣向だな」
「あなたには関係がない。こちらの事情です!」
マゴットが噛みつくように言うが、シュロークは優しく首を振り、たしなめる。
「マゴット様。打ち明けるべきかもしれません。この方たちには」
「ダメよ、信用できない」
ついに二人は真の主従関係を隠すのをやめた。もうひとつやめるべき演技がある、とガラッドは指摘した。
「その顔芸もやめろ、足の方は本当らしいがな」
ハッとマゴットは意表を突かれる。そして徐々にこわばった顔の筋肉がだんだんと緩んでいく。あらわれたのは、薄汚れてはいるものの不思議と気品のある美しい顔だった。ツンと上を向いた鼻、薄い唇、やや薄幸そうではあるが、辛苦を経ても隠しようもない高貴な顔立ちがそこにあった。顔面の麻痺と見えたものも演技だったのだ。そうまでして隠さなければいけない素顔とは。
「ふん、わかったぜ。……ベイリーへの恨みと言い、用心深く隠れ住んでいたことと言いあんたが誰だかは大方見当がついた」
「ならば覚悟はいいですか。私を利用するならば、そちらにも相応の覚悟が必要です」
「望むところだ。あんたこそ、過酷な旅になるぜ。たとえ王侯貴族だろうが、甘えは許さない」
「わたしはここで娼婦たちの下着を洗っていたのです」
「安心しろ、俺たちの下着を洗わせたりしねーよ。だが、場合によっちゃもっと汚れちまうかもな」
「構いません」
キッと口を結んでマゴットは言い切った。
「わかったよ。じゃあ、急いで準備をしたら俺たちの
しかし、ブルブルとマゴットは首を振った。
「あなたと旅には出ません」
「なんだよ、話はまとまったんじゃねえのか」
「わたくしはもうベイリーから逃げません。たとえ殺されてもあの男に立ち向かいます。噛みついてでも引っ掻いてでも傷を負わせて……それで死にます」
「だったら、なおさら俺たちと来るべきだ。俺とベイリーはな、同じものを追っている。一緒にいればやつとカチ合う可能性はでかい。殺すチャンスだってあるはずだ」
シュロークはそれを聞くと心配気にマゴットを撫でたが、引き留めることはしなかった。深刻な面持ちでマゴットは首から下げた鳥の形をした貴石を握りしめ、それから言った。
「わかりました。では、行きましょう」
「同じ船に乗る前に、あんたが誰なのか聞いときたいね。それとも当てようか?」
ガラッドは得意げに言うが、マゴットは背筋を伸ばし、威厳に満ちた所作で告げた。
「その必要はありません。わたくしは王弟ルパート・ルッソ・ラヴェンデが娘、サルキア・ラヴェンデ。シェストラ王家の正当な血を引く最後のひとりです」
こうしてマゴットは娼館の下女としての装いと仮の名を脱ぎ捨てた。娼婦たちの小間使いであった時間は彼女に何を学ばせたのだろうか。卑小な人間にも宿るささやか尊厳についてか、それとも取るに足らぬ庶民たちへのなお一層の蔑みか。どちらにしろ、と内心ガラッドはほくそ笑む。奴隷が王座に手を伸ばすのだ。王族が婢女になって何の不思議がある?
ジヴはマゴットの告白に驚いていたが、口を開かず、物言いたげにガラッドを見つめるだけあった。
「さよならシュローク。いままでありがとう。母よりも深く愛してくれたあなたから離れてわたくしは悪漢たちと旅に出ます」
シュロークは気丈にも涙を堪え、精力を振り絞ると娼館の女たちを呼び集めた。
娼婦たちはマゴットだった少女が荷物をまとめるのをかいがいしく手伝った。貧しさに身を落とした女、身持ちの悪い女、後ろ暗い過去を秘めた女、つまり娼館に住まうすべての女たちに抱きしめられ、幸運を祈るキスを浴びてサルキアは
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