罪は子にも連座するのである。思えば、趙成ちょうせい李斯りしに死を勧めるのは、李斯のことを慮ってというよりは、李斯の子らを案じてのことであるかもしれない。趙成も兄の趙高ちょうこうも、父の犯した罪のせいで、宮刑に処せられた。死罪を免れる手段として、宮刑に処されることを望んだのである。それだけに趙成は、子が父親の犯した罪の巻き添えになることに対して敏感なところがある。家を潰してまで、子らの命さえをも以って贖おうとする李斯に、趙成は憤りを覚えていた。

「その罪とはどのようなものにござりましょう?」

 趙成の金切り声が石造りの獄舎に木霊した。

 唐突な趙成の怒声に驚き、李斯は体を強張らせ、そして自嘲するように、ため息混じりの苦笑をもらした。

「生き恥を晒しておる者を尚辱める気か……」

「そう受け取っていただいても結構にござりまする」

 言って、趙成はぞくりと身を震わせた。理由如何によっては李斯を殺害してしまうかもしれない。そうした自身の激情に気づき、恐怖したのである。

「これも儂が受けねばならぬ罰なのやもしれぬな」

 李斯は腕を組み、思案するように天井を見上げ、それからゆったりとした口調で告白を始めた。

「儂はこれまでに数多の人間を死へと追いやった。将ではない故、矛を振るって敵を薙いだことはないが、儂の献じた策が奪った命は如何ほどあろうか。また儂の発案した法によって罰され、刑死した者も計り知れぬ。が、儂はこれらを悔いてはおらぬ。儒者どもを生き埋めにしたことに対してさえ、罪の意識はない」

 李斯は先帝の命に従って、四百人以上の儒者を埋めて殺した。そのことを言っているのであろう。

「国のため、天下のためにやったこと。儂自身の保身を目的に奪った命なぞ、ひとつもない。と言いたいが一度だけ、儂は儂のために人を死なせた。韓非かんぴのことだ」

 韓非という人物が何者であったか、無論、趙成も知っている。もっとも知っているとは言っても、彼の著作を通してのことである。思想には触れたが、面識はない。趙成が韓非の名を知ったとき、彼は既に服毒自殺を遂げてこの世になかった。謀計を胸中に秘め、やってきた隣国の公子が獄に繋がれ、詮議が始まる前に自害した。その程度のことしか知らない。

「儂が荀子じゅんしの門を叩いたとき、彼はすでに荀子の門下生であった。彼はかんの王族の出なのだと他の兄弟子より聞かされたが、そのときは信じなかった。彼の姓にちなんだ冗談なのだと受け止めた。そなたは趙姓であるが、趙の王族には縁がないように、韓非もまたただ韓姓の男であると思ったのだ。そういった類のからかいを受けやすそうな人物であった。猫背で若白髪が混ざり、実際の歳よりもずっと老けて見えた。利発な男ではあったが、弁舌が苦手だった。吃る癖があって聴き取りづらいのだ。威光などまるで発さぬ、およそ王族とは対局の位置におるような人間が、韓非であった。真に王族であると知っても、彼を妬んだことはなかった。住む世界が儂とは違っておると思ったのだ。それは、彼が王族であったからではない。人に塗れて才を活かすことのできぬ種類の人間だと感じていたからだ。彼は仙人のように生きるべき男であったのだ。実際、彼の献策は一度も韓王に用いられることはなかった。それを、咸陽かんようで儂と再会したときに零しておった」

 ここまで語って、李斯はぽつりと「咸陽に来ねば良かったのにな」と寂しそうに呟いた。

「しかし呼び寄せてしまったのは儂なのだ。先帝は、彼の著書にいたく感動なさってな。彼と語らうことができたなら、死んでもよいとさえ仰られた。我事のように嬉しかった。自慢の宝物を褒められたような気がした。儂は得意になって、それは兄弟子の作だとお伝えした。韓非が隣国の人間だと知って、先帝はお喜びになられた。その感情は恋慕に似ていた。欲しいものは力づくで手に入れてこられた先帝が、いかにすれば韓非に会えるだろうかと悩んでおられた。小国など脅せば、たいていのものは差し出すというのに、先帝はそのことをすっかり忘れておられた。儂に言われて、ようやく気づくくらいであった。かくして、韓に攻め込むことが決まり、目論見通りに韓は和睦の使者として彼を遣わした。和睦はなったが、韓非は咸陽に残ることになった。先帝が引き止めたのだ。戦の目的は韓非であったのだから、当然だ。しかし用いはしなかった。あくまで客分として咸陽に留めおいた。先帝はすぐに気づかれるであろうと思った。韓非は文字と戯れてこそ活きる人物。が、儂の予想に反して、韓非は朝議にも招かれるようになった。彼の発言は昔と変わらず、吃りが酷く、聴きづらかった。にも関わらず、先帝は彼の言葉に最後まで耳を傾けておられた。気の短い、あの先帝がだ。最初に危機感を覚えたのは、姚賈ようかであった。姚賈は、韓非が姚賈の地位どころか、儂の地位をも脅かす存在になるだろうと言った。それからだ。儂は韓非を警戒するようになった。疎ましく思うようになった。そして初めて、彼を妬んだ。彼を咸陽から追いだそうと画策した。韓非の吃音が昔よりも悪化していると先帝に告げた。実際には悪化などしていなかったのだが、それで充分であった。疑り深い先帝は、韓非が謀を秘めているから言い淀むのではないかとお考えになられた。儂の計画では、それで韓非は韓へと送り返されるはずであった。しかし先帝は儂が思っておった以上に、韓非に執着しておられたのだ。手に入れられぬのなら、いっそのこと殺してしまおうと思われたのであろう。韓非は間諜の疑いありとして、獄に繋がれることになった。そうなってしまったら、儂が韓非のためにできることなどひとつしかない」

 それは趙成が李斯にしてやろうとしていることと同じである。

「儂は簡単に死んではならんのだ。それでは韓非が許してくれぬ」

 趙成はどうしてやるのが良いのか、わからなくなった。李斯の表情は暗がりの中では、やはりよく見えない。どことなく李斯の姿勢から険しさが抜けたように感じるのは、気のせいであろうか。ジリジリと蝋が燃える音に混じって、李斯の深い呼吸の音が聞こえる。安らかだと思った。

「苦痛に満ちた日々を過ごすことになりまするよ」

 言った後で、趙成は不必要な発言を悔いた。李斯がこれからどのような日々になるのか知らぬわけがないのである。死刑に処されるそのときまで苦痛に耐えると決めた人間に対して言う言葉ではなかった。

 そうした趙成の後悔を汲み取ったのか、李斯は応答しなかった。

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