第三章 逆乱

君子微醺(びくん)を楽しむ

「よう、いつまでここに閉じ込めておくつもりだい?」


 薄暗い酒蔵にガラッドの声が響く。整然と置かれたマーヴァの酒樽は無表情で愛想がなく、その中身ほど熱心に語りかけてこない。


 ここに留め置かれて三日。

 ガラッドたちは不自由ながら快適な軟禁生活を送っている。


 時計がないのでわからないが、おそらく定刻通りに血盟団の下っ端が食事を運んでくる。


「もうすぐ首領がお会いになるってよ。くれぐれも失礼のねえようにな」


 さすが下っ端だ、実に下っ端然としてやがる、とガラッドは思う。虜囚に見せる侮蔑と虚勢がよいバランスだ。


「やっとか。ここは最悪ってわけじゃないが天国でもないからな、なぁジヴ」


 ガラッド同様、酒蔵に閉じ込められたジヴはうっそりと頷く。


「ええ、せめて樽の中身が飲めればね」

「……そうだな」


 二人は三日前、レヴァヌの街を通過しようとした時、ちょっとした諍いを起こし、灼熱の血盟団とかいう武装組織に囚われたのだった。


「おめえらが払うべきものを払わなかったからいけないのさ」


 そう言い含めるように声をかけてから、団員は食事のトレイを置く。


 二人は通行料を請求されたものの、頑として払わなかったのみならず、燻製やタバコなど日用品をやや高値で売りつけようとした。あれがいけなかったな、とガラッドは思う。まったくツイてねえ。


 言い訳する間もあらばこそ、その場で身ぐるみを剥がされ、この酒蔵へ放り込まれたというわけだ。ガラッドもジヴも縛られてはいないが、日の光の差さぬ酒蔵から出ることは許されなかった。フランケル山脈を迂回し、草木のない砂漠を横断するためにラクダ二頭に大喰いラ・グーリュを曳かせてきたというのに随分な仕打ちだ。


「さっさと食え。おまえらに謁見なさるのはこの国の次代の王になる方だ」


 はっ、とガラッドが笑う。謁見? お笑い草だ。なんで辺鄙なオアシスのお山の大将が王になるってんだ。


「貴様!」


 ガラッドは腹に二発の蹴りを入れられ、胃に押し込んだばかりの食べ物を吐き出してしまう。


「身の程を弁えろよ」

「くっ!」


いささかも取り乱さずがジヴが耳打ちする。

「ガラッド様、ここは抑えてくださいね」


「わかってるよ」

 怒りを飲み込みはするが、こいつの面は忘れない。


 もし、ジヴと二人がかりなら、眼の前の男など三秒もあれば畳めるだろう。ガラッドは農奴たちの拳闘試合でそこそこならしていた。一度は準優勝したこともある。


「もったいねえな」団員は言う。「ちゃんと食っとけよ」


 相手の武器はベルトに差したナイフ。それに古めかしい型のエア・ハンドライフルを背負っている。どちらも脅威となる前に無力化できそうだ。しかし、それでどうする? 酒蔵の外には何人もの見張りの気配がするし、没収された大喰いラ・グーリュがどこにあるのかもわからない。


 あれこれと算段しているうちに首領とやらが現れた。


「こいつらです」

「ご苦労だったな」鷹揚に頷くのは、小山のようにでかい男だ。


 野卑た風貌ながら押し出しがいい。漲る精力が全身からふつふつと放たれ、太い声音は腹まで響く。なるほど、これならちっぽけなオアシスの頭くらいは張れそうだな、とガラッドは値踏みする。


「よそ者が面倒をかけるんじゃない。この街はいまゴタついてる」


 言葉を投げたのは、しかし大柄の男ではなく、随行してきた優男だ。青白い顔色、神経質そうな眼付き。唇も履いているズボンの生地もどちらも薄っぺらい。この手のタイプにはでかい取引はまかせられないが、金勘定をさせればよい仕事をするだろう。


「ゴタついてるのは、ゴタつかせたからだろう? 俺たちは商売で何度もこの街を通ってるが通行料なんざ取られたことはないぜ」


 ガラッドは吠えた。


「威勢がいいな」と優男。


「俺は王国に税を納めている。王国はその代りに国土を自由に移動する権利を国民に与えた」

「バカが。その王国はいまや瀕死だろう。平時の“あたりまえ”が非常時に通用するとでも? とんだお花畑だ」


 そんなことはわかっている。ガラッドほどそれを知っている人間はいないと言ってもいい。だが、もう少し愚か者を演じて、こいつらの本性を掴む必要がある。商売で大切なのは押し引きの呼吸だ。ジヴに睨まれるのを無視してガラッドは続けた。


「だったら、あんたらはなんだ? あんたらに金を落としたら何が保証される?」


 よくぞ聞いてくれたというように大男は得意満面の笑みを浮かべる。


「わかり切ってる。王に尽くした忠臣として新時代を楽しく過ごせる」


 ジヴが用心深く眼をすがめた。


「俺はマイルストーム。灼熱の血盟団の頭だ。こっちは参謀にして預言者ネイロパ」


 預言者だと? 耳慣れない単語だ。商売の世界じゃあまり出くわさない人種だ。

 その預言者がずいと前に出ると芝居がかった挙措で告げる。


「マイルストーム様こそは、王となる星の下にお生まれになったお方。太古よりの約定たる竜紋サーペインをその身に宿しておいでになる」


竜紋サーペインたぁなんだ?」ガラッドは首を傾げた。


「よし、見せてやろう」とマイルストームが鼻息荒くなると、ネイロパがそれ止める。「このような輩に勿体なくございます」


「こいつを拝めば、俺の偉さがわかろうってなもんだ。すりゃあよ、新王朝をぶっ建てるためのいくばくかの資金くらい喜んで献上したくなるってもんだ」


 マイルストームがもろ肌を脱ぐと、ネイロパ及び取り巻きの団員たちは、一様に感極まった表情で涙ぐむ。


「……ただの刺青だよな、ジヴ」

 ガラッドは耳打ちする。


「刺青にしたって……お粗末ですよ」


 マイルストームの肩口にデンと居座っているのは、幼児の落書きに類する何かであった。


 イガグリに撃ち落された蝙蝠の死体とでも形容したら近いものが思い描けるだろう。


 これに比べれば、奴隷に捺される焼き印のほうが数段マシだった。


「マイルストーム様。こやつら歓喜のあまり物が言えぬ様子です。竜との紐帯である竜紋サーペインが眼に焼き付いたのでしょう」


 ネイロパ。こいつもヤバいなとガラッドは内心、ほくそ笑む。扱いやすそうな浮かれたバカどもだ。下手に出る前にもう少し煽っておこう。なんにでも緩急の妙というものがある。


「あんたさ、頭大丈夫か。どうして人間が人間の国を治めんのに空飛ぶトカゲのお墨付きがいるんだ。不合理だろうが」


 このあたりは割と本心だと言える。竜紋サーペインとかいう与太話なら、以前にも耳に挟んだことがある。この蒸気と機械化の時代に竜だと……笑わせるにもほどがある。


「貴様、これほど明白な王の資格を前にしながら、なんという不届きな」


 ネイロパは審問官さながらの舌鋒だ。いや、待てよ。はじめはこの優男の仕込みかと思ったが、どうやらこいつも竜紋サーペインとやらを鵜呑みにしているらしい。だとしたら、マイルストーム。このデカブツの企てか? そんなに頭の回るやつとも思えない。ガラッドは真実が見極められず嘆息した。


「はん、俗物が。所詮、歴史の端役にしかなれぬ存在だな」

「ネイロパ。慌てるな。威光がには時間のかかることもある。ま、いい。ちょうどここは酒蔵だ。一杯やろうじゃないか」


 マイルストームとやらは、さすがに大物然としている。もっと利口な右腕がいれば、もっとマシな詐欺パフォーマンスで世の中を沸かせられるだろう。


「ここがあんたの酒蔵かどうかは置いといてだな、飲ませてくれるのはありがたい」


 そして酒盛りがはじまった。


 マイルストームと団員たちは柄杓を手に各々マーヴァ酒を呷る。

 ガラッドも味見をする。なかなか高く売れそうな酒だ。こいつらがいなくなったらこいつを仕入れてもいいな。


「なぁ、あんたもし王になったら何をするつもりだ?」


 ガラッドは率直に尋ねる。


 マイルストームはあっけらかんと言い放つ。


「そんなことは考えてねえな。俺は王になる。それだけだ」

「あんたの思いのままに国を変えられる。なんだって可能だ」

「たとえば?」

「そうだな。奴隷制」

「奴隷は奴隷のままでいいだろうがよ。妙なことを言うやつだな」


 豪快にマイルストームは笑った。


「……ああ、まったくだ。味気ないことを口走っちまった。酔いも冷めそうだ」

「ガラッドよぉ、俺はおまえを気に入ったぞ。俺の配下になれ」


 バシバシとマイルストームの分厚い手がガラッドの背中を叩いた。


「さあ、契りの杯だ」


「そうだな。それも悪くないな」とガラッドは気の抜けた返事をした。そして聞こえぬほどの小声で「残念だ」と呟く。


(俺もおまえのことを気に入り始めてたんだがなマイルストーム。おまえと組んで天下を狙うのも面白いだろうとな。だが……それは叶いそうもない)


「よし、お前ら聞け、ガラッドたちは今日から血盟団の一員だ。力を合わせ王座を目指す。竜紋サーペインと玉座、それに王家の血を引く者。この三つが揃えば怖いものなしだ。竜紋サーペインはある。玉座はこれからだ! おまえら付いてくる気があるか!」


 血盟団の面々は酒蔵に集結していた。いや、ほどなく酒蔵に収まり切らなくなる人数だ。どよめきと大歓声がレンガの内壁に反響した。数百名はくだらない団員たち。基本はゴロツキの集まりだが、それでも数の力は馬鹿にできない。


「まずはそうだな英雄面してのさばってるベイリーとかっての血祭りに上げる」


 またもや大歓声。


 ベイリーか。森で砲撃された恨みがある。やつと灼熱の血盟団をぶつけるのは小気味いい展開だ。こいつらが悪魔の中指ミドルフィンガーに勝てるとは思えないが、ベイリーとて無傷ではすむまい。


「いいぞ」ガラッドはほくそ笑んだ。


 だが、まだ何か引っかかることがある。灼熱の血盟団の武器や装備は見たところ充実している。政治より金の流れに敏感なガラッドだ、そこに誰かの引いている糸を見る。薄らバカどもを煽って、その気にさせたのは誰だ? この茶番の脚本ほんを書いたのは?


「ジヴ、しばらく玉座はお預けだ。……灼熱の血盟団。こいつらの金の流れを突き止めろ」


 言いかけてジヴが隣にいないことに気付いた


「てめぇ! しれっと死んでんじゃねえぞぉおおおお。立てよぉ。もっと楽しませろよ。おら、それでも灼熱の血盟団かよ。疥癬かいせん病みのシマリスのがよっぽど手応えあるぜ。おら、ボンクラども。気合入れ直してやる!」


 見ればジヴが血盟団の団員相手に大暴れしていた。


 余興の拳闘勝負でも挑まれたのだろう。忘れていたが、ジヴは恐ろしく酒癖が悪い。いつもは冷静沈着なジヴだったが、酒を一滴でも体内に入れれば狂犬に早変わりだ。南部のつむじ風リヴィローのように気性が荒く――そして、なにより恐ろしく強い。


 ガラッドが農奴たちの拳闘試合で準優勝したのは述べた。優勝が誰だったのかは語るまでもないだろう。こうなったら止まらない。


 挑んでくる団員を片っ端から半殺しにしていくジヴを見つめながらガラッドは苦笑した。


「おい、ジヴ。俺たち新参者なんだから、ほどほどにな――さっき俺に蹴りを入れたやつは別にしてもな」

 

 こうしてガラッドとジヴは灼熱の血盟団の末席を汚すこととなった。

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